武将姓 | 武将名 | 出自 | 信心 | 寿命 | (生年-没年) | |||
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 | 教養 | 義理 | 相性 | 列伝 |
おおうら | ためのり | 武士 | 神仏 | 48 | (1520-1567)南部家臣。政信の嫡男。大浦城主。父の死後、家督を継ぐ。生来病弱であったという。のちに娘・戌の婿に大浦(津軽)為信を迎えて後継者とした。 | |||
大浦 | 為則 | 60 | 35 | 53 | 50 | 60 | 13 | |
通常版 | 1535 | |||||||
うえだ | ともなお | 国人 | 神仏 | 89 | (1494-1582)扇谷上杉家臣。北条家の武蔵侵攻軍に降り、以後は北条家に仕える。他国衆として松山城主となり、独自の朱印状を使用して北条家から独立した支配を行った。 | |||
上田 | 朝直 | 60 | 35 | 50 | 52 | 31 | 12 | |
通常版 | 1509 | |||||||
うえだ | のりさだ | 国人 | 神仏 | 60 | (1536-1595)北条家臣。朝直の次男。父や兄・長則と同じく、松山城の城下町経営に努めた。豊臣秀吉の小田原征伐に際して小田原城に籠城し、落城後、行方不明となった。 | |||
上田 | 憲定 | 58 | 22 | 30 | 50 | 34 | 12 | |
通常版 | 1551 | |||||||
くき | よしたか | 海賊 | 神仏 | 59 | (1542-1600)織田家臣。志摩海賊衆の1人。木津川口合戦での大敗を契機に「鉄甲船」を建造し、毛利水軍を粉砕する。その功で大名に出世し「海賊大名」の異名をとった。 | |||
九鬼 | 嘉隆 | 23 | 66 | 49 | 50 | 65 | 03 | |
通常版 | 1557 | 斉射・1 | 破壊 |