『信長の野望 天下創世』新武将 投稿・配布コーナー
『信長の野望 天下創世』の新武将データを配布しております。
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| No.429 小川 祐忠 |
nobu11bushou429.11b
近江の豪族。明智光秀に属す。光秀の死後は柴田勝豊の家老を経て豊臣秀吉に仕 え、伊予府中7万石を領した。関ヶ原合戦で東軍に寝返るが、戦後改易された。
索引【お】 地方[近畿] 登録日-2004/3/23 0:40
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| No.484 織田信正 |
nobu11bushou484.11b
信長の庶長子。母は塙直政の妹で、古渡城主であった。直政の戦死とともに、歴史に現れることが少なくなり、1885年には剃髪し、見性軒と称す。
索引【お】 地方[東海] 登録日-2005/11/12 20:11
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| No.424 津島 通顕 |
nobu11bushou424.11b
西園寺十五将の一人。越前守。釈迦ヶ森城主。一万石を領した。 のちに天ヶ森城を築いて移った。孫通顕の代で滅んだ。
索引【つ】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:11
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| No.423 竹林院 実親 |
nobu11bushou423.11b
西園寺家臣。伊予一森城主。 竹林院氏は代々深田の地頭として深田殿と呼ばれ、戦国時代では西園寺十五将の一人として二千百六石余を領した。 天正中に落去。
索引【ち】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:10
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| No.422 摂津 親安 |
nobu11bushou422.11b
西園寺十五将の一人。実親の子。天神山城主。天正年間に長宗我部勢の侵攻をうけて居城を失う。 その後仏門に入り一安と名乗った。
索引【せ】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:10
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| No.421 摂津 実親 |
nobu11bushou421.11b
西園寺十五将の一人。豊後守。伊予天神山城を居城とし四千八百石を領して南方殿と呼ばれた。 萩ノ森での戦いで討ち死にした。
索引【せ】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:09
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| No.420 今城 能親 |
nobu11bushou420.11b
西園寺十五将の一人。肥前守。伊予金山城を居城とし四千七百六十一石を領し有馬殿と呼ばれた。 能親は連歌に秀で、後奈良院の叡覧にそなえたこともあった。
索引【い】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:09
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| No.419 魚成 親能 |
nobu11bushou419.11b
西園寺十五将の一人。弥五郎。伊予竜ヶ森城を居城として、千石を領し魚成殿と呼ばれた。 天正年間に没落。
索引【う】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:08
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| No.418 勧修寺 基詮 |
nobu11bushou418.11b
西園寺十五将の一人。伊予常盤城主。勧修寺氏は土佐よりの侵攻を守っていた。 天正十一年長宗我部勢一万に居城を包囲され、一年の籠城の末に開城した。
索引【か】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:07
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| No.417 河野 通賢 |
nobu11bushou417.11b
西園寺十五将の一人。河野通信の孫通行の末裔。伊予高森城を居城とし、五千三百八十石を領し中野殿と呼ばれた。 天正年間に子通氏の代で没落した。
索引【こ】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:07
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| No.416 宇都宮 房綱 |
nobu11bushou416.11b
豊綱の弟。伊予萩森城主。西園寺十五将の一人で荻森殿と呼ばれ、七千八百石を領した。 近隣の元城主・摂津親宣と領地問題で何度も争った。
索引【う】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:06
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| No.415 宇都宮 宣綱 |
nobu11bushou415.11b
西園寺十五将の一人。伊予下木城主。 西園寺氏の居城黒瀬城が長宗我部家に落された頃に降伏し、秀吉の四国討伐で長宗我部氏が降伏すると下城を命ぜられた。
索引【う】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:02
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| No.414 宇都宮 乗綱 |
nobu11bushou414.11b
西園寺十五将の一人。伊予白木城主を居城とし二千石を領して、野村殿と呼ばれていた。 天正年間に白木城が落城してからは入道し、梅林と号して閉居した。
索引【う】 地方[四国] 登録日-2004/2/17 1:01
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| No.413 針生 盛幸 |
nobu11bushou413.11b
葦名盛滋の子。 葦名盛滋は葦名盛舜の兄。 葦名盛氏は葦名盛舜の子。
盛幸は盛滋が隠居してからの子供で、盛滋が隠居領として治めていた針生五万石をそのまま継ぎ、針生と称した。針生氏は金上氏とともに重く見られ、葦名四天王よりも地位は上であった。
索引【は】 地方[東北] 登録日-2004/2/16 23:11
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| No.412 土岐 頼春 |
nobu11bushou412.11b
