『信長の野望 将星録』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の変遷』

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井伊直政11115 15611575 農業商業建設 外交登用(1561-1602)徳川四天王の1人。軍装を赤で統一した軍団は「井伊の赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ヶ原合戦で島津軍を追撃、島津豊久を討ち取る。
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井伊直孝41115 15901604 農業商業建設 外交登用(1590-1659)直政の次男。病弱だった兄・直継に代わって家督を継ぎ、近江彦根藩主となる。大坂の陣に参戦し、夏の陣では長宗我部盛親・木村重成の両軍を撃破した。
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松平元康51415 15421549 農業商業建設 外交登用(1542-1616)江戸幕府の創始者。桶狭間合戦後に今川家から自立。織田家との同盟、豊臣家への臣従を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦の勝利ののちに征夷大将軍となる。
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酒井忠次41115 15271541 農業商業建設 外交登用(1527-1596)徳川四天王の筆頭。家康の養育係でもあった。家康の成人後は東三河衆を率いて各地を転戦、数々の軍功をあげる。その器量は豊臣秀吉にも称賛された。
- 707971 BCDE 三段騎突焙烙 騎鉄抜穴
大久保忠世31315 15321546 農業商業建設 外交登用(1532-1594)徳川家臣。家康の自立前からの家臣で、各地を転戦。多くの軍功を立てた。清貧剛直の士である一方、出奔した家臣の復帰を取りなす寛容さも備えていた。
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大久保忠佐51315 15371551 農業商業建設 外交登用(1537-1613)忠世の弟。兄とともに徳川家康に仕え、各地で戦功を重ねる。その剛勇ぶりは織田信長をも賞嘆させるほどであった。関ヶ原合戦後、駿河沼津2万石を領す。
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松平信康31115 15591573 農業商業建設 外交登用(1559-1579)徳川家康の嫡男。剛勇英邁で、父や家臣たちに将来を嘱望されていた。だが、織田信長に武田家へ通じていると疑われ、父の命で自害した。21歳だった。
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徳川秀忠2915 15791593 農業商業建設 外交登用(1579-1632)家康の三男。関ヶ原合戦の際、中山道からの進軍を真田軍に妨害され、父の不興を買う。しかし、凡庸篤実な人柄を父に見込まれ、徳川幕府2代将軍となった。
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松平忠吉01115 15801594 農業商業建設 外交登用(1580-1607)徳川家康の四男。江戸幕府2代将軍・秀忠とは同腹の兄弟。武人としての資質に優れ、関ヶ原合戦では島津義弘軍と対決し、負傷しながらも手柄を立てた。
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板倉勝重5915 15451559 農業商業建設 外交登用(1545-1624)徳川家臣。30代まで僧であったが、父と弟の戦死により、家督を継ぐ。駿府や江戸などの町奉行を経て、京都所司代に就任。西国諸大名らの監視を務めた。
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大久保忠隣51215 15531567 農業商業建設 外交登用(1553-1628)忠世の子。徳川家康の三男・秀忠付の年寄を務める。多くの重臣が家康の後継に結城秀康を推す中、唯一秀忠を推した。のちに本多正信と対立し、改易された。
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酒井家次3915 15641578 農業商業建設 外交登用(1564-1618)忠次の嫡男。徳川家康に仕え、一字を賜る。家康の関東入国の際に下総碓井城主となった。大坂夏の陣で活躍し、その功によって越後高田に加増転封となった。
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榊原康政31215 15481562 農業商業建設 外交登用(1548-1606)徳川四天王の1人。「無」の旗を掲げて戦場を疾駆し、緒戦で戦功を立てる。晩年に老中に推されると、「老臣権を争うは亡国の兆し」と辞退している。
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鳥居元忠41515 15391553 農業商業建設 外交登用(1539-1600)徳川家臣。関ヶ原合戦の際に家康の命で伏見城に籠城。豊臣軍との13日間の攻防戦の末、城兵とともに玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。
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服部半蔵31515 15421556 農業商業建設 外交登用(1542-1596)徳川家臣。伊賀忍者を率いて数々の戦功を立てる。「鬼の半蔵」と畏怖されたが情を知る武将で、松平信康の介錯の際に刀を落としその場に泣き伏したという。
忍者 89394 SEEE 三段騎突焙烙 騎鉄抜穴
平岩親吉41515 15421556 農業商業建設 外交登用(1542-1611)徳川家康の人質時代から仕える。温厚篤実な性格で家康の絶大な信頼を受け、家康の長男・松平信康の傅役を務める。信康自害後は八男・義直の傅役となった。
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本多忠勝31315 15481562 農業商業建設 外交登用(1548-1610)徳川四天王の1人で、「家康に過ぎたるもの」と謳われたほどの武勇の士。名槍「蜻蛉切」を手に50余回の合戦に参陣し、かすり傷1つ負わなかったという。
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本多忠政31015 15751589 農業商業建設 外交登用(1575-1631)忠勝の嫡男。小田原征伐、関ヶ原合戦、大坂の陣などに従軍し、播磨姫路15万石を与えられた。嫡男・忠刻は豊臣秀頼の妻であった千姫と結婚している。
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本多忠朝31315 15821596 農業商業建設 外交登用(1582-1615)忠勝の次男。大酒飲みであったらしく、大坂夏の陣では、酒のために不覚をとり戦死した。死の間際に「戒むべきは酒なり」と無念の言葉を残したという。
×- 517439 DBCE 三段騎突焙烙 騎鉄抜穴
本多正信5615 15381552 農業商業建設 外交登用(1538-1616)徳川家臣。三河一向一揆で一揆勢に加担し、諸国を放浪した後に帰参を果たす。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。家康からは「友」と呼ばれたという。
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本多正純41215 15651579 農業商業建設 外交登用(1565-1637)正信の嫡男。徳川家康に仕え駿府城付の年寄となる。金地院崇伝とともに内政・外交に活躍、下野宇都宮15万石を領すが、秀忠の不興を買い、改易された。
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本多重次41215 15291543 農業商業建設 外交登用(1529-1596)徳川家臣。岡崎奉行を務め「鬼作左」の異名をとった。豊臣秀吉の怒りを買い、閉居処分となる。その原因は、秀吉の母を冷遇したためという。
- 715943 CDCE 三段騎突焙烙 騎鉄抜穴
奥平信昌3915 15551569 農業商業建設 外交登用(1555-1615)徳川家臣。武田勝頼から離れ、家康に従う。長篠合戦では三河長篠城を武田軍から守り抜き、勝利に貢献する。その功から、翌年に家康の娘・亀姫を娶った。
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青山忠俊41315 15781592 農業商業建設 外交登用(1578-1643)徳川家臣。土井利勝・酒井忠世と家光の傅役を務める。家光の勘気を蒙り改易処分となると、その後は出仕要請を断り隠居した。子・宗俊は家綱の傅役となる。
×- 526843 CCDE 三段騎突焙烙 騎鉄抜穴
伊奈忠次31115 15501564 農業商業建設 外交登用(1550-1610)徳川家臣。家康の近習を務め、民政に参画。特に関東における検地・知行割・治水は幕府の経済基盤確立に大きく貢献、その地方仕法は「伊奈流」と呼ばれた。
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