[信長の野望 烈風伝小ネタ]-忍者ヒーロー


[烈風伝小ネタ]-忍者さん(1)-相州透波風魔衆
風魔小太郎:「拙者の率いる相州風魔党が実力 思い知ったか・・・」 再びメッセージネタに戻ります。

『烈風伝』では職業が「忍者」の武将は 等、非常に重宝する効果を有しています。
その忍者武将の一部では、調略時に特別コメントが用意されている武将がいて、
今回はその一人目、 風魔小太郎です。

相州乱波風魔党の頭領で、代々「小太郎」の名を受け継いだといわれる。
『信長の野望 武将風雲録』『信長の野望 覇王伝』では 先代・次代のふたりの小太郎が登場。
先代は次代より政治・智謀が高く、次代は先代よりも戦闘に秀でていたため、
当時は「技の1号、力の2号」と称されていた。(大ウソ)

顔一面が髭に覆われ、四本の牙が突き出し、全身が筋肉コブだらけの大男と伝えられている。
ちなみに、「暗殺」コマンド実行時に殺害される武将が、
「な、なんて大男なのじゃ この化け物め!!」
という専用メッセージがちゃんと用意されている。

記録に残っている仕事として、河越野戦の北条軍誘導、飯沼城の守備、小田原包囲軍に対する撹乱工作がある。
とりわけ北条氏直武田勝頼の 黄瀬川合戦では闇夜にまぎれて敵陣に忍び込み、武田陣営を散々に悩ませたといわれる。

北条滅亡後は江戸に入って盗賊となり、開発途上の江戸の町を荒らしまわり、領主家康をも悩ませた。

忍者漫画で有名な白土三平の『風魔』は幕府・公儀隠密との攻防があるのでこのあたりの時代背景かと思われます。
もっとも作中の「風魔一族」は盗賊でなく、「忍びの権利を守護する集団(というか組合)」という設定になっていますが。
(シリーズ物なので、興味を持たれた方は 『忍者旋風』 →  『真田剣流』 →  『風魔』の順に読むことをお薦めします)

[烈風伝小ネタ]-忍者さん(2)-伊賀の服部半蔵
服部半蔵:「闇に滅するがよい」 左の画像は暗殺時の固有メッセージ。
殺される方は
「お前が伊賀の服部半蔵か!?
 敵にすべきではなかった…」

と、続きます。
ところでこれの元ネタってどこでしょうかね?
やはり山田風太郎作品でしょうか?

というわけで固有メッセージ持ちの忍者武将、
二人目は 服部半蔵正成です。

服部家は伊賀国服部郷の土豪で、百地・藤林とならんで忍びを統率する伊賀上忍三家のひとつ。
正成の父・服部半三保長 の代に、三河へ移り住み松平家に仕えることになる。
実際には、服部半蔵正成は伊賀で生活したことも無く、「この伊賀の…」と名乗るのは無理があるような気がする。
『信長の野望 烈風伝』では他に伊賀出身の忍者として、 石川五右衛門や、 霧隠才蔵
上忍である 百地三太夫ですら 「この伊賀の…」なんて言わなかったりする。
伊賀で暮らしたことの無いコンプレックスのようなものがあったのかもしれない。

本能寺の変時、半蔵は徳川家康と共に堺におり、服部の名をもって伊賀の有力者を説得し、家康を保護。
伊賀越えルートを通って無事に三河へ帰還させた。
この縁で伊賀の地侍たちは徳川家へ召し抱えられ、半蔵が統率することになった。
1596年、秀吉より2年先に死去。墓所は家康の長男・ 信康の為に建立した西念寺。

後を継いだのは長男の服部半蔵正就。しかしながら正就は伊賀同心を下人のごとく使役。
自身の家の増築の際に壁塗りを課すなど私物化する。
その結果、慶長九年(1604年)に同心一同が長善寺に籠城、服部正就の罷免を求るという事態にまで発展する。
首謀者は処罰されたものの、この失態により服部家は没落、失地回復をはかって大坂の陣に参加するも戦死した。

『サスケ』をはじめとした白土三平の忍者漫画に敵役として登場する服部半蔵は大抵この2代目半蔵正就。
作中では率いる部下も少なく首領自ら参戦してくる。
『風魔』では、風魔衆を滅ぼして自己権力を強化しようとする所を初代の次男で3代目半蔵正重に邪魔される始末。
『戦国無双』で大坂の陣ミッションの際には「御家再興を夢見る2代目半蔵」が中に入ってることを考えて挑戦すると、
また違ったプレイ感覚になるかもしれない。

