『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

1750件中38件 該当しました。 1件〜20件の表示 > 再検索
<-BACK 1 | 2 NEXT->
武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
もうり もとなり 通常版 安芸備後 1506 (1497-1571)安芸の戦国大名。権謀術数を駆使して勢力を拡大、中国10か国の主となった稀代の謀将。厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。
毛利少輔次郎元就 武将騎馬
[引抜] [奉仕] [突撃] [説得]  979598 9555 36
もうり たかもと 通常版 安芸備後 1538 (1523-1563)安芸の戦国大名。元就の嫡男。大内家の人質となり、大内義隆から加冠され元服した。父の後見を受けて中国経略に従事するが、出雲遠征に向かう途中に急死。
毛利少輔太郎隆元 武将騎馬
[商業] [登用] [槍衾]  746773 7480 36
もうり てるもと 通常版 安芸備後 1563 (1553-1625)安芸の戦国大名。隆元の嫡男。祖父・元就の死後、家督を継ぐ。豊臣家に属し五大老の1人となる。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後、防長2国に減封された。
毛利少輔太郎輝元 武将
[改修] [守戦]  495020 4780 31
きっかわ もとはる 通常版 安芸備後 1545 (1530-1586)毛利元就の次男。安芸の豪族・吉川家を継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。不敗を誇った家中随一の猛将である一方、陣中で「太平記」40巻を写本したという。
吉川少輔次郎元春 武将騎馬
[開墾] [訓練] [捕縛] [突撃]  568372 8085 41
きっかわ もとなが 通常版 安芸備後 1563 (1548-1587)元春の長男。父に劣らぬ武勇を誇り、豊臣秀吉の九州征伐に従軍した際も、常に勝利を収めたという。父の隠居後、家督を継ぐが、父の死後間もなく病死した。
吉川少輔次郎元長 武将騎馬
[回復] [捕縛] [突撃]  436449 4670 41
きっかわ ひろいえ 通常版 安芸備後 1576 (1561-1625)元春の三男。関ヶ原合戦で西軍の敗北を予想し、外交工作によって毛利宗家の存続を図る。しかし宗家は防長2国に減封され、家中から裏切り者と非難された。
吉川又次郎広家 武将
[商業] [外交] [説得]  715368 5970 41
こばやかわ たかかげ 通常版 安芸備後 1548 (1533-1597)毛利元就の三男。安芸の豪族・小早川家を継ぎ、山陽地方の攻略にあたる。本能寺の変後は毛利宗家の存続を図って豊臣秀吉に接近し、五大老の1人となった。
小早川又四郎隆景 武将
[商業] [外交] [奉仕] [説得]  837582 7095 31
もうり もときよ 通常版 安芸備後 1566 (1551-1597)毛利元就の四男。備中の豪族・穂井田家を継ぐ。山中鹿之介が拠る播磨上月城を攻略するなど、各地で功を立てた。のち毛利姓に戻り、長府毛利家の祖となる。
毛利少輔四郎元清 武将騎馬
[登用] [捕縛]  455630 3765 36
もうり ひでもと 通常版 安芸備後 1594 (1579-1650)穂井田元清の子。従兄弟・輝元の養子となる。豊臣秀吉の朝鮮派兵の際は毛利軍を指揮した。関ヶ原合戦の際は主戦場に赴き「宰相殿の空弁当」の逸話を生む。
毛利 秀元 武将鉄砲
[回復] [茶湯]  445422 4280 31
もうり ひでかね 通常版 安芸備後 1582 (1567-1602)毛利元就の九男。兄・隆景の養子となった。豊臣秀吉に寵愛され、偏諱を賜る。朝鮮派兵の際は隆景を助けて活躍した。関ヶ原合戦で西軍に属し、改易された。
毛利藤四郎秀包 武将荷駄
[訓練]  375235 5875 31
いちかわ つねよし 通常版 安芸備後 1535 (1520-1584)毛利家臣。元就の次男・元春の吉川家入嗣に尽力。大内家滅亡後は山口奉行を務め、防長2国の庶政を担当した。のちに大友家に通じた嫡男・元教を謀殺した。
市川 経好 武将騎馬
[商業] [引抜]  551649 3855 38
いのうえ もとかね 通常版 安芸備後 1501 (1486-1550)毛利家臣。主君・元就の毛利家相続に尽力した。のちに軍役や普請などの諸役を怠るなどの横柄な態度をとったため、元就によって井上一族30名が殺された。
井上弥坂兵衛元兼 武将
[登用] [槍衾]  257081 8630 43
かただ もとよし 通常版 安芸備後 1583 (1568-1622)毛利家臣。粟屋姓であったが、主君・輝元より堅田姓を賜り改名した。小早川隆景の伊予転封後は備後三原城主となる。関ヶ原合戦には輝元の代理で出陣した。
堅田 元慶 武将
[改修]  472634 1960 36
かつら もとずみ 通常版 安芸備後 1515 (1500-1569)毛利家臣。安芸桜尾城主を務め、厳島神社を含む神領の管理・支配を担当した。厳島合戦の際は陶晴賢に偽の書簡を送り晴賢を厳島へ誘き出すことに成功した。
 元澄 武将
[引抜]  685555 2675 36
しじ ひろよし 通常版 安芸備後 1482 (1467-1557)毛利家臣。主君・元就の毛利家相続に尽力。のちに元就の要請で元就の子・隆元の後見役を務めた。隆元に「君は船、臣は水にて候」と当主のあり方を説いた。
志道 広良 武将荷駄
[訓練] [回復]  845479 6365 35
くちば みちよし 通常版 安芸備後 1528 (1513-1582)毛利家臣。志道広良の次男。吉川元春を補佐して山陰方面の経略を行う。主君・元就の死後、四人衆の1人となり当主・輝元を補佐して主家の国政に参画した。
口羽 通良 武将騎馬
[開墾] [外交] [攻城]  724764 3975 42
くまがい のぶなお 通常版 安芸備後 1522 (1507-1593)毛利家臣。はじめ毛利元就に敵対するがのち従属する。娘が元就の次男・吉川元春に嫁いでからは一門衆として重用され吉川軍の先鋒を務めて各地で奮戦した。
熊谷 信直 国人衆
[訓練] [攻城]  286538 6885 41
くまがい もとなお 通常版 安芸備後 1570 (1555-1605)毛利家臣。信直の孫。各地の合戦に従軍して活躍した。黒田官兵衛の影響を受け切支丹となる。のちに主君・輝元の改宗命令を拒否し、一族全員死罪となった。
熊谷次郎三郎元直 国人衆切支丹
[捕縛]  243116 5050 41
こだま なりただ 通常版 安芸備後 1522 (1507-1562)毛利家臣。元就の家督相続直後から側近として活躍。五奉行制の成立後、その一員となった。「視野も広く人ざわりもよく事務練達の者」と元就に評された。
児玉三郎右衛門就忠 武将
[商業] [登用] [連射]  741554 5180 35
こだま なりかた 通常版 安芸備後 1528 (1513-1588)毛利家臣。兄・元忠に推挙され、元就に仕える。陶晴賢の勢力が安芸から駆逐されると安芸草津城主となる。毛利水軍を率いて北九州や山陰の海上に転戦した。
児玉三郎右衛門就方 水軍衆鉄砲
[回復] [三段]  195051 5365 35

<-BACK 1 | 2 NEXT->
実行時間:0.015625
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |