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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
ほんだ | ただとも |
幕府 | 好戦直情 | 三河 | 武将 | (1582-1615)徳川家臣。忠勝の次男。関ヶ原合戦に従軍し、戦後、上総大多喜5万石を領す。大坂夏の陣では天王寺口の先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入、戦死した。
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本多 |
忠朝 |
24 | 65 | 47 |
A |
68 | 57 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
分断 |
さかきばら | やすまさ |
幕府 | 天下布武 | 三河 | 武将 | (1548-1606)徳川家臣。徳川四天王の1人。「無」の旗を掲げて戦場を疾駆し、各地で抜群の功を立てた。晩年、「老臣権を争うは亡国の兆し」と老中への就任を辞退した。
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榊原 |
康政 |
45 | 78 | 44 |
A |
81 | 63 |
長槍 | 登用 |
罵声 | 誘導 |
迎撃 |
さかきばら | やすかつ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 三河 | 武将 | (1590-1615)徳川家臣。康政の三男。長兄・忠政は他家の養子、次兄・忠長は早世のため、父の死後上野館林10万石を継いだ。大坂冬の陣では佐竹軍の窮地を救っている。
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榊原 |
康勝 |
44 | 63 | 39 |
A |
72 | 49 |
長槍 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
とりい | もとただ |
幕府 | 好戦直情 | 三河 | 武将 | (1539-1600)徳川家臣。関ヶ原合戦の際に主君・家康の命で伏見城に籠城する。13日間の攻防戦の末、城兵とともに玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。
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鳥居 |
元忠 |
5 | 63 | 36 |
A |
97 | 7 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
あさの | ながまさ |
朝廷・名声 | 好戦陰湿 | 尾張 | 武将 | (1547-1611)豊臣家臣。秀吉の正室・寧子の義弟。五奉行筆頭として主家の執政に参画した。秀吉の死後、石田三成と対立して徳川家康に接近し、以後は徳川家に仕えた。
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浅野 |
長政 |
69 | 42 | 59 |
A |
53 | 48 |
鉄砲 | 農業 |
混乱 | 誘導 |
- |
せんごく | ひでひさ |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 美濃 | 武将 | (1551-1614)豊臣家臣。淡路島平定の功により、淡路州本5万石を領す。九州征伐の先鋒を務めた際、戸次川合戦で島津軍に大敗し、領国を没収されるが、のちに帰参した。
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仙石 |
秀久 |
12 | 40 | 27 |
A |
19 | 69 |
長槍 | 哀願 |
罵声 | - |
- |
おおい | さだたか |
無し | 好戦人情 | 北信濃 | 国人 | (1504-1543)信濃の豪族。岩村田城主。武田信玄の信濃侵攻軍に敗れて居城を失い、長窪城に退く。しかし、長窪城も攻められて生け捕りにされた。のちに殺されたという。
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大井 |
貞隆 |
39 | 22 | 12 |
A |
33 | 26 |
足軽 | 哀願 |
迎撃 | - |
- |
かさはら | きよしげ |
無し | 保守鷹派 | 北信濃 | 国人 | (1515-1547)信濃の豪族。志賀城主。山内上杉家に属した。武田信玄の攻撃に頑強に抵抗したが援軍を武田軍に撃破され、孤立。間もなく武田軍の総攻撃を受け、自害した。
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笠原 |
清繁 |
34 | 52 | 42 |
A |
42 | 46 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 迎撃 |
- |
すわ | よりみつ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 南信濃 | 旧仏教 | (1480-1539)信濃の戦国大名。諏訪大社の大祝を務める。金刺家を滅ぼして諏訪地方を平定、隣国の武田信虎と戦うなど、諏訪家の勢力回復に尽力した、諏訪家中興の英主。
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諏訪 |
頼満 |
71 | 79 | 76 |
A |
48 | 81 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 破壊 |
迎撃 |
すわ | よりしげ |
朝廷 | 好戦直情 | 南信濃 | 旧仏教 | (1516-1542)信濃の戦国大名。祖父・頼満の死後、諏訪大社大祝となる。義兄・武田信玄と戦うが敗れ、幽閉の後に自害させられた。娘は信玄の側室となり、勝頼を産んだ。
