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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
かきざき | みつひろ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 蝦夷 | 武将 | (1456-1518)蠣崎家2代当主。徳山館を築いた。アイヌの軍勢を撃退し、また安東家に働きかけて松前守護職の追認を得るなど、蠣崎家の蝦夷支配権を確実なものとした。
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蠣崎 |
光広 |
68 | 63 | 81 |
B |
12 | 87 |
長槍 | 哀願 |
虚報 | 焙烙 |
迎撃 |
うえすぎ | あきさだ |
幕府 | 天下布武 | 南越後 | 高家 | (1454-1510)関東管領。長尾景春の乱を引き起こし、太田道灌を上杉定正に中傷して道灌を暗殺させるなど、関東に戦乱を招いた。長森原合戦で長尾為景に敗れ、討たれた。
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上杉 |
顕定 |
71 | 72 | 36 |
B |
44 | 96 |
騎馬 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
放火 |
うえすぎ | のりふさ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 上野 | 旧仏教 | (1467-1525)関東管領。上杉顕定の養子となる。養父の死後、上杉顕実(足利政氏の弟)が家督を継ぐが、古河公方家の内紛に乗じて憲実を追い出し、上杉家当主となった。
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上杉 |
憲房 |
63 | 27 | 27 |
B |
60 | 63 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
うえすぎ | ともよし |
幕府・名声 | 天下布武 | 武蔵 | 高家 | (1471-1518)扇谷上杉家当主。伯父・定正の養子となる。北条早雲と結んで山内上杉家と戦うが敗れ、隠居した。古河公方家の内紛では調停役を務めるが、成功しなかった。
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上杉 |
朝良 |
46 | 40 | 37 |
B |
41 | 39 |
長槍 | 茶湯 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
うえだ | まさもり |
名声 | 好戦陰湿 | 武蔵 | 武将 | (1471-1530)扇谷上杉家臣。1510年、北条早雲に通じ、権現山城主となる。早雲とともに山内・扇谷上杉家連合軍と戦うが、連合軍の猛攻により敗北、居城を奪われた。
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上田 |
政盛 |
18 | 30 | 70 |
B |
5 | 68 |
足軽 | 弁舌 |
混乱 | 誘導 |
- |
みうら | よしあつ |
幕府 | 好戦人情 | 相模伊豆 | 武将 | (1464-1516)扇谷上杉家臣。道寸と号す。養父・時高を討って家督を継ぐ。岡崎城に拠って北条早雲と戦うが敗北し、「砕けて後はもとの土くれ」の辞世を遺して自害した。
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三浦 |
義同 |
33 | 84 | 44 |
B |
76 | 39 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
放火 |
みうら | よしおき |
幕府 | 好戦直情 | 相模伊豆 | 武将 | (1496-1516)扇谷上杉家臣。義同の子。新井城主を務めた。85人力と武勇を評された。父とともに北条早雲と戦うが、敗れて戦死。その首は3年間も死ななかったという。
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三浦 |
義意 |
18 | 76 | 33 |
B |
91 | 21 |
騎馬 | 哀願 |
焙烙 | 誘導 |
迎撃 |
まつだいら | のぶただ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 三河 | 武将 | (1492-1531)三河の豪族。長親の子。父の隠居により家督を継ぐが、器量が乏しく家臣の離反が相次いだため、子・清康に家督を譲り隠居した。隠居後は清康を補佐した。
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松平 |
信忠 |
21 | 52 | 18 |
B |
43 | 50 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
うえすぎ | ふさよし |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 南越後 | 高家 | (1460-1507)越後守護。房定の三男。関東管領となった兄・顕定の実力を背景に、国内支配を強化しようとしたため家臣団と対立し、守護代・長尾為景に謀叛され自害した。
