武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
りゅうぞうじ | | いえかね |
通常版 |
肥前 |
1469 |
(1454-1546)少弐家臣。田手畷合戦で大内軍を破るなど活躍するが、馬場頼周の策謀で多くの一族を殺され、筑後に逐電。のち肥前に復帰して頼周を討ち、再興を果たした。 |
龍造寺 | 孫九郎 | 家兼 |
武将 | 騎馬 |
[登用] [奉仕] [逃亡] [槍衾] |
102 | 88 | 101 |
84 | 80 |
62 |
りゅうぞうじ | | いえずみ |
通常版 |
肥前 |
1494 |
(1479-1545)少弐家臣。家兼の子。父が馬場頼周の策謀によって筑後に退去した際、弟・家門や三男・純家とともに筑前に赴くが、途中で神代勝利軍に攻められ、敗死した。 |
龍造寺 | | 家純 |
武将 | 弓 |
[収拾] |
58 | 48 | 32 |
28 | 60 |
62 |
りゅうぞうじ | | ちかいえ |
通常版 |
肥前 |
1519 |
(1504-1545)少弐家臣。家純の子。祖父・家兼が馬場頼周に騙されて筑後に退去した際、弟・頼純らと謝罪使として少弐冬尚を訪ねるが、途中で馬場軍に攻められ敗死した。 |
龍造寺 | 六郎次郎 | 周家 |
武将 | 弓 |
[連射] |
42 | 24 | 13 |
16 | 50 |
62 |
りゅうぞうじ | | たかのぶ |
通常版 |
肥前 |
1544 |
(1529-1584)龍造寺家19代当主。周家の子。村中・水ヶ江両家を統一して勢力を拡大し、九州5か国2島を領した「肥前の熊」。沖田畷合戦で島津軍に大敗し、戦死した。 |
龍造寺 | | 隆信 |
武将 | 槍 |
[訓練] [雨撃] [攻城] |
45 | 78 | 57 |
93 | 30 |
62 |
りゅうぞうじ | | まさいえ |
通常版 |
肥前 |
1581 |
(1566-1607)龍造寺家20代当主。隆信の嫡男。豊臣秀吉の九州征伐軍の先鋒を務め、所領を安堵される。病のため、秀吉の許可を得て領国経営を家臣・鍋島直茂に委ねた。 |
龍造寺 | | 政家 |
武将 | 鉄砲 |
[収拾] |
25 | 34 | 8 |
6 | 65 |
62 |
りゅうぞうじ | | のぶちか |
通常版 |
肥前 |
1550 |
(1535-1582)龍造寺家臣。周家の次男。須古鍋島家の祖となる。大友家の衰退後は豊前方面に進出し、豊前の諸将を服属させて政務を司り、兄・隆信の勢力拡大に貢献した。 |
龍造寺 | 新次郎 | 信周 |
武将 | 弓 |
[訓練] |
44 | 44 | 44 |
48 | 60 |
62 |
りゅうぞうじ | | ながのぶ |
通常版 |
肥前 |
1554 |
(1539-1603)龍造寺家臣。周家の三男。多久家の祖となる。肥前梶峯城主を務め、西肥前の有馬家や松浦家に備える。兄・隆信の肥前における勢力の確立に大きく貢献した。 |
龍造寺 | 六郎次郎 | 長信 |
武将 | 荷駄 |
[捕縛] [槍衾] |
48 | 41 | 40 |
21 | 50 |
62 |
りゅうぞうじ | | たねひさ |
通常版 |
肥前 |
1515 |
(1500-1539)龍造寺家17代当主。父・家和の死後、宗家・村中龍造寺家を継ぐ。少弐家臣・千葉胤勝より肥前に所領を与えられる。また大友義鑑からも所領を与えられた。 |
龍造寺 | 新次郎 | 胤久 |
武将 | 弓 |
[引抜] |
66 | 48 | 62 |
68 | 65 |
61 |
りゅうぞうじ | | たねみつ |
通常版 |
肥前 |
1539 |
(1524-1548)龍造寺家18代当主。胤久の子。父の死後、村中龍造寺家を継ぐ。大内義隆に属して少弐家と対立。のちに少弐冬尚を追放し、義隆から肥前代官に任ぜられた。 |
龍造寺 | 新次郎 | 胤栄 |
武将 | 弓 |
[攻城] |
52 | 23 | 30 |
41 | 40 |
61 |
りゅうぞうじ | | いえなり |
通常版 |
肥前 |
1543 |
(1528-1582)龍造寺家臣。胤久の次男。龍造寺隆信が村中・水ヶ江両家を統一した後は隆信に従う。少弐家討伐戦で功を立てる。のち肥後に赴き、北上する島津軍と戦った。 |
龍造寺 | | 家就 |
武将 | 騎馬 |
[攻城] |
36 | 43 | 29 |
43 | 65 |
60 |