土岐為頼の嫡男。上総万喜城主。北条方として里見義康と戦い、いずれも圧勝をとげた。 秀吉の小田原攻めに呼応した里見軍と戦い、敗北して逃亡し消息を絶った。
索引【と】 地方[関東] 登録日-2004/2/16 0:23
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| No.411 酒井 政辰 |
nobu11bushou411.11b
酒井敏房の嫡男。北条家に属した。 秀吉の小田原攻めでは居城東金城で 浅野長政と戦った。戦後、所領を奪われ上総幸野に隠棲した。
索引【さ】 地方[関東] 登録日-2004/2/16 0:22
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| No.410 堀江 頼忠 |
nobu11bushou410.11b
里見家臣。一門に準じた格式を与えられ里見姓を許された。家老を務め、おもに内政に関与した。 主家改易後も主君忠義に従い倉吉に行き、その地で没した。
索引【ほ】 地方[関東] 登録日-2004/2/16 0:22
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| No.409 板倉 昌察 |
nobu11bushou409.11b
里見家臣。義頼・義康・忠義の三代に仕え、特に忠義に重用された。 主に地方奉行を務め、天正十八年の 増田長盛 による検地では、里見氏側の担当者であった。
索引【い】 地方[関東] 登録日-2004/2/16 0:21
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| No.408 正木 時茂 |
nobu11bushou408.11b
里見義頼の次男。 正木憲時の死後、正木家を継ぎ八千石を領した。 主家改易後は甥・忠義 とともに伯奢倉吉へ行き、忠義死後、池田光政に預けられ鳥取で没した。
索引【ま】 地方[関東] 登録日-2004/2/16 0:20
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| No.407 薦野 頼俊 |
nobu11bushou407.11b
里見義弘の次男。母方の姓を名乗る。慶長十一年には二千五百余石を領し、御一門衆の一人とされている。 里見家改易後は水戸徳川家に仕え、里見姓を称した。
索引【こ】 地方[関東] 登録日-2004/2/16 0:19
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| No.425 向井 忠勝 |
nobu11bushou425.11b
模国三浦郡三崎の船手奉行。兵庫頭正綱の子。江戸キリシタン寺の宣教師と親しかった。伊達正宗とも多く関わり、江戸幕府の海外交流に貢献した。
索引【む】 地方[関東] 登録日-2004/2/20 0:01
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| No.404 亘理重宗 |
nobu11bushou404.11b
元宗の嫡男。父と同様、相馬氏とよく戦う。 1590年には相馬氏滅亡寸前まで追い込む。
索引【わ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 1:20
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| No.403 亘理元宗 |
nobu11bushou403.11b
伊達稙宗の12男。 兄綱宗の跡を継ぐ。 所領が相馬に近いために相馬と戦う。
索引【わ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 1:17
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| No.402 富塚宗綱 |
nobu11bushou402.11b
富塚家は一時期所領を失っていたが、懸田俊宗の懇願により所領を与えられた。 輝宗の代に宿老になっている。 文禄の役では岩出山城留守役となる。
索引【と】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 1:15
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| No.401 浜田景隆 |
nobu11bushou401.11b
政宗の重臣。 伊達家の重要な戦にはほとんど出陣し、功を挙げる。 大崎。葛西一揆で討ち死に。政宗は景隆討ち死にの報を聞き怒り、城に向かって怒りをぶつけたが、鉄砲で狙われ、家臣に押し戻された。
索引【は】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 1:11
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| No.400 白石宗直 |
nobu11bushou400.11b
伊達宗清の子にして、白石宗実の養子。 慶長5年の和賀一揆は宗直が扇動したものによる。 白石領は15000石となっていたが、不作続きであったのが、宗直が北上川の改修や新田開発に精を出し、2万数千石の石高にさせた。
索引【し】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 1:06
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| No.399 津田景康 |
nobu11bushou399.11b
元は湯目(ゆのめ)姓。 人取橋の戦いや、摺上原の戦い、大崎・葛西一揆に軍功がある 関白秀次謀反事件に際し、政宗の謀反嫌疑を説くための上洛して、津田が原というところで秀吉に謁見して疑惑を解明した。 その賞として2500石と「津田」姓を与えられた。
索引【つ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 1:00
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| No.398 中島宗求 |
nobu11bushou398.11b
伊勢守 伊達家臣。対相馬線で活躍し、単騎で駒ヶ嶺城を落としたこともある。
索引【な】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:55
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| No.397 村田宗殖 |
nobu11bushou397.11b
むらたむねふゆ 伊達稙宗の9男。村田近重の娘と結婚し、村田氏を継ぐ。 晴宗の代に柴田郡6村と宮城郡のうちに地を与えられるが、政宗の代に減らされ、桃生郡のうちに2村与えられるのみとなった。
索引【む】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:52
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| No.395 瀬上景康 |
