武将姓 | 武将名 |
政 | 采 | 智 | 列伝 |
ごとう | のぶやす |
武将通常版 |
(1555-1614)伊達家臣。湯目重弘の子で、後藤家を継ぐ。檜原城を守り、蘆名家に備えた。知勇に秀で、合戦では必ず黄色の母衣を用いたため「黄後藤」の異名をとった。 |
後藤 | 信康 |
8 | 63 | 32 |
ごとう | かたとよ |
武将通常版 |
(1519-1563)六角家臣。進藤家とともに「六角家の両藤」と称された。主君・義賢親子が上洛した際は警護役を務めた。いわゆる観音寺騒動において主君・義治に殺された。 |
後藤 | 賢豊 |
67 | 44 | 54 |
ごとう | たかはる |
武将通常版 |
(1544-1589)六角家臣。賢豊の次男。観音寺騒動で父が死去したのち、家督を継ぐ。進藤家と並ぶ「両藤」として義治の重臣となったが、織田信長の上洛軍に敗れ降伏した。 |
後藤 | 高治 |
30 | 12 | 35 |
ごとう | もとつぐ |
武将通常版 |
(1560-1615)黒田家臣。侍大将を務めるが、謀叛の嫌疑により浪人。のち豊臣秀頼に招かれ、大坂城に入る。人望を集め、徳川軍相手に奮戦するが、大坂夏の陣で戦死した。 |
後藤 | 基次 |
16 | 77 | 58 |
ごとう | かつくに |
武将通常版 |
(1510-1559)美作の豪族。三星城主。後藤家は代々、塩湯郷地頭職を務めた家柄。父・勝政が立石家を攻めて戦死したため家督を継ぎ立石家を滅ぼして東美作に覇を唱えた。 |
後藤 | 勝国 |
34 | 51 | 46 |
ごとう | かつもと |
武将通常版 |
(1538-1579)美作の豪族。三星城主。勝国の子。近隣豪族を支配下に置き、また尼子家や浦上家と友好を結んで、後藤家を隆盛に導いた。のち宇喜多直家に敗れて自害した。 |
後藤 | 勝元 |
36 | 62 | 22 |
ごとう | もとまさ |
武将通常版 |
(1560-1579)美作の豪族。三星城主。勝元の子。父の隠居により、家督を継ぐ。父の後見を受けて諸政策を行った。のちに宇喜多直家と争うが敗北し、城を捨てて逃亡した。 |
後藤 | 元政 |
23 | 21 | 25 |
ごとう | かつまさ |
武将PK追加 |
(1473-1530)美作の豪族。父・勝国が美和山城主・立石景泰との戦いで戦死したため、家督を継いだ。のちに美和山城を急襲して立石家を滅ぼし、東美作に覇権を確立した。 |
後藤 | 勝政 |
29 | 42 | 50 |