3代目半蔵正重は幕府の金山奉行・大久保長安の娘を娶り、 再興への足掛かりにするも、
長安死後に不正蓄財が発覚、一族が死罪に処せられるという「大久保長安事件」に連座して失脚した。
「闇に生き闇に死す」といった忍びの世界からかけ離れた落ち様である。

四代目半蔵は初代の三男である正広
ヤングマガジンアッパーズに掲載され、 山田風太郎原作でせがわまさきにより漫画化された
2004年度講談社漫画賞作品 『バジリスク-甲賀忍法帖』に登場しているのが記憶に新しい。

[烈風伝小ネタ]-忍者さん(3)-甲賀忍者?
滝川一益:「この甲賀の滝川一益が実力 思い知ったか・・・」 固有メッセージ持ちの忍者武将
最後は織田四天王の一人で
「先駆けは一益、殿も一益」と謳われた
勇将・ 滝川一益
尾張時代から信長に仕え、北伊勢進攻では大将を務める。
北畠討伐の功により伊勢長島城主となり、伊勢長島攻め、長篠の陣、
本願寺攻略、伊賀攻めなど織田家の有力武将として各地を転戦。
武田家滅亡後は上野一国と信濃二郡を与えられ関東管領厩橋城主となる。

本能寺の変直後、家臣団の統制が取れず北条に攻められ本領へ逃亡。
清洲会議にも出席できず織田家中での地位は下落。
賎ヶ岳合戦では 柴田勝家と共に 織田信孝方につくものの、 桑名城を包囲され降伏、所領を没収された。
小牧長久手合戦では秀吉につくが、家康に攻められ敗北。
その後は越前に隠居し、程なく没した。

では近江国甲賀郡出身ということで「忍者」扱い。
服部半蔵のように配下に忍者を抱えていたと考えれば、納得は出来る。
織田信長の伊賀攻めの際には、甲賀衆を派遣させたという話もありますし、
もっとも、甲賀攻めの時には、案内役を買ってでたという話がありますが・・・
『信長の野望 蒼天録』では族子・滝川益重と、その子・前田慶次郎利益らで忍者一族を結成。
『信長の野望 天下創世』では大名扱いのシナリオもある。

[おまけ:「忍者」にしてもらえなかった男] 和田惟政:「甲賀武士の恐ろしさ とくと教えてやるのじゃ 者ども、散って火をかけよ!」
和田惟政
和田家は甲賀21家の一つで六角氏に所属、
その縁で足利義輝の御供衆となる。
三好三人衆・松永久秀によって義輝が殺害されると、
細川藤孝の手引きにより救出された義輝の弟・覚慶を庇護。
覚慶は還俗して足利義昭と名乗り、 このとき惟政は義昭の直臣となった。

織田信長が義昭を奉じて上洛すると、惟政はその功を賞され摂津高槻城主となり、
池田勝正伊丹親興とともに摂津三守護に任じられる。
三好三人衆の京都侵攻に対して防戦に務めたが、三人衆に通じた 池田知正に討たれた。

畿内におけるキリスト教の有力な支援者で、フロイスらが帰京できるよう取り計らったり、
会見を躊躇う信長をも説き伏せるほどであった。
大名の地位を棄ててキリスト教をとった高山重友 は惟政配下の武将である。

『信長の野望 将星録』では忍者扱いであったが、忍者らしからぬ能力値のためか、
『信長の野望 烈風伝』では甲賀出身であるにもかかわらず、普通の武将である。
家宝やエディタを使って「忍者」にした時にだけ自らを「甲賀武士」という固有メッセージがでてくるあたり、
『信長の野望 烈風伝』製作者たちの頭の中には「忍者にあらざれば甲賀にあらず」という思想ががあるようだ。

嵐世記以降のシリーズでは忍者武将に返り咲き、『信長の野望 蒼天録』では、
全能力値において百地三太夫や風魔小太郎を凌駕するほどの忍者武将へと変貌している。
(単に百地三太夫や風魔小太郎といった諸勢力武将の能力値が大暴落しただけです)

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