火間虫入道     過去の記事[2003.12.01-2003.12.10]

注目記事

■武将データ検索窓を「火間虫入道」以外のサイトでも使用可能にしました
■『信長の野望 天下創世』情報ページを準備しました→

-2003/12/10-
[戦国時代関係]
■難攻不落ぶり目に浮かぶ 大坂城三の丸の堀見つかる ...[産経新聞]
■豊臣時代の大坂城外堀跡発見・大阪府警建て替え現場 ...[日経新聞]
■戦国時代の館跡などが見つかった「土居成(どいなり)遺跡」で現地説明会 ...[毎日新聞]
■姉川の戦いで、織田信長側の守りを固める前線となった横山城「龍ケ鼻砦」跡が判明 ...[京都新聞]
[歴史ゲーム関係]
■戦国武将の1人となって天下統一を目指す戦国SLG「太閤立志伝5」、1月30日発売! ...[ComputerWave]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん賎ヶ岳七本槍2世武将投稿ありがとうございます。
福島 忠勝(ふくしま ただかつ)
福島正則の三男。 大坂の陣に参陣し、摂津鳥飼辺に堤を築いた。
その後、父が無断で広島城を修築したことを咎められ、川中島四万五千へ転封。その地で没した。

加藤 忠広(かとう ただひろ)
加藤清正の子。 父の死後、肥後熊本藩五十四万石を継ぐも幼少であったため、幕府の干渉をうけた。
重臣間の争乱などの理由で改易。出羽で一万石を与えられた。

加藤 明成(かとう あきなり)
加藤嘉明の長男。 父の死後、跡を継いで陸奥会津藩主となる。
資質凡庸のため家老と対立が起こり、幕府の裁断により家老を成敗できたものの、のちに改易された。

片桐 孝利(かたぎり たかとし)
片桐且元の子。 大坂の陣で父が大阪城から退去した際、人質として家康のもとへ送られた。
その年に父が亡くなったため、家督を継ぎ大和竜田四万石を領した。

脇坂 安元(わきさか やすもと)
脇坂安治の次男。 大坂の陣後、父の隠居により伊予大洲五万五千石を継ぐ。
当代武家第一の歌人といわれ、 徳川秀忠の談伴衆の一人となる。 林羅山とは師弟関係であった。

加須屋 武成(かすや たけなり)
加須屋真雄の甥。 叔父は賎ヶ岳七本槍の一人。紀州徳川家、のちに保科正之に仕えた。
弓術の達人で当時の日本三射人の一人にあげられた。人物の鑑定にも優れた。

平野 長勝(ひらの ながかつ)
平野長泰の子。 寛永五年父の死去により、大和田原藩を継いだ。
田原藩は五千石でありながら大名格であった。薬王寺村から田原本に陣屋を築いて移った。


-2003/12/09-
[歴史ゲーム関係]
■PC用「信長の野望 Online」の発売日が1月23日に決定 ...[gameonline]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん最上家臣投稿ありがとうございます。
志村 光清(しむら みつきよ)
志村光安の子。 酒田城主となり三万石領し、酒田津の行財政に関与した。
一栗高春の 謀反の誘いに対応策を下吉忠と協議しているところを高春に謀殺された。

延沢 光昌(のべさわ みつまさ)
最上家臣。延沢満延の嫡子。 義光の娘を娶り寵愛された。
家親の信任をもうけ、清水義親討伐の命により清水城を攻略した。
主家改易後は肥後加藤家に預けられた。

成沢 道忠(なりさわ みちただ)
氏家守棟の従弟。 氏家光氏の父。成沢城主で五千石を領した。
反家親派でその弟清水義親を擁立しようとした。義親死後は仙台方面に逃れ、松島に潜伏した。

清水 義氏(しみず よしうじ)
最上家一門。出羽清水城主。大宝寺家から度々侵攻を受けたが、本家の支援により退けた。
義光のもとへ側室として娘を送り、義光の三男義親を養子に迎えた。

