武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
みながわ | ひろてる |
国人 | 神仏 | 80 |
(1548-1627)下野の豪族。皆川城主。俊宗の子。北条家滅亡時に徳川家康に降る。のちに家康の六男・松平忠輝の付家老となったが、忠輝の不行跡を訴えて逆に改易された。
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皆川 |
広照 |
59 | 32 | 54 |
36 | 29 |
61 |
通常版 | 1563 |
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わたなべ | さとる |
武士 | 神仏 | 79 |
(1562-1640)阿閉家臣。主家滅亡後は豊臣・中村・増田・藤堂家に歴仕した。豊臣秀吉の小田原征伐の際、山中城に一番乗りし秀吉から賞賛された。大坂の陣後、浪人した。
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渡辺 |
了 |
5 | 72 | 41 |
19 | 4 |
61 |
通常版 | 1577 |
槍衾・1 |
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くつき | もとつな |
国人 | 神仏 | 84 |
(1549-1632)近江の豪族。晴綱の子。織田信長の越前撤退の際に道案内を務め、以後は織田家に属した。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では東軍に寝返った。
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朽木 |
元綱 |
60 | 37 | 61 |
50 | 19 |
61 |
通常版 | 1564 |
収拾 |
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おか | よしまさ |
国人 | 一向宗 | 43 |
(1548-1590)紀伊の豪族。雑賀党の一員。石山本願寺に籠城して活躍した。優れた射撃の腕を持ち、織田信長が攻め寄せた際、信長を狙撃し大腿部に重傷を負わせたという。
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岡 |
吉正 |
8 | 53 | 44 |
24 | 62 |
61 |
通常版 | 1563 |
斉射・1 |
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つちばし | もりしげ |
国人 | 一向宗 | 65 |
(1518-1582)紀伊の豪族。4人の子とともに石山本願寺に籠城して戦い、信長軍を苦しめた。のちに石山本願寺を退去するが、所領に戻って抵抗を続けたため、謀殺された。
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土橋 |
守重 |
16 | 53 | 36 |
38 | 71 |
61 |
通常版 | 1533 |
槍衾・1 |
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たじり | あきたね |
国人 | 神仏 | 60 |
(1529-1588)筑後の豪族。鷹尾城主。龍造寺隆信に仕え、三池鎮実攻めで先鋒を務めた。一時隆信と不和になるが、間もなく和解。朝鮮派兵に従軍し「高麗日記」を著した。
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田尻 |
鑑種 |
54 | 37 | 41 |
63 | 32 |
61 |
通常版 | 1544 |
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しぎょう | たねかね |
武士 | 神仏 | 55 |
(1530-1584)江上家臣。のち主君・武種とともに龍造寺家に属す。勇将として知られ、各地の合戦で活躍した。沖田畷合戦では具足をつけず羽織袴で奮戦するが、戦死した。
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執行 |
種兼 |
39 | 63 | 51 |
42 | 62 |
61 |
通常版 | 1545 |
槍衾・1 |
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ほんどう | しげちか |
国人 | 神仏 | 61 |
(1585-1645)出羽の豪族。本堂城主。本堂忠親の死により家督相続。関ヶ原合戦では、徳川家康の命で本堂城を守った。のちに常陸新治郡に転封され、志筑に陣屋を定めた。
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本堂 |
茂親 |
54 | 28 | 41 |
46 | 47 |
61 |
PK追加 | 1600 |
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