武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
はりゅう | もりのぶ |
重臣 | 神仏 | 73 |
(1553-1625)蘆名家臣。盛幸(蘆名盛滋の子)の孫。1576年、金上盛実と席次の上下を争ったという。関ヶ原合戦で西軍に属したため所領を失い、伊達家に仕えた。
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針生 |
盛信 |
43 | 23 | 34 |
37 | 26 |
47 |
通常版 | 1568 |
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まつもと | うじすけ |
重臣 | 神仏 | 51 |
(1525-1575)蘆名家臣。舜輔の子。松本家は蘆名四天の宿老の一。図書助と称し、船岡城主を務めた。1575年、田村清顕の軍と安積郡福原で戦った際に戦死した。
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松本 |
氏輔 |
48 | 42 | 38 |
46 | 36 |
47 |
通常版 | 1540 |
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ひねの | ひろなり |
武士 | 神仏 | 83 |
(1520-1602)豊臣家臣。はじめ斎藤家に仕え、織田信長と戦う。主家滅亡後は浅井家に属し、浅井家の滅亡後、豊臣家に仕えた。合戦に実用的な兜「日根野鉢」を考案した。
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日根野 |
弘就 |
37 | 47 | 47 |
46 | 27 |
47 |
通常版 | 1535 |
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みつぎ | なおより |
武士 | 神仏 | 58 |
(1497-1554)飛騨の豪族。桜洞城を築いて居城とし、版図を拡大する。飛騨国司・姉小路家や美濃の土岐家、本願寺などと友好関係を結び、飛騨国内に一大勢力を築いた。
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三木 |
直頼 |
72 | 64 | 76 |
61 | 28 |
47 |
通常版 | 1512 |
突撃・1 |
破壊 |
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みつぎ | くにつな |
高家 | 神仏 | 40 |
(1546-1585)姉小路家臣。主君・頼綱の妹を娶る。金森長近率いる飛騨侵攻軍に敗れ、捕縛されるが助命される。のち、長近の支配に不満を持ち謀叛を起こすが、敗死した。
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三木 |
国綱 |
36 | 17 | 57 |
45 | 12 |
47 |
通常版 | 1561 |
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ほそかわ | もちたか |
高家 | 神仏 | 57 |
(1497-1553)阿波守護。播磨守護・赤松晴政の要請により尼子晴久と備中で戦うが敗れる。のち足利義栄を擁し入京を試みるが、家臣の三好義賢と対立し、義賢に殺された。
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細川 |
持隆 |
44 | 31 | 34 |
53 | 40 |
47 |
通常版 | 1512 |
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さは | たかひで |
国人 | 神仏 | 75 |
(1522-1596)石見の豪族。はじめ大内家に属す。主家滅亡後は毛利家に仕え、石見平定戦で活躍した。主君・輝元の朝鮮出陣の際は、輝元の居城・広島城の留守居を務めた。
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佐波 |
隆秀 |
43 | 40 | 52 |
47 | 38 |
47 |
通常版 | 1537 |
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