中山 光直(なかやま みつなお)
最上家臣。玄蕃。元寒河江氏の配下であったが敗れ、義光の腹心となった。
武藤義興討滅後は尾浦城に入り、庄内を治めるなど、藩政の重鎮として活躍した。

天童 頼貞(てんどう よりさだ)
最上家臣。出羽舞鶴城主。娘は義光に嫁ぐ。
天正二年、義守と義光が争ったとき、義守の将として寒河江城を攻略した。

谷柏 直家(やがしわ なおいえ)
最上家臣。伊達晴宗輝宗親子が不和になった際、義守の名代として調停にあたった。
義光と輝宗の和解にも尽力。関ヶ原役では上杉勢の攻撃を支え城を死守。

坂 光秀(さか みつひで)
最上家臣。関ヶ原役時の上杉勢侵攻では長谷堂城主の志村光安を助けた。
その後長谷堂城主となり、一万三千石を領す。主家改易後、上杉家に足軽待遇で仕えた。


-2003/12/08-
[戦国時代関係]
■室町時代から江戸時代にかけての富山城の遺構や遺物が良好な状態で見つかる ...[中日新聞]
■大友氏の菩提寺だった旧万寿寺跡、国史跡指定を目指す ...[大分合同新聞]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん最上一門衆投稿ありがとうございます。
中野 義時(なかの よしとき)
最上義守の次男。 長瀞義保と同一人物か出羽中野館主。
義守の寵愛され、最上家の家督をめぐって兄 義光と対立した。
天正二年、攻撃をうけて滅亡した。

楯岡 光直(たておか みつなお)
最上義守の四男。 関ヶ原役の時、上杉勢が侵攻すると清水義親とともに迎撃したが撃退される。
松根光広と御家騒動を起こし、それが原因で主家は改易された。

清水 義親(しみず よしちか)
最上義光の三男。 清水義氏の養子。清水城主となり二万七千石を領した。
以前秀頼の側近だったことを兄 家親に危険視され、大坂の陣前に攻められて敗死した。

上山 義直(かみやま よしなお)
最上義光の五男。
上山城主里見氏が義光の勘気を蒙って退き、代わりに義直が城主となり二万一千石を領した。
主家改易後は黒田家に預けられ、数年後に自害。

大山 光隆(おおやま みつたか)
最上義光の六男。
家親の弟。兄により庄内の押さえとして大山城主にすえられ、二万七千石を領した。
御家騒動の時は中立を守る。改易後は酒井家に預けられた

松根 光広(まつね みつひろ)
最上義光の弟 長瀞義保の子。白岩城主として一万三千石を領した。
最上家親の急死は楯岡光直の毒殺によると幕府に密告するも立証できず立花家に預けられた。

最上 義俊(もがみ よしとし)
最上家親の子。 父の急死により跡を継ぎ山形五十七万石の藩主となる。
一族の派閥抗争が続き、自身も酒色に溺れ家臣の諫めも聞かなかった。御家騒動により改易。

最上 義智(もがみ よしとも)
最上義俊の子。父の死後、わずか二歳で近江大森一万石を継いだ。
風流人で背花堂と号して大森山に歓湖亭を建て、政務の余暇に詩文を作って楽しんだ。

他の最上一門とあわせて見ると、 親兄弟の仲が悪い一族ですね。

-2003/12/07-
[戦国時代関係]
■豊臣秀長の甲冑が見つかった家は敵対した竜造寺家の武将という謎 ...[毎日新聞[取材帳から]]
■<故事巡歴>安土城──戦国語る重装の防御帯 ...[日経新聞]
[歴史ゲーム関係]
■『信長の野望 Online』Windows版、12月8日(月)15:30より、βテストを開始 ...[『信長の野望 Online』Official Site]
というわけで、まもなくWindows版βテストが開始されます。 必要動作環境は
本体CPUPentiumIII 800MHz以上
OSWindows98以降
メモリ256MB以上の実装メモリ
ハードディスク5GB以上の空き容量
ビデオカード DirectX8.1b以上に対応した3Dアクセラレータチップを搭載し、32MB以上のVRAMをもつもの
と、 天下創世よりも厳しいものなので、開始当日の惨状が目に浮かぶようでちょっと怖い気もしますが、
私は通常通り仕事が終わってからの参加になりますので、参加するのは12月9日以降になります。