nobu11bushou395.11b
信夫郡大笹生城主。主に相馬戦を担当。 人取橋の戦いでは主力を努める。
索引【せ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:46
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| No.394 新田景綱 |
nobu11bushou394.11b
伊達輝宗の家臣。息子の新田義直が中野宗時の謀反に加担したために義直を捕らえて輝宗に宗時謀反を密告し、そのまま宗時追討の命を受ける
索引【に】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:42
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| No.393 沼沢実通 |
nobu11bushou393.11b
葦名家の家臣。伊達家の原田宗時が檜山を攻めてきたときにこれを撃退する。
索引【ぬ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:39
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| No.392 小野崎義昌 |
nobu11bushou392.11b
佐竹義昭の弟。佐竹義政。 佐竹家を「武」で支えた武将。 人取橋の戦いで陣没。下人に説教したところ逆切れされて殺された説や伊達家の忍者に暗殺された説などあるが不明。
索引【お】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:36
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| No.391 山岡重長 |
nobu11bushou391.11b
1544〜1626(おそらく年齢適当かも・・・) 輝宗の代より伊達家に仕え、大崎の役では戦目付け。 朝鮮の役で敵武者(朝鮮人)一騎打ちしたところ、女だとわかり、そのまま連れ帰り、妻にした。
索引【や】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:32
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| No.389 桜田元親 |
nobu11bushou389.11b
桜田資親の子。 政宗のそばに置いて、大内家の内応工作や、人取橋の戦いにも従軍。相馬戦にも活躍。 秀宗の宇和島入封に伴い、宇和島伊達家に仕える。
索引【さ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:26
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| No.388 佐藤忠秀 |
nobu11bushou388.11b
白河晴綱の軍師。 対佐竹戦で活躍。佐竹氏を何回か撃退しているが、策が聞き入れられずに責任を感じ討ち死に。
索引【さ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:20
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| No.386 金上盛実 |
nobu11bushou386.11b
金上盛備の長子。盛備討ち死に後、伊達家に抵抗するも、降伏し津川城代となったが、翌年罷免。
索引【か】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:08
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| No.384 伊達親宗 |
nobu11bushou384.11b
伊達晴宗の4男。石川昭光の名前で有名。 伊達親宗という名前は石川氏に入る前の名前。
索引【だ】 地方[東北] 登録日-2004/1/22 0:01
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| No.383 伊達宗清 |
nobu11bushou383.11b
稙宗の8男。伊達郡梁川城主。 政宗が黒川城を占領したときに、米沢城に入る。
索引【だ】 地方[東北] 登録日-2004/1/21 23:58
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| No.382 柴田 礼能 |
nobu11bushou382.11b
大友家臣。宗麟の側近。槍の名手で、イエズス会の間では豊後のヘラクレスといわれた。 田原親貫の乱などで活躍。島津軍の豊後侵攻で勇戦するも戦死。
索引【し】 地方[九州] 登録日-2004/1/20 1:56
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| No.381 斎藤 鎮実 |
nobu11bushou381.11b
大友家臣。長実の子。父が義鑑に誅殺されるも義鎮により所領を安堵される。 筑紫広門討伐、高橋鎮種包囲、龍造寺攻めなどに出陣。高城合戦で戦死した。
索引【さ】 地方[九州] 登録日-2004/1/20 1:56
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| No.380 若林 統昌 |
nobu11bushou380.11b
大友家臣。鎮興の子。強弓の使い手で剣術も柳生流の免許皆伝を得たという。 島津軍の臼杵侵攻の際、父と共に丸尾砦に籠る。主家改易後は松平定勝に仕えた。
索引【わ】 地方[九州] 登録日-2004/1/20 1:55
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| No.379 臼杵 統景 |
nobu11bushou379.11b
臼杵鑑速の子。父の死後、家督を継ぐ。若年ながら文武に優れ、宗麟にその才を愛された。 日向高城攻撃に出陣し戦死。その死は敵将 島津家久も嘆息したという。
索引【う】 地方[九州] 登録日-2004/1/20 1:55
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| No.378 田原 親盛 |
nobu11bushou378.11b
大友宗麟の三男。 田原親賢の養子となる。宗麟から最も信頼され、日向出陣の際は豊後を守った。 戸次川合戦で敗退。主家改易後は細川家に仕えて松野姓を称した。
索引【た】 地方[九州] 登録日-2004/1/20 1:54
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| No.377 武宮 鎮元 |
nobu11bushou377.11b
大友宗麟の近臣。近臣中第一の大男で、身の丈八尺に及ぶ偉丈夫。 毛利との門司での戦いでは殿軍を務め、島津軍の臼杵侵攻では大砲を撃ってこれを撃退した。
索引【た】 地方[九州] 登録日-2004/1/19 1:22
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