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上杉 |
房能 |
50 | 38 | 51 |
B |
79 | 22 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
さんぽんじ | さだたね |
無し | 保守鷹派 | 南越後 | 武将 | (1438-1507)越後上杉家臣。山本寺家は越後上杉家の庶流で、父・朝定は越後守護・上杉房朝(房定の義父)の弟。越後守護代・長尾為景の謀叛の際、主君・房能に殉じた。
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山本寺 |
定種 |
58 | 25 | 40 |
B |
92 | 12 |
長槍 | 登用 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
ほそかわ | もとつね |
幕府 | 保守鷹派 | 河内和泉 | 高家 | (1482-1554)細川家臣。細川澄元・高国の争いでは澄元に属し、和泉半国守護を罷免される。澄元の死後は晴元(澄元の子)に属し、晴元の家督相続後、守護に復帰した。
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細川 |
元常 |
32 | 54 | 45 |
B |
54 | 57 |
鉄砲 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
- |
ほそかわ | よしはる |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 阿波淡路 | 高家 | (1461-1497)阿波守護。成之の次男。1479年、伊予に侵攻し、河野家と戦うが、撃退された。兄・政之の死後、父の後見を受けて家督を継ぐが、わずか数年で早世した。
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細川 |
義春 |
30 | 37 | 34 |
B |
24 | 29 |
足軽 | 哀願 |
収拾 | 迎撃 |
- |
かきざき | のぶひろ |
朝廷 | 好戦陰湿 | 蝦夷 | 武将 | (1549-1612)室町後期の豪族。蝦夷の蠣崎季繁に客将として迎えられ、季繁の娘を娶る。のちにアイヌの族長・コシャマインが乱を起こした際、これを鎮定する功を立てた。
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蠣崎 |
信広 |
88 | 36 | 93 |
B |
9 | 85 |
長槍 | 商業 |
離反 | 密偵 |
誘導 |
うえすぎ | さだまさ |
幕府・名声 | 好戦直情 | 武蔵 | 武将 | (1552-1603)室町後期の武将。扇谷上杉家当主。関東管領・上杉顕定を助けて活躍するが、顕定の謀略により家臣・太田道灌を殺害。のちに顕定とも対立し、陣中で事故死。
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上杉 |
定正 |
58 | 37 | 77 |
B |
50 | 29 |
騎馬 | 商業 |
挑発 | 分断 |
- |
かじわら | かげとき |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 相模伊豆 | 武将 | (1559-1609)鎌倉幕府の御家人。源頼朝に仕えて活躍した。権勢欲が強く讒言で人を陥れることが多かったため、頼朝の死後ほかの御家人から排斥され、逃亡中に討たれた。
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梶原 |
景時 |
83 | 18 | 95 |
B |
4 | 79 |
足軽 | 弁舌 |
混乱 | 虚報 |
- |
みなもと | ためとも |
幕府 | 保守鷹派 | 武蔵 | 高家 | (1563-1601)平安末期の武将。鎮西八郎と称す。保元の乱では崇徳上皇を擁して奮戦するが敗れ、伊豆大島に流される。のちに狩野茂光率いる追討軍に攻められ、自害した。
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源 |
為朝 |
54 | 90 | 53 |
B |
55 | 42 |
長槍 | 登用 |
威圧 | 治療 |
突入 |
みなもと | よしつね |
朝廷 | 好戦人情 | 山城 | 高家 | (1561-1591)源平期の武将。兄・源頼朝の挙兵に応じ一の谷合戦や壇ノ浦合戦で縦横無尽の活躍を見せるが、のちに対立。身を寄せた奥州藤原家に裏切られ、自害した。
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源 |
義経 |
30 | 100 | 99 |
B |
100 | 24 |
騎馬 | 登用 |
虚報 | 焙烙 |
突入 |
かねまき | じさい |
無し | 好戦直情 | 遠江 | 国人 | (1553-1622)遠江国出身の剣豪。富田勢源に富田流の剣術を学ぶ。のちに創意工夫を加え「鐘巻流」を創始した。伊藤一刀斎や佐々木小次郎らに剣術を伝授したといわれる。
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鐘捲 |
自斎 |
35 | 92 | 37 |
B |
64 | 19 |
長槍 | 剣豪 |
威圧 | 迎撃 |
放火 |