武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
なみおか | あきむら |
高家 | 神仏 | 48 |
(1555-1602)浪岡北畠家当主。具運の子。安東愛季の娘を娶る。津軽為信に居城・浪岡城を落とされたため安東家を頼り、北畠弾正と改名した。落城時に自害したともいう。
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浪岡 |
顕村 |
56 | 25 | 31 |
67 | 75 |
11 |
通常版 | 1570 |
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さの | むねつな |
武士 | 神仏 | 31 |
(1556-1586)佐野家16代当主。昌綱の嫡男。佐竹家と結んで北条家に対抗。また軍事・経済両面の改革を進めるが、家臣の反発を招いた。のちに須花坂の戦いで戦死した。
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佐野 |
宗綱 |
37 | 54 | 28 |
38 | 67 |
11 |
通常版 | 1571 |
突撃・1 |
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ばん | なおゆき |
武士 | 神仏 | 49 |
(1567-1615)加藤家臣。鉄砲大将を務めたが、関ヶ原合戦の際に主君・嘉明と対立して出奔、浪人となる。のちに大坂城に入城、大坂夏の陣で浅野長晟軍と戦い、戦死した。
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塙 |
直之 |
2 | 62 | 6 |
5 | 35 |
11 |
通常版 | 1582 |
斉射・1 |
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うじいえ | ゆきひろ |
武士 | 神仏 | 70 |
(1546-1615)豊臣家臣。卜全の子。小田原征伐に従軍し、伊勢桑名2万2千石を得る。関ヶ原合戦で西軍に属し、戦後流浪。大坂城に入り、大坂夏の陣で豊臣秀頼に殉じた。
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氏家 |
行広 |
28 | 50 | 37 |
45 | 53 |
11 |
通常版 | 1561 |
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もり | よしゆき |
武士 | 神仏 | 65 |
(1526-1590)筒井家臣。島清興・松倉重信とともに、筒井家三老臣の1人に数えられる。家中で重要な地位を占めたが、主君・定次と対立して致仕、大和に戻って帰農した。
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森 |
好之 |
63 | 30 | 45 |
57 | 54 |
11 |
通常版 | 1541 |
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あまご | はるひさ |
守護代 | 神仏 | 47 |
(1514-1560)出雲の戦国大名。祖父・経久の死後家督を継ぎ、中国8カ国の守護となる。毛利元就の謀略により新宮党を討ち、自ら弱体化を招いた。毛利軍と交戦中に急死。
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尼子 |
晴久 |
55 | 53 | 30 |
66 | 47 |
11 |
通常版 | 1529 |
突撃・1 |
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あまご | よしひさ |
守護代 | 神仏 | 71 |
(1540-1610)出雲の戦国大名。月山富田城主。晴久の子。居城に籠城して毛利元就の出雲遠征軍に対抗するが、筆頭家老・宇山久兼を殺すなど、元就の離間策の前に敗れた。
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尼子 |
義久 |
25 | 18 | 19 |
56 | 50 |
11 |
通常版 | 1555 |
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きもつき | かねもり |
武士 | 神仏 | 40 |
(1561-1600)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。次兄・兼亮の追放により家督を継ぐが、島津軍の攻撃を受けて敗れ、所領を差し出し降伏した。関ヶ原合戦で戦死した。
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肝付 |
兼護 |
29 | 27 | 13 |
19 | 49 |
11 |
通常版 | 1576 |
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なみおか | ちかよし |
高家 | 神仏 | 54 |
(1575-1628)安東家臣。顕村の子。津軽為信に居城・浪岡城を奪われた父とともに安東家を頼る。のちに北畠右近と改名し、使者として豊臣秀吉のもとに赴くなど活躍した。
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浪岡 |
慶好 |
54 | 9 | 28 |
61 | 57 |
11 |
PK追加 | 1590 |
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あだち | しげのぶ |
武士 | 神仏 | 63 |
(1563-1625)加藤家臣。関ヶ原合戦では主君・嘉明の居城・伊予松前城の留守居役を務めて毛利軍を撃退し、家老となる。河川工事にすぐれ、領内の灌漑と水防を行った。
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足立 |
重信 |
61 | 62 | 49 |
44 | 70 |
11 |
PK追加 | 1578 |
突撃・1 |
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