職業は、、、神主か侍かなぁ、、、
武器や防具の扱いに長ける戦闘のスペシャリスト。
戦闘から回復まで何でもこなせる万能職業。
神主付与や操術を得意とする、神の加護を受けた神道家。
陰陽師天を轟かし、地を引き裂く、攻撃妖術のエキスパート。
忍者忍術を駆使する、野外生活と隠密活動の専門家。
鍛冶屋刀から鎧まであらゆる武具を作り出す鍛冶職人。
薬師医学に精通しており、様々な薬を作り出す錬金術師。

勢力は、、、斎藤、徳川あたりの人が多すぎない所にする予定
勢力名当主 勢力ボーナス本拠,領地
上杉家上杉謙信越後の龍、蒼天に舞う腕力+2越後,上野,越中
武田家武田信玄甲斐の虎、戦国に吼ゆ腕力+1、知力+1甲斐,信濃
北条家北条氏康覇者あり、関東に起つ耐久+2武蔵,相模
今川家今川義元海道一の弓取り、西へ耐久力−1、知力+2、水属性+1駿河,遠江
徳川家徳川家康厭離穢土、欣求浄土腕力+1、耐久力+1三河
織田家織田信長大うつけ、天下を望む魅力+1、火属性+1尾張
斎藤家斎藤道三蝮、天下を呑み込まん知力+1、魅力+1美濃
本願寺本願寺顕如一心に念仏を唱うべし????(未実装)加賀,伊勢
朝倉家朝倉義景越前に花開く文化????(未実装)越前
浅井家浅井長政信義によって起つ????(未実装)近江
伊賀忍百地三太夫死して屍拾う者なし…????(未実装)伊賀
足利家足利義輝将軍家に落日なし????(未実装)山城,大和
三好家三好長慶下剋上は戦国の倣い????(未実装)摂津和泉
雑賀衆雑賀孫市天衣無縫、百発百中????(未実装)紀伊

一番肝心な名前は後日公開するかもしれません。
名前は大切ですよね。似たような名前の人がいて間違われないぐらい個性的かつ、
チャット時に相手が打ち込みやすいような、変換しやすい簡単なものという匙加減が。
古国府とか安心院とか指宿とか読みを知らなければ面倒な名前は避けるべきでしょう。
また、生産物には「○○作」と自分の銘が入るので、それも考慮することでしょう。
逆手にとって「課長島耕作」とかやっちゃう人もいるかもしれません。
鉄砲が生産できたら 杉作とかやってしまいそう、、、

ラグナロクオンラインでは「○○の××」と武器に名前がつくので、
にせものスティレット」とか「やすものウィンドバスタードソード」とか「つかえねぇなこのソードメイス」
といったユニークな武器(というよりキャラ)が存在しました。

-2003/12/06-
[歴史ゲーム関係]
■『信長の野望・天下創世』体験版が一般公開 ...[forGamer.net]
コーエーGameCity会員以外の人でもダウンロードできるようになりました。
[戦国時代関係]
■富山城址公園で室町後半から江戸期の整地層を確認、鍛冶場も−−富山市教委 ...[毎日新聞]
■松平&財前が「芸の追究」 ...[DailySports]
■松平&財前でNHKドラマ「大友宗麟」 ...[日刊スポーツ]
■NHK「大友宗麟−」松平健ら出席し試写会 ...[サンスポ]
再放送は録画予定
[参考リンク1] 正月時代劇「大友宗麟」〜心の王国を求めて〜
[参考リンク2] 上総介 戦国書店
今週のお勧め本コーナーにて原作:遠藤周作「王の挽歌」を紹介されています。
このサイトでは戦国本や時代小説を紹介。登場武将・著者・タイトルなどで分類されており、読書の参考になります。
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
有馬 重則(ありま しげのり)
播磨の国人。赤松家の庶流。摂津有馬から播磨三木に移り住んだ。
別所就治と争い、三好家の支援を受けてたびたび侵入した。

