武将姓 | 武将名 | 出自 | 信心 | 寿命 | (生年-没年) | |||
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 | 教養 | 義理 | 相性 | 列伝 |
いしかわ | かずまさ | 武士 | 神仏 | 60 | (1533-1592)徳川家臣。家老を務め、西三河衆を率いて活躍した。小牧長久手合戦の後、豊臣家へ出奔。そのため、徳川家は三河以来の軍制を武田流に改めることになった。 | |||
石川 | 数正 | 76 | 51 | 72 | 70 | 38 | 96 | |
通常版 | 1548 | 斉射・1 | 挑発 | |||||
いしかわ | やすなが | 武士 | 神仏 | 85 | (1558-1642)徳川家臣。数正の子。父に従い主家を出奔、豊臣家に属す。父の死後、信濃松本6万石を相続。関ヶ原合戦では東軍に属す。のちに領地隠匿の罪で改易された。 | |||
石川 | 康長 | 44 | 14 | 34 | 44 | 47 | 96 | |
通常版 | 1573 | |||||||
いしかわ | いえなり | 武士 | 神仏 | 76 | (1534-1609)徳川家臣。数正の叔父。三河一向一揆の平定戦で功を立てた。今川家滅亡後、掛川城主となる。晩年は美濃大垣5万石を領した。家康への忠誠無二と評された。 | |||
石川 | 家成 | 55 | 50 | 55 | 48 | 58 | 89 | |
通常版 | 1549 |