武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
にほんまつ | | むらくに |
通常版 |
岩代 |
1490 |
(1475-1542)二本松畠山家10代当主。政国の嫡男。二本松家は畠山義忠の未亡人を娶った畠山義純を始祖とし、奥州探題となった4代当主・高国以後、二本松と号した。 |
二本松 | | 村国 |
武将 | 騎馬 |
[改修] [引抜] |
64 | 52 | 73 |
65 | 75 |
17 |
にほんまつ | | いえやす |
通常版 |
岩代 |
1527 |
(1512-1546)二本松畠山家11代当主。村国の嫡男。居城・二本松城は、7代当主・満泰によって応永年間(1394〜1427)に築かれた。別名を霧ヶ城という。 |
二本松 | 七郎 | 家泰 |
武将 | 弓 |
[連射] |
34 | 25 | 36 |
39 | 50 |
17 |
にほんまつ | | よしうじ |
通常版 |
岩代 |
1545 |
(1530-1547)二本松畠山家12代当主。村国の次男。天文の大乱の際は伊達稙宗方についた。18歳で早世し、子が無かったため、従兄弟の新城義国が二本松宗家を継いだ。 |
二本松 | 七郎 | 義氏 |
武将 | 弓 |
[回復] |
27 | 32 | 40 |
48 | 60 |
17 |
しんじょう | | むらなお |
通常版 |
岩代 |
1500 |
(1485-1554)政国の次男。新城家は、二本松家6代当主・国詮の四男・氏泰を始祖とする。宗家の家泰・義氏が相次いで死去したため子・義国が二本松宗家を継いだ。 |
新城 | | 村尚 |
武将 | 騎馬 |
[攻城] |
52 | 48 | 61 |
52 | 65 |
14 |
にほんまつ | | よしくに |
通常版 |
岩代 |
1536 |
(1521-1580)二本松畠山家13代当主。新城村尚の子であるが、二本松義氏の早世により、宗家の家督を継いだ。蘆名家と田村家が争った際には、講和の斡旋を行った。 |
二本松 | | 義国 |
武将 | 騎馬 |
[商業] [収拾] [槍衾] |
40 | 38 | 35 |
64 | 70 |
14 |
にほんまつ | | よしつぐ |
通常版 |
岩代 |
1567 |
(1552-1585)二本松畠山家14代当主。一度は伊達政宗に降伏するが、会見の終了後に政宗の父・輝宗を拉致する。しかし政宗軍に追いつかれ、輝宗と刺し違えて死んだ。 |
二本松 | 七郎 | 義継 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [逃亡] |
45 | 53 | 60 |
75 | 45 |
14 |
にほんまつ | | つねより |
通常版 |
岩代 |
1570 |
(1555-1589)蘆名家臣。二本松義国の次男で、高玉家を継いで高玉城主を務めた。伊達家臣・片倉景綱の降伏勧告を拒否して戦うが、衆寡敵せず、戦死した。 |
二本松 | 太郎左衛門 | 常頼 |
武将 | 荷駄 |
[守戦] |
44 | 35 | 39 |
21 | 90 |
14 |