『信長の野望・天道』武将総覧

1328件中1328件該当しました。 21件~40件の表示 > 再検索
<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 NEXT->
武将姓武将名 足軽騎馬鉄砲兵器 寿命誕生年機種 
  統率武勇知略政治 義理相性登場年格付け列伝
所持戦法信仰出自親武将口調 死亡年指南法 
くのへさねちかD BD DD 491542年通常 南部家臣。信仲の子。南部晴政の次女と結婚し、後継者候補となる。主家に叛旗を翻した兄・政実とともに九戸城に籠城し、豊臣軍と戦うが敗れ、斬首された。
九戸 実親 7573303320 601557年★0
突撃之一仏教武士 九戸信仲男性:普通 1591年我流
たかだやすざねD DD CD 411553年通常 南部家臣。九戸信仲の子。はじめ高水寺城主・斯波詮真の娘婿となるが、のちに斯波家を出奔、斯波家討伐軍の先鋒を務めた。従兄弟・連尹に斬られ死去した。
高田 康真 5439703416 601568年★0
鼓舞仏教武士 九戸信仲男性:能吏 1594年理論
おおうらまさのぶC BC DD 441497年PK 南部家臣。大浦城主。わがままで家臣に信望がなかった。和徳城攻めで戦死したが、味方はその事実を知らずに退却、帰城後に初めて主君不在を知ったという。
大浦 政信 2174342843 501512年★1
突撃之二仏教武士 -男性:猪武者 1541年一般
おおうらためのりC CD DD 471520年通常 南部家臣。政信の嫡男。大浦城主。父の死後、家督を継ぐ。生来病弱であったという。のちに娘・戌の婿に大浦(津軽)為信を迎えて後継者とした。
大浦 為則 3928596760 501535年★0
鼓舞仏教武士 大浦政信男性:普通 1567年一般
つがるためのぶA CD BS 571550年通常 弘前藩初代藩主。大浦為則の娘を娶る。主家・南部家から独立し、17年かけて津軽を統一した。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、正式に津軽の領主となった。
津軽 為信 827295933 131565年★2
離間仏教武士 -男性:威厳 1607年理論
つがるのぶひらC BD DB 451586年通常 弘前藩2代藩主。為信の三男。幼い頃に父の勧めで受洗した。2人の兄が幼くして世を去ったため父の死後家督を継ぐ。弘前城を築くなど、藩の基礎を固めた。
津軽 信枚 6861738344 131601年★1
騎馬強化基督教武士 津軽為信男性:若輩 1631年一般
ぬまたすけみつB CB CA 731539年通常 津軽家臣。上野国沼田の出身。武者修業のため全国を行脚していた際に、為信の器量を見込んで仕官、その軍師となる。為信の津軽統一に多大な功績を残した。
沼田 祐光 6947837881 121554年★1
同討仏教武士 -男性:能吏 1612年相伝
おがさわらのぶきよD DD CB 651532年通常 津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。信濃国の出身で津軽に移住し、大浦家に仕える。大光寺城、石川城攻めに従軍するなど、活躍した。
小笠原 信浄 5560644172 71547年★0
連撃之一仏教武士 -男性:普通 1597年一般
かねひらつなのりC DD DB 811544年通常 津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。兼平家は大浦一族で、種里盛純(大浦盛信の弟)が兼平村を領した際に、地名を姓としたという。
兼平 綱則 6357695955 121559年★0
威圧仏教武士 -男性:知勇兼備 1625年
もりおかのぶもとD BD DC 501556年通常 津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。石川高信との戦いに参加して和徳城を攻略、城主となる。のちに為信から叛意を疑われ謀殺された。
森岡 信元 6468211736 161571年★0
突撃之二仏教武士 -男性:普通 1606年我流
はっとりやすなりC BA CB 691566年通常 津軽家臣。伊賀国の出身。関ヶ原合戦の際に召し抱えられ、大垣城攻撃戦に活躍した。のちに筆頭家老となって藩政を取り仕切り「無類の良臣」と評された。
服部 康成 6234726740 131581年★1
弓強化仏教忍者 -男性:謀略 1635年相伝
なみおかあきむらC DD DD 471555年通常 浪岡北畠家当主。具運の子。安東愛季の娘を娶る。津軽為信に居城・浪岡城を落とされたため安東家を頼り、北畠弾正と改名した。落城時に自害したともいう。
浪岡 顕村 2826356375 111570年★0
槍衾之二仏教高家 -男性:普通 1602年一般
なみおかちかよしC DD DD 531575年通常 安東家臣。顕村の子。津軽為信に居城・浪岡城を奪われた父とともに安東家を頼る。のちに北畠右近と改名し、使者として豊臣秀吉のもとに赴くなど活躍した。
浪岡 慶好 911295725 351590年★0
鎮静仏教高家 浪岡顕村男性:普通 1628年一般
かわはらとものぶD CB DD 591503年PK 浪岡北畠家臣。具永の子。断絶していた川原御所を継ぐ。「津軽郡中名字」を編纂した。のちに甥・具運と対立して具運を討つが、具運の弟・顕範に討たれた。
川原 具信 5865347217 201518年★0
斉射之一仏教武士 -男性:普通 1562年相伝
しばあきたかB CA DC 731476年PK 奥州斯波家当主。高水寺城主。1549年に南部家と戦い、雫石城を攻略した。次男・詮貞を雫石城、三男・詮義を猪去館に置いて、領内を統治した。
斯波 詮高 6459827358 941491年★2
同討仏教高家 -男性:謀略 1549年理論
しばつねあきD CC DC 641495年通常 奥州斯波家当主。詮高の嫡男。奥州斯波家は、足利尊氏の家臣・斯波家長が奥州管領として斯波郡に派遣され、高水寺城を築いて本拠としたことに始まる。
斯波 経詮 4728676533 941510年★0
威圧仏教高家 斯波詮高男性:普通 1559年
しばあきざねD CC DC 541524年通常 奥州斯波家当主。経詮の子。隣国の南部家とたびたび争ったが、劣勢に追い込まれたため和睦。のちに九戸信仲の四男・高田康真を娘婿として迎えた。
斯波 詮真 3527515563 961539年★0
突撃之一仏教高家 斯波経詮男性:普通 1578年一般
しばあきなおD CD DD 691550年通常 奥州斯波家当主。詮真の子。南部信直の軍に敗れて逃走、各地に潜伏した。のちに南部家に仕えたが、大坂冬の陣の際、浪人となって京都に住んだという。
斯波 詮直 91453114 951565年★0
突撃之一仏教高家 斯波詮真男性:普通 1619年一般
しずくいしあきさだD BC DC 541503年通常 奥州斯波家臣。詮高の次男。父が雫石地方を攻略した際に、雫石城主となり、雫石御所を称した。雫石城は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
雫石 詮貞 7054695475 941518年★1
騎馬強化仏教高家 斯波詮高男性:威厳 1557年一般
いさりあきよしD DC DD 591505年通常 奥州斯波家臣。詮高の三男。父が雫石地方を攻略した際に、猪去館主となり、猪去御所を称した。猪去館は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
猪去 詮義 4641456149 961520年★0
威圧仏教高家 斯波詮高男性:普通 1564年
武将姓武将名 足軽騎馬鉄砲兵器 寿命誕生年機種 
  統率武勇知略政治 義理相性登場年格付け列伝
所持戦法信仰出自親武将口調 死亡年指南法 
<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 NEXT->

実行時間:0.015625
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |