武将姓 | 武将名 | 出自 | 信心 | 寿命 | (生年-没年) | |||
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 | 教養 | 義理 | 相性 | 列伝 |
きそ | よしあり | 国人 | 神仏 | 66 | (1493-1558)信濃木曾谷の豪族。温和な人柄で、父・義元の頃から対立状態にあった飛騨の三木家との関係修復に尽力、領内の治政安定に努めた。「風流太守」と呼ばれた。 | |||
木曾 | 義在 | 74 | 41 | 69 | 69 | 76 | 83 | |
通常版 | 1508 | 挑発 | ||||||
きそ | よしやす | 国人 | 神仏 | 66 | (1514-1579)信濃木曾谷の豪族。義在の嫡男。村上義清・小笠原長時・諏訪頼重とともに「信濃の四大将」と呼ばれた。武田信玄の攻撃に頑強に抵抗したが敗れ、降伏した。 | |||
木曾 | 義康 | 57 | 50 | 54 | 50 | 63 | 80 | |
通常版 | 1529 | |||||||
きそ | よしまさ | 国人 | 神仏 | 56 | (1540-1595)信濃木曾谷の豪族。義康の嫡男。武田信玄の娘を娶る。のち織田信長に通じ、武田家滅亡の原因を作った。本能寺の変後は徳川家康に属し、下総に転封された。 | |||
木曾 | 義昌 | 46 | 54 | 54 | 49 | 33 | 81 | |
通常版 | 1555 | 突撃・1 | ||||||
きそ | よしとし | 国人 | 神仏 | 64 | (1577-1640)徳川家臣。義昌の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。粗暴の振る舞いが多く、叔父・義豊を殺害した罪により改易された。その後は京都で剃髪し、各国を流浪した。 | |||
木曾 | 義利 | 18 | 7 | 4 | 8 | 25 | 81 | |
PK追加 | 1592 |