『信長の野望 蒼天録』シナリオ情報
- シナリオ1 1534年夏 信長誕生
- シナリオ2 1546年春 信長元服
- シナリオ3 1560年夏 桶狭間合戦
- シナリオ4 1570年秋 信長包囲網
- シナリオ5 1582年春 本能寺の変
- シナリオ6 1582年秋 清洲会議
- シナリオ7 1553年夏 正徳寺にて [GameCityオンライン購入]
- シナリオ8 1571年秋 聖域炎上 [GameCityオンライン購入]
- シナリオ9 1495年秋 駿河の梟雄 (PK版追加)
- シナリオ10 1507年夏 三人の養子 (PK版追加)
- シナリオ11 1523年春 江北の炎 (PK版追加)
- シナリオ12 1511年秋 船岡山合戦 (PK版特撰カスタマイズ賞品)
- シナリオ13 1583年夏 賤ヶ岳合戦 (PK版特撰カスタマイズ賞品)
応仁の乱は、全国に戦乱の嵐を巻き起こした。子が親を討ち、家臣が主君を討つ「下剋上」の時代が到来したのである。そんな中、1534年5月、尾張古渡城主・織田信秀に嫡男・吉法師が誕生した。吉法師は、のちに「織田信長」と名乗り、天下に手をかけるところまで上り詰めることとなる…
駿河・遠江を領する今川義元が三河の松平家を傘下に置き、尾張へ進出し始めた。美濃の斎藤道三も虎視眈々と尾張を狙い、国内でも守護代・織田広信が守護・斯波義統を奉じて対抗するなど、織田信秀を取り巻く状況は楽なものではなかった。そんな中、1546年那古野城において信秀の嫡男・吉法師改め三郎信長の元服の儀式が行われた…
桶狭間合戦 織田家の家督を継いでから数年。織田信長は抵抗を続けていた実弟・信勝や岩倉城主・織田信賢を討ち、尾張一国の統一を果たした。しかしそれもつかの間、駿河・遠江・三河を領する今川義元が1560年、将軍援護を名目として上洛の途についた。義元の軍勢4万に対し、信長の手勢はわずか4千。もはや織田家の命運は尽きたと誰もが考えた…
足利義昭を擁して上洛を果たし、義昭を将軍職に就けるなど順調に勢力を伸ばす信長。しかし、義昭は自らが傀儡であることを悟り、諸大名に「打倒信長」の檄を飛ばし始めた。そんな中、1570年9月、信長は三好三人衆討伐のため摂津へ向かうが、対陣中に突然一向一揆の軍勢が信長の本陣を襲った。信長に生涯最大の危機が迫ろうとしていた…
本能寺の変 足利義昭を京都から追い、朝倉家・浅井家・本願寺などの宿敵を次々と葬り去り、信長は天下布武を着々と進めていった。そんな中、1582年2月、武田信玄の女婿であった木曾義昌が織田家への服属を申し出る。武田家の衰退を見て取った信長は義昌の申し出を承諾し、嫡男・信忠に武田家攻めを命じた。もはや信長の前に敵はないかに見えた…
信長は家臣・明智光秀の謀叛により、本能寺の猛火の中に消えた。その光秀も畿内に舞い戻った羽柴秀吉軍に敗れ、逃亡中に何者かによって殺された。半月後、尾張清洲城において、信長の後継者および遺領配分を決める会議が開かれる。この席上で、柴田勝家と羽柴秀吉が信長の後継者を巡って対立した。両者の衝突は避けられない状況となった…
正徳寺にて 織田信秀の死により、織田家の家督は嫡男・信長が継いだ。しかし、奇行の多い信長を疎んじ、弟・信勝を当主に擁立せんとする勢力が家中に台頭し始めていた。そんな中、常に信長の味方となっていた傅役・平手政秀が突然の自害。悲嘆にくれる信長に、舅・斎藤道三から一通の手紙が届いた…
1570年冬、織田信長は浅井・朝倉連合軍と近江坂本において戦う。織田軍は有利に戦いを進めたが、浅井・朝倉連合軍が比叡山延暦寺に逃げ込んだため、討ち取ることが出来なかった。鎌倉時代、「日本一の大天狗」と呼ばれた後白河法皇でさえ、「思うままにならぬもの」と評した比叡山延暦寺。信長は、事態を打開すべく、ある決心をした…
駿河守護・今川義忠に嫁いでいた妹・北川殿の招きにより、今川家に仕える事となった北条早雲。義忠の死後はその子・氏親の後見役を務める一方で、1493年には堀越公方を滅ぼして伊豆を平定し、戦国大名としての基礎を固めていった。そして、1495年には大森藤頼を追って小田原城を奪取。ついに山内・扇谷両上杉家との対決の時を迎えた…
将軍・足利義稙を追放して足利義澄を擁立し、幕府の実権を掌握した管領・細川政元。政元は修験道に凝り、その修業のために女性を一切身辺に近づけなかった。やむを得ず、前関白・九条政基の子・澄之を養子とするが、その後、さらに阿波細川家から澄元、典厩細川家から高国を養子に迎える。政元の後継の座を巡る、激しい争いが幕を開けた…
管領代として将軍・足利義稙を補佐し続けた大内義興が、経済的な負担などを理由に領国・周防へ帰国した。そのため、阿波に潜んでいた細川澄元・三好之長らがたびたび入京を試みるなど、近畿地方の情勢は再び不安定なものとなり始めた。そんな中、近江半国守護・京極家でも家督争いが起き、家中が二分して激しく争いを始めた…
1507年に管領・細川政元が暗殺されて以後、近畿地方の情勢は混乱の極みにあった。足利義稙を擁立する細川高国・大内義興らと、足利義澄を擁立する細川澄元・三好之長らが一進一退の攻防を繰り広げていたためである。そんな中、義澄派は義稙派を京都から駆逐すべく挙兵し、進軍を開始。しかし、義澄には「病」という魔の手が迫りつつあった…
清洲会議において、信長の後継者を巡って真っ向から対立した羽柴秀吉と柴田勝家。勝家は、会議が秀吉の思惑通りの結果となった事を快く思わず、信長の三男・織田信孝や滝川一益、佐々成政らと結んで反秀吉の結束を深める。一方、秀吉も信長の次男・織田信雄や上杉景勝らと同盟を結び、対決姿勢を固める。両者の衝突は避けられない状況となった…
『信長の野望 蒼天禄』でなく『蒼天録』です。
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