武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
とざわ | みちもり |
武士 | 神仏 | 81 |
(1524-1604)戸沢家16代当主。角館城主。秀盛の嫡男。父の死により、幼少の身で家督を継ぐ。その後、若くして隠居し、孫・政盛の移封先である常陸小河城で死去した。
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戸沢 |
道盛 |
40 | 48 | 50 |
48 | 53 |
39 |
通常版 | 1529 |
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とざわ | もりしげ |
武士 | 神仏 | 42 |
(1551-1592)戸沢家17代当主。角館城主。道盛の嫡男。病弱のため、早くに家督を弟・盛安に譲って出家する。のちに還俗し戸沢政重(祖父・秀盛の弟)の養子となった。
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戸沢 |
盛重 |
36 | 19 | 61 |
59 | 31 |
39 |
通常版 | 1566 |
鼓舞 |
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とざわ | もりやす |
武士 | 神仏 | 25 |
(1566-1590)戸沢家18代当主。角館城主。道盛の三男。積極的な軍事行動で戸沢家最大の版図を築いた。「夜叉九郎」の異名をとった反面、慈悲深い一面もあったという。
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戸沢 |
盛安 |
49 | 76 | 56 |
64 | 81 |
39 |
通常版 | 1581 |
突撃・2 |
神速 |
破壊 |
とざわ | まさもり |
武士 | 神仏 | 64 |
(1585-1648)戸沢家20代当主。角館城主。盛安の庶子。叔父・光盛の死後、家督を継ぐ。関ヶ原合戦では上杉家の酒田城を攻略、大坂の陣では小田原城などを守備した。
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戸沢 |
政盛 |
63 | 65 | 46 |
55 | 76 |
39 |
通常版 | 1600 |
突撃・1 |
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いわかみ | ともかた |
重臣 | 神仏 | 39 |
(1554-1592)結城家臣。旧姓は三浦。主君・晴朝から結城四天王の一・岩上姓の名乗りを許された。佐竹義重や田村清顕と文書のやりとりを行うなど、外交面で活躍した。
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岩上 |
朝堅 |
68 | 22 | 51 |
65 | 63 |
39 |
通常版 | 1569 |
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ながお | まさなが |
高家 | 神仏 | 43 |
(1527-1569)足利長尾家当主。山内上杉家に仕えた。主君・上杉憲当(憲政)の偏諱を受けて「当長」を名乗った。由良成繁とともに上杉・北条両家の仲介に活躍した。
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長尾 |
当長 |
60 | 38 | 46 |
53 | 63 |
39 |
通常版 | 1542 |
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ながの | ふじさだ |
国人 | 神仏 | 37 |
(1526-1562)長野工藤家15代当主。南伊勢の支配を巡って北畠家と争う。男子に恵まれず、のちに北畠具教の次男・具藤を養子として和睦した。以後は北畠家に属した。
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長野 |
藤定 |
53 | 46 | 45 |
50 | 58 |
39 |
通常版 | 1541 |
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ほその | ふじあつ |
国人 | 神仏 | 64 |
(1540-1603)長野家臣。藤光の嫡男。織田信長の伊勢侵攻軍に対して徹底抗戦を主張、安濃城に籠城して抗戦を続けたが、のちに和睦した。本能寺の変後は豊臣家に仕えた。
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細野 |
藤敦 |
63 | 36 | 59 |
52 | 61 |
39 |
通常版 | 1555 |
挑発 |
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わけべ | みつよし |
国人 | 神仏 | 50 |
(1552-1601)長野家臣。細野藤光の次男。織田信長の伊勢侵攻軍に対して恭順を主張し、長野家を継いだ織田信包に属した。のちに豊臣秀吉に仕え、伊勢上野城主となった。
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分部 |
光嘉 |
48 | 58 | 37 |
53 | 42 |
39 |
通常版 | 1567 |
斉射・1 |
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うえだ | みつつぐ |
忍者 | 神仏 | 75 |
(1512-1586)伊賀の豪族。伊賀十二人衆の中心人物。織田信雄の伊賀侵攻の際は、信雄の臣・柘植三郎左衛門を討ち、織田軍を撃退した。のち織田軍に敗れ、三河に逃れた。
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植田 |
光次 |
23 | 63 | 58 |
34 | 58 |
39 |
通常版 | 1527 |
槍衾・1 |
破壊 |
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