有馬 則頼(ありま のりより)
刑部卿法印。重則の子。播磨三木に生まれ、豊臣秀吉に仕え御伽衆となる。
関ヶ原に東軍として出陣し、旧領摂津有馬郡3万石を領する。

有馬 豊氏(ありま とようじ)
玄蕃頭。則頼の子。秀吉に仕え遠江横須賀を領する。
関ヶ原の戦功で丹波福知山へ移され、その後、筑後久留米に21万石を領する。

豊臣家臣でありながら家康政権下で加増されたまま減封・改易されることなく、
明治まで藩を存続させた有馬豊氏はもうちょっと評価されてもよいと思われる。
利休七哲の一人として数えられることもあるので教養は高めに設定。

ちなみに年末に行われる競馬の重賞レース「有馬記念」は後裔:有馬頼寧の発案で、
中央競馬会はその功績を称えその名を冠することとなる。
[雑記]
勝手ながら、はてなダイアリーの ゲームキーワード「信長の野望」を登録させていただきました。
まだまだ不十分な説明だと思いますので加筆・修正よろしくお願いします。

-2003/12/05-
[雑記]
『信長の野望 Online』β版ダウンロード開始 『信長の野望 Online』β版ダウンロードを始めました。
一昨日は残り7時間かけてデスクトップの方にインストール。
昨日はノートPCにもインストールするつもりでダウンロードを始めると わずか20分もかからずして、すべてダウンロード終了。
ダウンロードアクセス数が大きく変化したのだろうか?

ひとまずゲームを開始して、設定だけしてみる。
フルスクリーンでしかプレイできないのかな?

[戦国時代関係]
■因島水軍城にモノレール 石段バリアフリー化 ...[中国新聞]
■「山吹城」本丸跡を発掘調査〜大東町教委 ...[岩手日日新聞]
■最古の障子堀発見 さらに大きかった?小田原城 ...[神奈川新聞]
[歴史ゲーム関係]
■戦国タクティカルアクション「戦国無双」は2月11日に発売!? ...[gameonline]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん毛利武将(後編)投稿ありがとうございます。
村上 元吉(むらかみ もとよし)
村上武吉の嫡子。
関ヶ原役では西軍に呼応して、故地伊予の奪回を目指し東軍の伊予 加藤嘉明領に討ち入るが、戦死した。

村上 元武(むらかみ もとたけ)
村上元吉の子。武吉の孫。 父が関ヶ原役で戦死したため祖父に養われる。
毛利家が防長移封とともに周防三田尻へ移り、毛利家の船手方として海賊の伝統を残した。

杉 元良(すぎ もとよし)
毛利家臣。杉重良の子。
天正七年、父が大友義鎮側に走ったが、元良の母が 福原貞俊の娘であったため知行を安堵された。

児玉 就英(こまだ なりひで)
毛利家臣。児玉就方の嫡子。
警固衆の頭領となり、天正四年には村上氏とともに、大坂湾頭の織田勢の包囲を破って、 石山本願寺に兵糧を入れることに成功した。

三浦 元忠(みうら もとただ)
毛利家臣。惣四郎。本姓は神田氏であったが、周防の旧族三浦氏を継いだ。
毛利輝元の側近として重用され、 周防・安芸・長門のうちで一万六千石余を与えられた。

桂 元忠(かつら もとただ)
毛利家臣。桂元澄元澄の弟。 児玉就忠とともに元就直属の奉行として活躍。
毛利隆元 のもと五奉行制が成立すると一員となった。元就に才覚はないが正路の人と評された。

小笠原 長旌(おがさわら ながはた)
小笠原長雄の子。 父は尼子家に仕えたが、毛利家に降伏。
尼子勝久 が挙兵すると、長旌は先鋒となって活躍する。 吉川元春 の子を養子に迎えようとするが失敗した。

兼重 元続(かねしげ もとつぐ)
毛利家臣。兼重氏は毛利氏の庶流で、元続の祖父は元就の祖父豊元の庶子にあたる。
毛利家が太閤検地の原則にそった検地を行ったとき、検地奉行を務めた。

