武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
なす | | まさすけ |
通常版 |
下野 |
1522 |
(1507-1546)下野の戦国大名。那須家は藤原道長の曾孫・資家が始祖。資隆の代ではじめて那須姓を称した。資隆の子が、屋島の合戦で扇の的を射抜いた与一宗隆である。 |
那須 | | 政資 |
武将 | 弓 |
[連射] |
50 | 54 | 50 |
55 | 75 |
56 |
なす | | たかすけ |
通常版 |
下野 |
1543 |
(1528-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。のち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。 |
那須 | | 高資 |
武将 | 弓 |
[訓練] [収拾] [連射] |
34 | 69 | 17 |
65 | 45 |
54 |
なす | | すけたね |
通常版 |
下野 |
1546 |
(1531-1583)下野の戦国大名。政資の次男。兄・高資の横死後、大関高増らの後見で家督を継ぐ。のちに高増ら上那須衆と対立して攻撃を受け敗北、隠居を条件に和睦した。 |
那須 | 次郎 | 資胤 |
武将 | 弓 |
[連射] |
17 | 33 | 40 |
79 | 60 |
55 |
なす | | すけはる |
通常版 |
下野 |
1572 |
(1557-1610)下野の戦国大名。資胤の嫡男。薄葉ヶ原合戦で宇都宮軍に大勝し、近隣に武名を轟かせた。豊臣秀吉の小田原征伐の際に遅参したため、所領を没収された。 |
那須 | 弥太郎 | 資晴 |
武将 | 弓 |
[激励] [連射] |
26 | 36 | 30 |
45 | 55 |
56 |
なす | | すけかげ |
通常版 |
下野 |
1601 |
(1586-1656)下野那須藩主。資晴の嫡男。小田原征伐に遅参して改易された父に代わって5千石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属した。大坂の陣にも参加し、功を立てた。 |
那須 | 与一 | 資景 |
武将 | 槍 |
[改修] |
29 | 14 | 36 |
47 | 65 |
55 |