武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ながの | | ふじさだ |
通常版 |
伊勢志摩 |
1541 |
(1526-1562)長野工藤家15代当主。伊勢国司・北畠家と各地で戦うが、男子がなかったため北畠具教の次男・具藤を養子として和睦した。以後は北畠家に属した。 |
長野 | 源二郎 | 藤定 |
武将 | 騎馬 |
[商業] |
45 | 47 | 43 |
59 | 65 |
39 |
ほその | | ふじあつ |
通常版 |
伊勢志摩 |
1556 |
(1541-1603)長野工藤家臣。藤光の嫡男。織田信長の伊勢侵攻軍に対して抗戦を主張、安濃城に籠城して抗戦を続けたが、のちに和睦した。本能寺の変後は豊臣家に仕えた。 |
細野 | 九郎右衛門 | 藤敦 |
武将 | 弓 |
[収拾] |
58 | 36 | 52 |
50 | 70 |
39 |
ほその | | みつよし |
通常版 |
伊勢志摩 |
1567 |
(1552-1601)長野工藤家臣。細野藤光の次男。織田信長の伊勢侵攻軍に対して恭順を主張、長野家を継いだ織田信包に属す。のちに豊臣秀吉に仕え、伊勢上野城主となった。 |
細野 | 四郎二郎 | 光嘉 |
武将 | 槍 |
[訓練] [守戦] |
47 | 41 | 37 |
35 | 65 |
39 |
むかい | | まさつな |
通常版 |
他 |
1572 |
(1557-1625)武田家臣。父・正重が徳川軍の攻撃を受けて戦死したため、家督を相続する。主家滅亡後は徳川家に仕えて御船奉行となり、徳川水軍の中核として活躍した。 |
向井 | | 正綱 |
水軍衆 | 鉄砲 |
[回復] [逃亡] [雨撃] |
11 | 64 | 50 |
51 | 75 |
91 |
くき | | もりたか |
通常版 |
他 |
1588 |
(1573-1632)志摩鳥羽藩主。嘉隆の子。関ヶ原合戦では東軍に属し、西軍の父と戦う。戦後、自らの行賞と引き替えに父の助命を乞うが、父はすでに自害した後だった。 |
九鬼 | 孫次郎 | 守隆 |
水軍衆 | 鉄砲 |
[貿易] [雨撃] |
39 | 44 | 30 |
39 | 55 |
92 |
おばた | | とらもり |
通常版 |
甲斐 |
1520 |
(1505-1561)武田家臣。甲陽五名臣の1人。「鬼虎」の異名をとり、生涯で36枚の感状を受けた。晩年は高坂昌信の副将を務めた。「よくみのほどをしれ」の遺言が有名。 |
小幡 | | 虎盛 |
武将 | 弓 |
[守戦] [連射] |
20 | 65 | 48 |
31 | 75 |
59 |
おばた | | かげのり |
通常版 |
甲斐 |
1582 |
(1572-1663)甲州流兵学者。昌盛(虎盛の子)の子。徳川秀忠の小姓となるが、のちに出奔。大坂の陣後、帰参を果たした。甲州流兵学を集大成し、多くの門弟に教授した。 |
小幡 | 勘兵衛 | 景憲 |
武将 | 槍 |
[改修] [訓練] |
6 | 30 | 51 |
57 | 45 |
59 |
さなだ | | ゆきたか |
通常版 |
北信濃 |
1528 |
(1513-1574)武田家臣。信州先方衆。主君・信玄が攻略出来なかった信濃戸石城を謀略で落城させ、知略は信玄に勝ると賞された。以後、信玄の参謀の1人として活躍する。 |
真田 | 小太郎 | 幸隆 |
国人衆 | 弓 |
[引抜] [逃亡] [連射] [混乱] |
77 | 78 | 90 |
65 | 75 |
19 |
さなだ | | のぶつな |
通常版 |
北信濃 |
1552 |
(1537-1575)幸隆の長男。父の隠居後、信州先方衆の1人として各地を転戦、勇名を馳せる。長篠合戦では3尺3寸の大刀を振るって奮戦したが、銃弾を浴び、戦死した。 |
真田 | 源太左衛門 | 信綱 |
国人衆 | 騎馬 |
[訓練] [突撃] |
30 | 63 | 40 |
41 | 85 |
19 |
ながお | | ふさなが |
通常版 |
南越後 |
1518 |
(1503-1552)長尾家臣。魚沼郡上田荘を領した。上条定憲の乱に呼応し主家に敵対する。しかし定憲の戦死、越後守護・上杉定実の死去により劣勢となり、主家と和睦した。 |
長尾 | | 房長 |
武将 | 荷駄 |
[引抜] [守戦] |
65 | 60 | 68 |
60 | 60 |
19 |
ながお | | まさかげ |
