武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
かきざき | もりひろ |
国人 | 神仏 | 72 |
(1564-1635)松前藩家老。季広の十一男。一家を興して家臣となる。4代藩主・氏広を自宅で饗応した際、偶然火災が起こったため、その罪を負って火中に入り死去した。
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蠣崎 |
守広 |
36 | 32 | 45 |
43 | 55 |
32 |
通常版 | 1579 |
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なごや | かつやす |
国人 | 神仏 | 30 |
(1535-1564)尾張斯波家臣。16、7歳の頃、簗田弥次右衛門と只ならぬ仲となる。のちに2人で織田信長に通じ、清洲城内の老臣を信長方につけるために画策したという。
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那古野 |
勝泰 |
24 | 58 | 36 |
24 | 43 |
32 |
通常版 | 1550 |
槍衾・1 |
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やまざき | かたいえ |
国人 | 神仏 | 45 |
(1547-1591)六角家臣。山崎城主。主君・義治と不和になり、織田信長に仕える。本能寺の変後は一時明智光秀に属すが、のち豊臣秀吉に仕え摂津三田2万3千石を領した。
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山崎 |
片家 |
33 | 40 | 44 |
44 | 37 |
32 |
通常版 | 1562 |
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やまざき | いえもり |
国人 | 神仏 | 48 |
(1567-1614)豊臣家臣。片家の嫡男。伏見城の普請工事などを担当した。関ヶ原合戦では西軍に属すが、縁戚・池田輝政の尽力により改易を免れ、因幡若桜3万石を領した。
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山崎 |
家盛 |
43 | 27 | 37 |
45 | 40 |
32 |
通常版 | 1582 |
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こうの | みちのぶ |
守護 | 神仏 | 55 |
(1527-1581)伊予の戦国大名。湯築城主。兄・晴通が早世したため、家督を継いだ。大野家などの家臣の謀叛や、毛利家など他国からの侵攻が相次ぎ、その対応に苦慮した。
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河野 |
通宣 |
48 | 38 | 36 |
53 | 49 |
32 |
通常版 | 1542 |
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たかはし | もとたね |
武士 | 神仏 | 44 |
(1571-1614)筑前の豪族。秋月種実の次男。豊臣秀吉に降り、日向延岡5万石を領す。関ヶ原合戦では東軍に寝返り、所領安堵。のち謀叛人の縁者を匿った罪で改易された。
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高橋 |
元種 |
48 | 42 | 38 |
46 | 43 |
32 |
通常版 | 1586 |
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くろさわ | みちいえ |
武士 | 神仏 | 57 |
(1567-1623)小野寺家臣。黒沢城主。有屋峠合戦などで活躍した。主家改易後は佐竹家に仕え一揆の鎮圧や新田開発に携わった。大坂の陣では旗頭として従軍し、活躍した。
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黒沢 |
道家 |
65 | 62 | 27 |
53 | 65 |
32 |
PK追加 | 1582 |
槍衾・1 |
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にき | よしはる |
商人 | 神仏 | 89 |
(1565-1653)細川家臣。勝瑞城下に住んだ。勝瑞城の落城後は隠棲するが、のちに蜂須賀家政に招かれ、その後は商人として家政に仕えた。のちに「昔阿波物語」を著した。
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仁木 |
義治 |
69 | 14 | 9 |
72 | 70 |
32 |
PK追加 | 1580 |
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あきづき | たねなが |
武士 | 神仏 | 48 |
(1567-1614)筑前の豪族。古処山城主。種実の長男。豊臣秀吉の九州征伐軍に降り、日向高鍋3万石に転封される。関ヶ原合戦では東軍に寝返り、戦後、所領を安堵された。
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秋月 |
種長 |
52 | 25 | 46 |
36 | 46 |
32 |
PK追加 | 1582 |
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