『信長の野望 天翔記』シナリオ一覧

『信長の野望 天翔記』でプレイできるシナリオを紹介。
通常版の『天翔記』にはシナリオ1~4が収録されてます。
(但しシナリオ4は隠しシナリオで、ゲーム起動時には選択できません)
PC 版『パワーアップキット』でシナリオ5,6が追加されております。
セガサターン版『パワーアップキット』にはシナリオ6「関ヶ原前夜」が
収録されていない代わりに、仮想シナリオ「信玄上洛」をプレイ出来ます。

シナリオ1「信長の誕生」(1534年)

勢力数67
軍団数97
家臣武将294
浪人武将4
隠居武将0


足利将軍家の後継者争いに端を発した戦乱の嵐は、十年の歳月にわたって吹き荒れ、
京の都を焦土と化した。世に言う「応仁の乱」である。
以来六十有余年、各地でその火種はくすぶり続け、室町幕府の政治機構は衰退の一途をたどっていった。
権威など虚構に過ぎない、信じられるのは己の力量のみ…。「下剋上」の時代の到来であった。
そういう時代の真っ只中、1534(天文三)年5月、尾張国古渡城主・織田信秀に嫡男の吉法師が誕生し、
人々は嫡男誕生の報に沸き返った。
だが、この男児が天下に手をかけるところまで上りつめようとは、このとき誰一人として想像しえなかった。
「織田信長」…。それが男児ののちの名である。

『信長の野望 天翔記』シナリオ1「信長の誕生」(1534年)
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シナリオ5「信長元服」(1546年)

勢力数65
軍団数96
家臣武将398
浪人武将11
隠居武将0



諸国の動乱はますます拡大の様相を呈した。甲斐では武田晴信(信玄)が父・信虎を駿河に追放し、
家督を継いだ。美濃では長井規秀(斎藤道三)が主君・土岐頼芸を追放、美濃一国を手に入れた。
奥州では伊達稙宗・晴宗親子の対立が近隣豪族を巻き込む大乱に発展していた。
尾張も例外ではない。駿河・遠江を領する今川義元は三河の豪族・松平氏を傘下に置き、三河・尾張国境に
進出し始める。美濃の斎藤道三も虎視眈々と尾張を狙い、国内でも守護代・織田信友が守護・斯波義統を
奉じて織田信秀に対抗していた。
1546(天文十五)年、尾張の国内が騒然とする中、那古野城において、信秀の嫡男・吉法師改め
三郎信長の元服の儀式が行われる。 革命児がついに下剋上の世に名乗りを挙げた…
※パワーアップキット版の追加シナリオです。

『信長の野望 天翔記』シナリオ5「信長元服」(1546年)
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シナリオ2「桶狭間の合戦」(1560年)

勢力数57
軍団数82
家臣武将423
浪人武将13
隠居武将1


1551(天文二十)年、織田信長は「尾張の虎」と呼ばれた父・信秀の後を継ぐ。
しかし、「うつけ」と呼ばれていた信長に対して一部の家臣たちが反発し信長の弟・信行の擁立を画策する。
また、国外では舅の斎藤道三が子・義龍と対立して敗死、美濃との国交が絶たれた。
信長は数年をかけてこの内憂外患の状況を打破し、見事尾張の統一を果たした。
しかしそれも束の間、駿河・遠江・三河を領する今川義元が1560(永禄三)年、将軍援護を名目として
上洛の途についた。信長の手勢四千に対し、義元の軍勢は四万。もはや織田家の命運は尽きたと誰もが思った。
天下を取るか、尾張のうつけで終わるか…。信長はこの戦いに自らの生涯を賭けることを決意した…

『信長の野望 天翔記』シナリオ5「信長元服」(1546年)
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シナリオ3「信長包囲網」(1571年)

