武将姓 | 武将名 | 出自 | 信心 | 寿命 | (生年-没年) | |||
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 | 教養 | 義理 | 相性 | 列伝 |
うきた | なおいえ | 重臣 | 神仏 | 54 | (1529-1582)浦上家臣。乙子城主。権謀術数の限りを尽くして敵を葬り去り、家中最大の勢力を築き上げる。最後は主君・宗景を追放して備前1国を掌握した、稀代の謀将。 | |||
宇喜多 | 直家 | 83 | 69 | 88 | 64 | 3 | 10 | |
通常版 | 1544 | 槍衾・1 | 混乱 | |||||
うきた | ひでいえ | 重臣 | 神仏 | 84 | (1572-1655)豊臣家臣。直家の嫡男。主君・秀吉に寵愛され、五大老の1人となるが、内乱により重臣の大半を失う。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後八丈島へ配流された。 | |||
宇喜多 | 秀家 | 50 | 61 | 36 | 63 | 79 | 10 | |
通常版 | 1581 | 斉射・1 | ||||||
うきた | ただいえ | 重臣 | 神仏 | 74 | (1536-1609)宇喜多家臣。興家の子。兄・直家の創業に大いに貢献した。兄の死後は甥・秀家の後見人となる。朝鮮派兵の際は、豊臣軍総督を務める秀家に従って渡海した。 | |||
宇喜多 | 忠家 | 58 | 51 | 47 | 58 | 62 | 07 | |
通常版 | 1551 | 斉射・1 | ||||||
うきた | あきいえ | 重臣 | 神仏 | 50 | (1567-1616)宇喜多家臣。忠家の子。主家の内乱により出奔、徳川家康に属す。関ヶ原合戦の戦功により石見浜田2万石を領した。大坂の陣では家康の孫娘・千を救出した。 | |||
宇喜多 | 詮家 | 18 | 59 | 16 | 19 | 42 | 17 | |
PK追加 | 1582 | 斉射・1 |