三吉 広高(みよし ひろたか)
備後の豪族。備前守。毛利家に仕え、比熊山城を築き居城とした。
関ヶ原役後は浪人。その後、広島藩主となった 浅野長晟に迎えられた。

井原 元尚(いはら もとなお)
毛利家臣。井原氏は安芸井原村の領主だったが、父の代から毛利家に従属し、城番や検使などを務めた。
天正年間に周防三尾に転封され、二千二百余石を領す。

山内 広通(やまのうち ひろみち)
備後の国人。隆通の次男。父の代から毛利家に仕え、父の死後に家督を継いだ。
朝鮮の役に従軍。備前に六千七百余石を領し、国衆としての性格を維持した。

[投稿感謝]   はらへりさん姫武将ありがとうございます。
内藤 ジュリヤ(ないとう じゅりや)
丹波八木城主・内藤源左衛門の娘。切支丹の勇将・内藤如庵の妹。
京都の教会に隣接して女子修道院・べあたす会を創設。べあたす会初代院長となる。
清貧・貞淑・従順の三誓願をたて厳格な修道を行う。
宣教師が立ち入ることのできない大奥や公家や大名家の婦女子への布教に専念する。
禁教令・伴天連追放令が発せられ棄教・改宗を強要されるが拒否した。
そのため国外追放に処され高山右近や兄・如庵とともにマニラに追放された。

小西 マリア(こにし まりあ)
小西行長の娘。宗義智の妻。
秀吉が明攻略を画策し行長に朝鮮出兵を命じたとき講和派であった行長は対馬の領主宗氏と結ぶために義智に嫁ぐ。
義智が秀吉と朝鮮との橋渡し、戦の回避に苦悩する義智を支える。
その中で京へ上る義智を東洋巡察師バリヤーノにあわせ切支丹に改宗させた。
その後関ヶ原合戦で父が処刑され義智に離縁される。

今川 桂(いまがわ けい)
寿桂尼。今川氏親の妻。 義元の母。京都公家の娘。
病床だった氏親に代わり側近とともに今川を治める。氏親を補佐し今川仮名目録三十三条の制定に尽力する。
今川領内を治め各種政治文書を出し氏親、氏輝、 氏真 の四十年間に渡って国政を補佐。
実子である義元に対しては教育を 太原雪斎に託した。
花倉の乱では雪斎とともに家臣の大部分に事前に根回しを行い義元勝利に尽力する。
桶狭間合戦で義元が討たれると再び国政を補佐し駿府の尼御台と呼ばれた。

南部 禰々(なんぶ ねね)
八戸根城主・南部直栄の娘。清心尼。父・叔父・子と皆が早死し二十一代城主となる。
箆持ち制度、一夫一婦制など領内で制定。
日常生活に即し、足軽や女性といった庶民を尊重した政策を行った。


-2003/12/04-
[戦国時代関係]
■戦国期の橋台跡 武田氏の築城技術解明資料に−−韮崎・新府城址発掘調査 ...[毎日新聞]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん毛利武将(前編)投稿ありがとうございます。
天野 元政(あまの もとまさ)
毛利元就の七男。 天野元定の養子となり、一万五千石を領した。
文禄の初めに姓を毛利に戻し、毛利家が防長を移った際、右田村を領したので右田毛利家と呼ばれた。

末次 元康(すえつぐ もとやす)
毛利元就の八男。 出雲末次城を領して末次姓を名乗る。のちに備後に移り神辺城主。
関ヶ原役では家中の内部対立の融和につとめ、大津城攻めの指揮を取っている。

繁沢 元氏(しげざわ もとうじ)
吉川元春の次男。 仁保氏の養子となったが、のちに女婿の三浦元忠に譲り、石見に所領を与えられ浜田城を守り、繁沢姓を称した。阿川毛利家の祖となった。

宍戸 元続(ししど もとつぐ)
宍戸隆家の孫、元秀の子。 毛利家の筆頭家老を務め、朝鮮の役では渡海し戦功をあげた。
関ヶ原敗戦、主家の長州退転に従った。萩城の普請役を務めている。