勢力数53
軍団数81
家臣武将430
浪人武将15
隠居武将1



桶狭間で今川義元を討ち、ついで美濃を手中に収めた織田信長の名を聞きつけて、
足利義昭が援助を求めた。信長はこれを快諾し、1568(永禄十一)年に上洛、
義昭を室町幕府十五代将軍に擁立した。ついに信長は日本全土に号令する実力者となったのである。
続いて信長は、上洛要請を断った朝倉義景の討伐を決行、盟友・徳川家康を従えると越前へ赴いた。
しかし、浅井長政は信長の妹・市を娶っていながら同盟を破棄、朝倉軍につく。
朝倉・浅井両軍に挟撃された信長は、羽柴秀吉の活躍で何とか危機を脱した。
一方、義昭は自らが傀儡であることを察し、諸国に信長打倒の檄文を送る。
それに応じた本願寺・武田・毛利などが一斉に信長に牙をむいた。
信長に生涯最大の危機が訪れようとしていた…

『信長の野望 天翔記』シナリオ3「信長包囲網」(1571年)
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シナリオ4「本能寺の変」(1582年)

勢力数38
軍団数60
家臣武将444
浪人武将14
隠居武将1



諸国の動乱もようやく収束へと向かい始めた。織田信長は武田信玄の死を契機として攻勢に転じた。
東では、無敵の呼び声高い武田騎馬隊を大量の鉄砲を投入して壊滅状態に追い込み、
西では、毛利水軍を鉄甲船を製造して撃破した。
そして1580(天正八)年、ついに最大の敵であった一向一揆との戦いが終結する。
一向宗の法主・顕如を石山本願寺より退去させることに成功したのである。
もはや信長の前に敵はないも同然であった。しかし、「王城鎮護の聖域」比叡山の焼き討ち、
長島本願寺や越前における一向宗門徒の大虐殺、譜代家臣の追放など、信長の所業に対して
疑問を抱く家臣も現れ始めていた。信長の覇業には早くもひびが入りかけていた…
※通常版では隠しシナリオです。決められた操作をすることにより、選択できるようになります。

『信長の野望 天翔記』シナリオ4「本能寺の変」(1582年)
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シナリオ6「関ヶ原前夜」(1599年)

勢力数2
軍団数16
家臣武将442
浪人武将28
隠居武将1




織田信長の死からすでに十数年の時が流れていた。
信長の全国統一事業を引き継いだ豊臣秀吉も、1598(慶長三)年、大坂城にてその生涯を閉じる。
後継者の秀頼はまだ七歳で、政務を執れる年齢ではなかった。
秀吉政権で最大の勢力を持つ徳川家康が、これを絶好の機会とし、有力大名の子息へ自らの娘や
養女を嫁がせ、天下取りの準備を始めた。一方、秀吉の懐刀・石田三成は、家康の野心を見抜き、
豊臣家の屋台骨となるべく、各地の有力大名の取り込みに奔走する。次第に両者の関係は悪化し、
一触即発の状態になっていった。そんな中、豊臣政権の重鎮として家康派・三成派の双方に
にらみを利かせていた前田利家が、秀吉の後を追うようにこの世を去った。
天下分け目の戦いが目前に迫りつつあった…
※PC 版パワーアップキットの追加シナリオです。

『信長の野望 天翔記』シナリオ6「関ヶ原前夜」(1599年)
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シナリオ7「信玄上洛」(1572年)

勢力数54
軍団数??
家臣武将??
浪人武将??
隠居武将?



武田信玄は、将軍・足利義昭の要請に応じて、上洛作戦を決行する。
徳川家康はこれを阻止しようと信玄に挑むが、三方ヶ原で散々に打ち負かされてしまう。
百戦錬磨の猛将たちと、圧倒的な強さを誇る武田騎馬軍団を率いた信玄には、
敵などいないかのようであった。しかしその後、信玄は終わりに侵攻せずに引き返し、
躑躅ヶ崎館を再び見ることなく息を引き取ったのである。
こうして織田家は、最大の危機を回避できた。
しかし・・・信玄が無事上洛を果たしていたら?
中央を手に入れた信玄と追い落とされた信長。もう一つの戦国史が始まる。
※セガサターン版パワーアップキットに収録された仮想シナリオです。

『信長の野望 天翔記』シナリオ7「信玄上洛」(1572年)
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