武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
うどの | うじなが |
高家 | 神仏 | 76 |
(1549-1624)今川家臣。長照の子。父が戦死した際に徳川家康に捕らえられ、家康の妻子と引き換えに駿府城に赴く。主家滅亡後は徳川家に属し、長篠合戦などに従軍した。
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鵜殿 |
氏長 |
34 | 6 | 20 |
66 | 20 |
27 |
通常版 | 1564 |
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やしろ | まさくに |
国人 | 神仏 | 63 |
(1525-1587)信濃の豪族。屋代城主。はじめ村上義清に属すが、武田信玄の信濃侵攻軍に降り家臣となる。武田家の滅亡後は、海津城主となった織田家臣・森長可に従った。
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屋代 |
政国 |
54 | 49 | 46 |
44 | 51 |
27 |
通常版 | 1540 |
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やしろ | かつなが |
国人 | 神仏 | 66 |
(1558-1623)武田家臣。満正の子。伯父・政国の養子となる。主家滅亡後は徳川家康の信濃平定に協力し、以後は徳川家に仕えた。大坂冬・夏の両陣では旗奉行を務めた。
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屋代 |
勝永 |
40 | 46 | 52 |
42 | 42 |
27 |
通常版 | 1573 |
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すすきだ | かねすけ |
武士 | 神仏 | 38 |
(1578-1615)豊臣家臣。大坂冬の陣で博労ヶ淵砦の守備に失敗し、「橙武者」と嘲られた。大坂夏の陣で勇戦し、戦死した。ヒヒ退治の豪傑・岩見重太郎と同一人物という。
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薄田 |
兼相 |
1 | 57 | 2 |
5 | 39 |
27 |
通常版 | 1593 |
槍衾・1 |
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はたの | はるみち |
国人 | 神仏 | 45 |
(1521-1565)管領細川家臣。稙通の子。三好軍の度重なる攻撃を受ける。撃退に努めるがのちに松永久秀に降り、城を追われた。居城の八上城には久秀の甥・彦六が入った。
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波多野 |
晴通 |
38 | 45 | 44 |
54 | 48 |
27 |
通常版 | 1536 |
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はたの | むねたか |
国人 | 神仏 | 65 |
(1509-1573)波多野家臣。氷上城主。「丹波鬼」の異名をとった勇将。正親町天皇即位の際は主君・秀治とともに金銀を献上した。朝倉家の援軍として越前に赴き戦死した。
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波多野 |
宗高 |
62 | 56 | 54 |
53 | 74 |
27 |
通常版 | 1524 |
突撃・1 |
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ほんごう | ときひさ |
国人 | 神仏 | 67 |
(1530-1596)日向の豪族。庄内領主。島津家に属して伊東家や肝付家の軍勢と戦った。豊臣秀吉の九州征伐軍に降伏し、所領を安堵された。のちに薩摩宮之城へ転封された。
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北郷 |
時久 |
54 | 43 | 47 |
51 | 49 |
27 |
通常版 | 1545 |
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おがわ | すけただ |
国人 | 神仏 | 55 |
(1547-1601)近江の豪族。明智光秀に属す。光秀の死後は柴田勝豊の家老を経て豊臣秀吉に仕え、伊予府中7万石を領した。関ヶ原合戦で東軍に寝返るが、戦後改易された。
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小川 |
祐忠 |
26 | 28 | 60 |
34 | 21 |
27 |
PK追加 | 1562 |
混乱 |
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