過去の記事[2006.12.01-2006.12.15](in 火間虫入道)
最近の「アフタヌーン」(2007年1月号)で、以前『神戸在住』を連載していた木村紺先生による
『巨娘さん』の隔月連載が始まりました。
先回の読み切りと同じく勢いのある淡々とした話で面白く読めました。
先回といい、今回といい濡れ場のシーンに戦国武将を出すのはパターンになるのだろうか?
すごくシュールで個人的に気に入っているんだけど。
Reichsarchiv 世界帝王事典さんが以前ツッコミを入れてたやつか。
再放送では役者さんが過去に話した言葉を合成でかぶせて放送したそうです。
よくみつけたものだ。
それはさておき、世界帝王事典さんで新たに公開された「京極夏彦作品人名事典」の発展に期待。
少なからず繋がりのある「百鬼夜行シリーズ」と「巷説百物語シリーズ」だけでなく「どすこい」まで入れるつもりとは、
年表とかどうなるのやら・・・・(「四十七人の力士」とか)
そういや「Comic リュウ」で『ルー=ガルー』の漫画はが載ってました。
最近書店で見かけなくなったのがちと心配ですが。
■名護屋城の前田利家陣 主要遺構明らかに ...[佐賀新聞]
前田利家は朝鮮出兵当時、名護屋に8000〜1万の軍勢を率いて■伊東マンショ肖像画など美術品4点、県が4500万円で購入 ...[長崎新聞]
1592(天正20)年4月から翌年8月ごろまで滞在。
豊臣秀吉を迎えて茶会を開いたり、明の講和使節団を接待したとされる。
これまでに見つかっていた城郭に匹敵する石垣や虎口のほか、
大規模な邸宅部分の遺構も発見され、軍事的要素と滞在拠点としての性格を
併せ持っていたことが分かった。
滋賀県安土町の「安土城之図」屏風探索隊が昨年発見した肖像画ですね。
最近の探索動向はどうなっているのか気になるところ。
[参考リンク]調査報告:ローマ法王グレゴリオ13世の末裔のお宅を訪問
...[ビョウブログ]
天正元年(1573)に岩崎藩の城主、藤原道高の娘・能恵姫が雄勝郡川連城主、蔵人道基へ嫁ぐ途中、
急に悪天候になり、皆瀬川を渡る船が転覆し亡くなったといわれている。
同祭りは、この姫の霊を慰めようと、嫁入りの日だった旧暦11月の初丑の日に、
姫を祀っている同神社で行われる。
藤原道高も蔵人道基も初めて聞く名です。
他に逸話とか記録とか無いのかな?
『三國志 Online』ですか。
ちょっと今の生活リズムではMMORPGは辛いです。
『携帯版 信長の野望』みたいな
シンプルなSLGが
パソコンでプレイできるようになると嬉しいのですが。
■向羽黒山城跡から半地下式の遺構発見 ...[KFB福島放送]
遺構の発見で山城が隠居城ではなく地域の拠点として存在し、■函館の大江流さん 初代松前藩主の生涯描いた「慶廣と家康」を完成 ...[北海道新聞]
軍事的な役割をも果たしていたとみられる。
芦名氏の築城技術の粋を集めた山城だった可能性が高い。
江戸幕府成立期のロシアの領土を見るに、松前との交易は難しそうに思えますが、
小説としてどのように料理しているのか気になるところ。
ちなみに上記リンク先で紹介されているイェルマークは
以前、ちょこっと触れた「鎧が重くて溺死したロシア人」。
あと、ついでに書いておくと初代松前藩主・松前慶広の幼名は 「天才丸」。
■JR甲賀駅前の忍者像、サンタに「変身」 ...[京都新聞]甲賀忍者とサンタ、正反対のイメージながら「どちらも家に忍び込むのは一緒」
との声もあり、駅を利用する市民らの評判になっている。
名古屋名物・ナナちゃんというか、 京都大学の折田先生像を彷彿とさせますね。
今月は残業が沢山使えるそうです・・・・眠眠
大多喜城主としての本多忠朝は新田開発に着手。■飛山城跡で戦国時代の戦闘時非常食「兵糧丸」作り ...[下野新聞]
開発促進のため農民にさまざまな特典を与える古文書が残されている。
また1609年に御宿沖に漂着したドン・ロドリゴを手厚くもてなし、
日本とメキシコの友好の端緒を開いたのも忠朝の功績。
昔、学研(科学の方)の付録で「兵糧丸」がありましたが、
美味しそうに見えなかったので作らず終いでした。
(トコロテンとか羊羹はすぐに作って食した)
アレを味わった方がおられたら味について教えてください。
村上水軍の末裔が、先祖代々受け継いできた古文書や鎧兜などを展示する資料館を
自力で開設したそうです。
小規模なものだと思われますが展示物は約五千点とかなり量が収蔵されてます。
ネタ元は武蔵成山城さんやゴルゴ31さんから。
『センゴク』(宮下英樹)も資料収集とかは編集者さん(斉藤右兵衛大輔龍興のモデル)がやられているとか、
『シグルイ』(山口貴由)も編集の方が漫画家さんが息抜きに原作となる『駿河御前試合』(南條範夫)を
差し入れたのがきっかけだとか、編集者さんが作品に与える影響は大きいですね。
作家さんと出版社、印刷会社で原稿をスムースに展開させるような調整能力だけでなく、
様々な教養も編集者の人には必要なんでしょうな。
久々に『花の慶次-雲のかなたに』を読み返したくなりました。
『画伝 蒼天航路』の通常版は幾つか目にしたものの、豪華限定版は見つからず・・・・
ネットで予約しておくべきだったと、ちょっと後悔。
現代と比べると、かなり低いですね。
松風とかも今の競走馬ぐらいの大きさだったかもしれません。
■藪内家元、道真と秀吉に供え 北野天満宮で献茶祭 ...[京都新聞]
■国指定史跡・小田城跡の発掘調査を通じ城主の暮らしぶり解明へ ...[東京新聞]
■伊達政宗像と愛姫桜 レーザーで光の懸け橋 仙台・大みそか ...[河北新報]
■2007年1月3日に戦国ドラマ:『明智光秀〜神に愛されなかった男〜』 ...[フジテレビ]
年末年始は実家に帰省する予定。
大分はフジテレビが無いから見れそうにないです。
分部家は伊勢北部の長野家に仕えた豪族。■世界文化遺産の候補に近世高岡の文化遺産群を提案 高岡市 ...[北日本新聞]
光嘉の代に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、三重県の上野城で2万石を領した。
■前田利長の威光 銅器にも ...[読売新聞]
近世高岡は、加賀藩二代藩主・前田利長が慶長14(1609)年、
水濠に囲まれた高岡城を築き、城下町を開いたのが始まり。
利長没後、3代藩主・前田利常が菩提寺として壮大な伽藍配置の瑞龍寺を建立した。
利長墓所は荘厳な石造りで、武将の墓としては国内最大級と言われる。