通常版 |
南越後 |
1541 |
(1526-1564)長尾家臣。房長の子。父とともに主家に敵対するが和睦し、主君・景虎の姉を娶る。その後は景虎を補佐して活躍するが宇佐美定満と舟遊び中に溺死した。 |
長尾 | 六郎 | 政景 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [守戦] [説得] |
60 | 66 | 55 |
65 | 70 |
19 |
ほんじょう | | ふさなが |
通常版 |
北越後 |
1525 |
(1510-1539)上杉家臣。本庄城主。大和守を称す。関東管領・上杉顕定の越後侵攻の際は顕定に応じ、長尾為景と戦った。のちに弟・小川長資に居城を奪われて死亡した。 |
本庄 | | 房長 |
国人衆 | 騎馬 |
[突撃] |
22 | 56 | 40 |
54 | 65 |
91 |
ほんじょう | | しげなが |
通常版 |
北越後 |
1539 |
(1539-1613)上杉家臣。本庄城主。叔父・小川長資を討って居城を奪回、家督を継ぐ。武田信玄と結んで謀叛を起こすが、許されて帰参する。以後は各地の合戦で活躍した。 |
本庄 | 弥次郎 | 繁長 |
国人衆 | 騎馬 |
[改修] [激励] [突撃] |
24 | 80 | 29 |
55 | 40 |
99 |
しばた | | つなさだ |
通常版 |
北越後 |
1527 |
(1512-1561)上杉家臣。新発田、五十公野城主。伯耆守を称した。上条定憲が長尾為景と戦った乱の際は、はじめ長尾方に属したが、のちに上条方に転じて長尾軍と戦った。 |
新発田 | | 綱貞 |
国人衆 | 弓 |
[商業] |
62 | 40 | 66 |
45 | 70 |
89 |
しばた | | ながあつ |
通常版 |
北越後 |
1553 |
(1538-1580)上杉家臣。新発田、五十公野城主。綱貞の子。上条定憲の乱が終息した後、上条方国人衆の長尾家への帰参を斡旋した。御館の乱の際には上杉景勝に属した。 |
新発田 | 源次郎 | 長敦 |
国人衆 | 荷駄 |
[回復] [槍衾] |
63 | 24 | 48 |
32 | 65 |
89 |
やすだ | | かげもと |
通常版 |
北越後 |
1529 |
(1514-1563)上杉家臣。安田城主。上条定憲の乱の際は長尾為景に従い活躍した。北条高広が主家に背いた際は、これを直江景綱に報じ、主君・謙信に従って高広と戦った。 |
安田 | | 景元 |
武将 | 荷駄 |
[捕縛] |
35 | 52 | 42 |
56 | 75 |
89 |
やすだ | | あきもと |
通常版 |
北越後 |
1553 |
(1538-1580)上杉家臣。安田城主。景元の子。信濃飯山城主を務め、武田家に備えた。御館の乱の際は上杉景勝を支持して活躍したがのちに恩賞問題のこじれから自害した。 |
安田 | 惣八郎 | 顕元 |
武将 | 弓 |
[回復] |
49 | 46 | 34 |
29 | 50 |
89 |
やまざき | | ながのり |
通常版 |
越前若狭 |
1567 |
(1552-1620)朝倉家臣。主家滅亡後は明智光秀に属し本能寺の変に従軍。光秀の死後は柴田勝家に属し、賤ヶ岳合戦に従軍した。勝家の死後は前田家を経て徳川家に仕えた。 |
山崎 | 小七郎 | 長徳 |
武将 | 鉄砲 |
[攻城] |
17 | 34 | 23 |
37 | 40 |
69 |
とうどう | | たかとら |
通常版 |
近江 |
1571 |
(1556-1630)徳川家康ほか7人の主君に仕え、主君を変える度に知行を増やし、伊勢安濃津32万石を領す。合戦では常に先鋒を務め奮戦、また多くの城の普請を担当した。 |
藤堂 | 与右衛門 | 高虎 |
武将 | 鉄砲 |
[改修] [引抜] [三段] [説得] |
84 | 69 | 83 |
84 | 30 |
94 |
たなか | | よしまさ |
通常版 |
近江 |
1563 |
(1548-1609)豊臣家臣。はじめ宮部継潤に属す。豊臣秀次の家老を務め三河岡崎5万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属し石田三成を捕らえ、筑後柳川32万石を領した。 |
田中 | 久兵衛 | 吉政 |
武将 | 鉄砲 |
[商業] [訓練] [捕縛] |
56 | 53 | 33 |
59 | 65 |
98 |