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諏訪 |
頼重 |
35 | 56 | 9 |
A |
44 | 67 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
すわ | みつちか |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 南信濃 | 旧仏教 | (1504-1550)諏訪家臣。頼満の四男。甥・頼重の死後諏訪領で横暴をふるう諏訪家の庶流・高遠頼継を討つため、武田信玄と結ぶ。頼継の滅亡後、諏訪家は武田家に属した。
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諏訪 |
満隣 |
62 | 47 | 64 |
A |
53 | 38 |
騎馬 | 登用 |
治療 | 誘導 |
迎撃 |
すわ | よりただ |
朝廷 | 保守鷹派 | 南信濃 | 旧仏教 | (1536-1606)武田家臣。満隣の子。主家の統治下で諏訪大社大祝となった。主家滅亡後は諏訪を平定して自立。一時北条家に属すが、のち徳川家に仕え、本領を安堵された。
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諏訪 |
頼忠 |
58 | 34 | 38 |
A |
61 | 50 |
足軽 | 農業 |
収拾 | 誘導 |
- |
ちく | よりもと |
朝廷 | 保守鷹派 | 南信濃 | 国人 | (1506-1555)信濃の豪族。阿島城主。武田信玄の伊那谷侵攻軍に対し最後まで抵抗するが、敗れて降伏し、信州先方衆の一員となる。しかし、のちに信玄により殺された。
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知久 |
頼元 |
42 | 31 | 49 |
A |
39 | 55 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
ふじさわ | よりちか |
無し | 保守鷹派 | 南信濃 | 国人 | (1523-1582)信濃の豪族。福与城主。武田軍に敗れたあとは小笠原家を頼り、小笠原家滅亡後は諸国を放浪した。のち伊那谷に戻るが徳川家に属する豪族に攻められて滅亡。
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藤沢 |
頼親 |
27 | 46 | 24 |
A |
50 | 47 |
長槍 | 弁舌 |
密偵 | 迎撃 |
- |
あわや | かつひさ |
無し | 好戦人情 | 越前若狭 | 武将 | (1523-1585)若狭武田家臣。国吉城主。のち織田信長に属して各地を転戦する。旧主・元明が蟄居させられた際は、赦免を信長に嘆願した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属す。
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粟屋 |
勝久 |
32 | 61 | 45 |
A |
69 | 25 |
騎馬 | 改修 |
離反 | 迎撃 |
- |
へみ | まさつね |
名声 | 好戦陰湿 | 越前若狭 | 武将 | (1532-1581)若狭武田家臣。高浜城主。逸見家は若狭武田家の庶流。織田信長の若狭侵攻軍に降り、各地を転戦した。その功により、旧領を安堵され、3千石を加増された。
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逸見 |
昌経 |
51 | 43 | 59 |
A |
61 | 66 |
騎馬 | 弁舌 |
密偵 | 修復 |
- |
なんこうぼう | てんかい |
無し | 天下布武 | 岩代 | 旧仏教 | (1536-1643)徳川家臣。比叡山で教学を究めた天台宗の僧。主君・家康の側近となり国政に辣腕を振るい「黒衣の宰相」と呼ばれた。明智光秀と同一人物との異説がある。
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南光坊 |
天海 |
84 | 1 | 87 |
A |
32 | 94 |
足軽 | 登用 |
離反 | 分断 |
- |
おか | くにたか |
無し | 保守鷹派 | 大和 | 旧仏教 | (1528-1577)大和の豪族。岡城主。周防守と称す。興福寺一乗院方国民の1人で、松永久秀に属した。1574年、織田信長に拠点を焼き討ちされる。主家の滅亡に殉じた。
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岡 |
国高 |
39 | 45 | 46 |
A |
42 | 39 |
長槍 | 改修 |
罵声 | 分断 |
- |
ゆうき | ただまさ |
無し | 保守鷹派 | 河内和泉 | 切支丹 | (1514-1574)松永家臣。当初は主君・久秀の命によりキリスト教を弾圧するが、日本人宣教師のロレンソに感化され、間もなく受洗。畿内の有力なキリスト教保護者となる。
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結城 |
忠正 |
48 | 23 | 27 |
A |
37 | 48 |
足軽 | 威圧 |
治療 | - |
- |
つつい | じゅんこう |
幕府 | 好戦陰湿 | 大和 | 旧仏教 | (1484-1535)大和の国衆。友好関係にあった越智家が一向宗門徒に攻められると、援軍を派遣してこれを破った。近隣の国衆と姻戚関係を結び筒井家の勢力拡大をはかった。
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筒井 |
順興 |
72 | 63 | 75 |
A |
67 | 74 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 虚報 |
迎撃 |