[信長の野望 烈風伝小ネタ]-出産メッセージ-


[烈風伝小ネタ]-出産メッセージ(1)-子供がいじめにあいそうな名前編
先回の「仕官拒否メッセージ特集」で紹介した信長のうつけ話を続けます。

この人の常識 はずれ振りは家臣だけでなく子供の名前にも及びます。
『信長の野望 烈風伝』では織田信忠北畠信雄神戸信孝 の三人の息子が登場しますが、
以下、生まれて命名する時のメッセージ

織田信忠 (信長の嫡子。父・信長より織田家の家督を譲られる)
「ほう…奇妙な顔をしておるな
 よし!幼名は…奇妙丸じゃ!」


北畠信雄 (信長の次男。伊勢国司・北畠具教の猶子となり、家督を継ぐ)
「ほう…茶筅が結えそうな髪の毛じゃ
 よし!幼名は…茶筅丸じゃ!」


神戸信孝 (信長の三男。伊勢の豪族・神戸具盛の養子となり家督を継ぐ)
「今日は何日じゃ?…三月七日か
 よし!幼名は…三七丸じゃ!」


すごく・・・適当です・・・
他にも「お鍋」という女性に産ませた子は「酌」と名付けてます。
改名が珍しくない時代だからいいんだけど、子供の頃に「奇妙御曹司」とか呼ばれて、
よくまっとうな人間になれたものです。

[おまけ:この名前もあんまりだ]
蠣崎季広:蠣崎氏第四代目当主。アイヌ民族との親睦を図り、蝦夷商船往来の制を定めた。この政策により、和人支配の確立に成功した。
「天才丸」なんて名乗る方も名乗られる方も恥ずかしい気がする・・・
これの名前でバカ殿になったら目も当てられないが、
上にいる2人の兄を差し置いて家督を継いだのだから、
それなりの器量があったのだろう。

蠣崎季広は蠣崎氏第四代目当主。 蠣崎家の始祖・信広がアイヌの首領・コシャマインを討ったため、
アイヌ民族とは長く対立関係にあったが、和睦に成功し蝦夷商船往来の制を定め交易を独占した。

「天才丸」こと三男・慶広は 1583年にその後を継ぐ。
奥州仕置を機に豊臣秀吉接近し、蝦夷地における交易権を獲得。
1599年に秀吉が没すると「松前」と改姓する。アイヌ語の「マツオマナイ(半島)」が元といわれているし、
次の天下人と目されていた徳川家康(松平元康)前田利家 から姓を1字ずつもらったものともいわれている。

[烈風伝小ネタ]-出産メッセージ(2)-子に自分と同じ名を付ける人

「この子は松平家の大事な跡取りゆえ
 幼名はわしと同じ竹千代とする!」

上記のメッセージは徳川家康 の長男・松平信康誕生時のセリフ。
その後、信康は武田家への内通を疑われ信長の命で自害。
次男・秀康(幼名・於義丸)は家康から疎まれ、豊臣秀吉の養子に出される。
さらに秀吉からも下総の結城晴朝へ養子に出されてしまう。
徳川家の家督を継いだのは3男・秀忠で、幼名も長松丸から竹千代に変えられている。

ちなみに秀忠の次男で、徳川3代将軍となった家光も竹千代と名付けられているし、
4代将軍家綱も竹千代で、若死したため弟の徳松、「犬公方」こと綱吉が将軍となる。
家綱が早世せずに、子を成していれば竹千代と名付けられていたかもしれない。

『信長の野望 烈風伝』では家康の子が5人登場し、家康が幼名と成長後の名前を考えるイベントがある。
『信長の野望 烈風伝』に登場する家康の子供と、その幼名は以下、
松平信康--竹千代
結城秀康--於義丸
徳川秀忠--長松丸
松平忠吉--福松丸
松平忠輝--辰千代

他にゲーム中、子に自分と同じ幼名をつける武将は、
佐竹義昭->> 佐竹義重->> 佐竹義宣--徳寿丸
里見義頼->> 里見義康->> 里見忠義--梅鶴丸

[おまけ:代々名乗る名前]
鈴木重秀:通称「雑賀孫一」雑賀孫市。根来や雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に籠城し、織田信長軍を苦しめた。
鈴木重秀
信長の野望シリーズを通して「雑賀孫市」として扱われている人物。
実際には雑賀衆の頭目「雑賀孫市」が誰であるかは、はっきりとしていない。

『信長の野望 烈風伝』では鈴木重秀の登場年、鈴木重朝の誕生年が
共に1561年なので、上のメッセージを見る際には「隠居」コマンドで早めに登場させる必要がある。

[烈風伝小ネタ]-出産メッセージ(3)-のこり全部
他にとりたてて特殊なコメントは無かったので(ネタ切れとも)、
以下『信長の野望 烈風伝』で誕生イベントが起きる武将と幼名を掲載します。

父親武将誕生武将幼名
伊達輝宗 伊達政宗梵天丸
伊東義祐 伊東祐兵虎熊丸
宇都宮広綱 宇都宮国綱伊勢寿丸
佐竹義重 岩城貞隆能化丸
細川晴元 細川昭元聡名丸
三好義賢 三好長治千鶴丸
小笠原貞慶 小笠原秀政幸松丸
織田信忠 織田秀信三法師
相良義陽 相良頼房長寿丸
津軽為信 津軽信牧岩丸
大友義鎮 大友義統長寿丸
長宗我部元親 長宗我部盛親千熊丸
島津義弘 島津忠恒米菊丸
筒井順昭 筒井順慶藤政
北条氏政 北条氏直国王丸
毛利元就 毛利秀包才菊丸
毛利隆元 毛利輝元幸鶴丸
豊臣秀吉 豊臣秀頼お拾

[おまけ:...ていうか、今回は「おまけ」をつける予定は無かったんですが]
長宗我部信親:長宗我部元親の嫡男。織田信長の偏諱を賜る。父や家臣から大きな期待を寄せられたが、九州征伐の際に豊後戸次川で島津軍に敗れ、戦死した。
長宗我部信親
長宗我部元親の嫡男。 信長から一字を拝領して信親と名乗った。文武に優れ、人望を集めた。
豊臣秀吉の九州征伐に従軍し、豊後戸次川合戦で戦死した。元親は非常に落胆したという。

上記画像は他と同じ誕生イベントのように見えますが実際は「千雄丸」という名付けは起こりません。
『信長の野望 烈風伝』のメッセージ処理で、誕生イベントの箇所を見てみると、
「千雄丸」の所になぜか長宗我部盛親の武将Noが振り当てられているのです。
長宗我部盛親は他に「千熊丸」のところにも武将Noが振り当てられていて、こちらは発生します。
KOEI定番シリーズの烈風伝 で修正されているか未確認。)

というわけで、[烈風伝小ネタ]-出産メッセージ編-はコーエーさんのうっかりミスで締め。

『信長の野望 烈風拳』でなく『烈風伝』です。このサイトは格闘ゲーム攻略は取り扱ってないのでご注意ください。
当サイト内の全てのページに対するリンク・アンリンクについての制限は存在しません。
当サイト内に記載された商品名、各製品名は各社の登録商標または商標です。