2014年03月02日 豊田市 渡辺守綱関連 [長年日記]
_ 自転車を使って豊田市街をブラブラ。
この地も矢作川を境に織田氏と松平氏の攻防が繰り広げられていたようで、 「織田兵に焼かれた…」という伝承の残るお寺も。
コレは豊田城?
随應院という立派な構えのお寺があったので入ってみると、槍の半蔵こと渡辺守綱夫人(平岩親吉の妹?)をはじめとした渡辺家夫人の墓所
随應院の近くには渡辺家の菩提寺・渡邊山守綱寺。(当然ながら宗派は真宗)槍の半蔵こと渡辺守綱をはじめとした歴代の墓々。墓石の形がちょっとユニーク
守綱寺を出て矢作川へ向かうと守綱神社。豊田市寺部地区では渡辺守綱推しが凄いな…
守綱神社の裏手には寺部城跡。矢作川に隣接していて、ここも織田家と松平家の衝突地帯。(佐久間信盛さんも陥としたという話)徳川家康が初陣で攻め落とした城でもあります。
2014年03月09日 岡崎市 藤川宿 [長年日記]
_ 陽が暖かくなったので旧東海道をサイクリング。久々に岡崎へ入ったら矢作橋の蜂須賀小六・秀吉出会いの像が復活。
藤川宿に向かって国道1号線を走っていたら「美味しいチャーハンの店 三国志」って看板が見えて、どんなメニューが出てくるのか非常に気になった。曹操の梅肉風味とか?
次は本多忠勝公の甲冑が眼を引く人形工房の看板。(行ってみたら立派な店構えに圧倒されて写真を撮るのを忘れました)
旧東海道の藤川宿を通過。途中に松並木や本陣跡、観光用に最近建てた高札なども。
東海道五十三次の浮世絵で描かれることの多い東棒鼻(宿場への出入口)
江戸期に藤川宿の本陣を治めた代官屋敷。看板によると、設置したのは柴田勝家(厳密には養子の勝政)の子孫
東海道を更に進み本宿の法蔵寺へ到着。徳川家康が幼少の頃に手習いをした由縁から、寺内には葵の紋がチラホラ
法蔵寺には新撰組隊長・近藤勇の首塚もあってビックリ。てっきり処刑された東京の方にあるものと思ってました
法蔵寺を出て東海道を北上。途中で山中八幡宮という大きめの神社があったので立ち寄ったら。三河一向一揆の際、徳川家康が逃げこんだ鳩ヶ窟でした。思った以上に狭くて家康も若い頃はスリムだったのですね。
道の駅・藤川宿には鳩ヶ窟つながりで、ハトを手に持った家康像。「むらさき麦うどん」を食べて一服したあと帰宅。
2014年03月23日 刈谷 境川周辺 [長年日記]
_ 天気が良いので再び旧東海道を自転車でぶらぶら。ココの富士松という地名は桶狭間の合戦後、今川兵に織田信長方の間者に間違われて殺された「お富士」という旅人を偲んで植えられた松に由来(当時の松は伊勢湾台風で枯れてしまったそうです)