武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いしまき | やすまさ |
武士 | 神仏 | 80 |
(1534-1613)北条家臣。御馬廻衆の1人で、評定衆を務めた。主君・氏直が上洛を反古にした際、弁明のために豊臣秀吉のもとに赴いた。主家滅亡後は徳川家康に仕えた。
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石巻 |
康敬 |
60 | 24 | 34 |
55 | 53 |
91 |
通常版 | 1549 |
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いい | なおたか |
武士 | 神仏 | 70 |
(1590-1659)徳川家臣。直政の次男。病弱だった兄・直継に代わって家督を継ぎ、近江彦根藩主となった。大坂夏の陣に参陣し、長宗我部盛親・木村重成の両軍を撃破した。
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井伊 |
直孝 |
68 | 69 | 53 |
61 | 69 |
91 |
通常版 | 1605 |
突撃・1 |
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ほんだ | ただまさ |
武士 | 神仏 | 57 |
(1575-1631)徳川家臣。忠勝の嫡男。小田原征伐や関ヶ原合戦、大坂の陣などに従軍し、播磨姫路15万石を領した。嫡男・忠刻は豊臣秀頼と死別した千と結婚している。
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本多 |
忠政 |
55 | 44 | 52 |
45 | 73 |
91 |
通常版 | 1590 |
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まきの | やすなり |
武士 | 神仏 | 55 |
(1555-1609)徳川家臣。牛久保城主。関ヶ原合戦では徳川秀忠軍に属す。上田城攻めで奮戦するが、軍令違反があり、蟄居する。のちに許されるが、健康を害して隠居した。
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牧野 |
康成 |
35 | 48 | 50 |
43 | 58 |
91 |
通常版 | 1570 |
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とくなが | ながまさ |
武士 | 神仏 | 64 |
(1549-1612)柴田家臣。賤ヶ岳合戦の際、主君・勝豊とともに豊臣秀吉の傘下に入る。秀吉の死後、朝鮮に渡って全軍に撤退命令を伝えた。関ヶ原合戦では東軍に属した。
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徳永 |
寿昌 |
57 | 22 | 61 |
52 | 33 |
91 |
通常版 | 1564 |
鼓舞 |
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はら | ながより |
国人 | 神仏 | 57 |
(1544-1600)織田家臣。柴田勝家の与力となる。賤ヶ岳合戦では柴田軍の先鋒として奮戦し、戦後、豊臣家に仕える。関ヶ原合戦で西軍に属して活躍したが、戦後自害した。
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原 |
長頼 |
30 | 63 | 49 |
27 | 61 |
91 |
通常版 | 1559 |
突撃・1 |
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たかやま | しげとも |
武士 | 基督教 | 63 |
(1553-1615)織田家臣。高槻城主。友照の子。父とともに入信する。各地の合戦で活躍するが改宗を拒否したため改易された。流浪の後、江戸幕府の命で呂宋へ追放された。
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高山 |
重友 |
64 | 50 | 59 |
70 | 51 |
91 |
通常版 | 1568 |
斉射・1 |
収拾 |
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やぎゅう | むねよし |
剣豪 | 神仏 | 80 |
(1527-1606)大和の豪族。上泉信綱に師事して奥義を会得、柳生新陰流を開く。のちに徳川家康に招かれて柳生新陰流を伝授した。以後、柳生家は徳川家兵法師範となった。
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柳生 |
宗厳 |
18 | 84 | 56 |
63 | 85 |
91 |
通常版 | 1542 |
槍衾・2 |
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もりした | みちよ |
武士 | 神仏 | 45 |
(1537-1581)山名家臣。中村春続とともに主君・豊国を追放し、吉川経家に属して鳥取城を守る。しかし羽柴秀吉の「渇え殺し」戦法に敗れ、経家や春続とともに自害した。
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森下 |
通与 |
29 | 48 | 55 |
43 | 42 |
91 |
通常版 | 1552 |
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よしおか | さだかつ |
国人 | 神仏 | 75 |
(1532-1606)山名家臣。防己尾城主。羽柴秀吉の因幡侵攻軍に対抗し、千成瓢箪の馬標を奪うなど勇名を馳せる。しかし鳥取城落城により逃亡し、娘夫婦を頼って帰農した。
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吉岡 |
定勝 |
15 | 63 | 48 |
32 | 48 |
91 |
通常版 | 1547 |
槍衾・1 |
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さだ | たかおき |
武士 | 神仏 | 70 |
(1519-1588)大内家臣。宇佐郡代を務めた。主家滅亡後は大友家に属し、宇佐郡衆の中核として活躍した。安心院麟生が大友家に背いた際は、本領安堵を条件に帰順させた。
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佐田 |
隆居 |
49 | 43 | 54 |
54 | 66 |
91 |
通常版 | 1534 |
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さだ | しげつな |
武士 | 神仏 | 53 |
(1541-1593)大友家臣。隆居の子。宇佐郡衆を率いて各地の合戦に従軍した。耳川合戦で主家が大敗したあと、主家を離反する国人が続出する中、引き続き大友家に仕えた。
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佐田 |
鎮綱 |
51 | 44 | 40 |
51 | 74 |
91 |
通常版 | 1556 |
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むかい | まさつな |
海賊 | 神仏 | 69 |
(1557-1625)武田家臣。父・正重が徳川軍の攻撃を受けて戦死したため、家督を相続する。主家滅亡後は徳川家に仕えて御船奉行となり、徳川水軍の中核として活躍した。
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向井 |
正綱 |
10 | 64 | 51 |
37 | 75 |
91 |
PK追加 | 1572 |
斉射・1 |
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