福原 元俊(ふくはら もととし)
毛利家臣。福原貞俊の子。 式部少輔。
天正十六年、秀吉により豊臣姓を与えられ、子の広俊も翌年同姓を与えられた。同十九年死去した。

福原 広俊(ふくはら ひろとし)
毛利家臣。福原貞俊の孫、元俊の子。 朝鮮派兵に従軍。
関ヶ原役後は主家に従い、萩に移り吉川広家とともに萩藩の基盤確立に尽力。
江戸城などの普請奉行も務めた。

清水 景治(しみず かげはる)
毛利家臣。清水宗治の子。美作守。 秀吉に一万石で誘いをうけるが断り、毛利家の家老までになった。
のちに小早川秀秋に付けられ、関ヶ原役で戦功をあげた。


-2003/12/03-
[歴史ゲーム関係]
『刹那の見斬り改』自己ベスト ■「GAMECITY ウインターサンクスキャンペーン」実施中(2004年1月12日まで) ...[GAMECITY]
用意された簡単なもぐらたたきゲームにクリアすると、抽選でPS2本体,コーエーのゲームソフト,書籍などが抽選で80名に当たります。
130点以上を出すのが難しい、、、クリアは100点でいいんだけど。

[おまけ:ミニゲーム]
■『刹那の見斬り改』を体験しよう! ...[任天堂ホームページ]
これもすごく単純なゲームだけど、どこまで好成績が出せるか挑戦し続けてしまう。
改めて自分に運動神経とか反射神経が通っていないのがわかってちょっと傷心。
ちなみに←は自己ベスト。
[NEWS:戦国時代関係]
■羽柴秀勝、実在の可能性 長浜・妙法寺で石囲いの墓発見 ...[京都新聞]
■大名時代の秀吉に長男? 伝承の寺で埋葬施設 ...[福島民報]
■利家役に東幹久さん 来年の百万石まつり、6月12日に行列 ...[北國新聞]
■4人が研究成果講演 6日「歴史シンポジウム」 “城山のあるじ”の異説も ...[桐生タイムス]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん織田一門投稿ありがとうございます。
羽柴 秀勝(はしば ひでかつ)
織田信長の四男。 羽柴秀吉の養子。 元服後、長浜の支配を任される。
備前高松城攻め、賎ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦いに参陣し、丹波を領したが十八歳で急死した。

織田 秀雄(おだ ひでお)
織田信雄の嫡男。 母は北畠具教の娘。 秀吉に仕え、越前大野五万石を与えられた。
関ヶ原役では初め前田利長についたが、 ついで父とともに西軍につき改易された。

織田 高長(おだ たかなが)
織田信雄の五男。 前田利常に属し、大坂の陣で戦功をあげる。
父が死ぬと遺領から大和松山三万石を与えられた。
上野小幡藩の兄信良が死ぬと遺児信昌の後見をした。

織田 信重(おだ のぶしげ)
織田信包の長男。 秀吉に仕える。関ヶ原役で西軍に属したにも関わらず許され、所領を安堵される。
弟と父の遺領をめぐって弟と争い改易された。

織田 長孝(おだ ながたか)
織田長益の長男。長一。 関ヶ原役で父とともに東軍に属し、西軍の戸田重政を討ち取った。
この功により美濃野村で一万石を与えられた。

織田 頼長(おだ よりなが)
織田長益の次男。左門。 大坂の陣では淀殿の従兄として総大将を望むが果たせなかった。
夏の陣前に父とともに大坂城を退去した。

[投稿感謝]   はらへりさん姫武将ありがとうございます。
奥村 安(おくむら つね)
能登末森城主・奥村永福の妻。
佐々成政 に末森城を攻められたとき、夫・永福とともに兵三百で佐々勢一万五千を相手に篭城し城を守った。
心優しくすべてに控えめで青い柳の小枝と見まごうほど優美な女性であった。

池田 徳(いけだ とく)
織田信長の乳母。養徳院。信長は生涯実の母より養徳院を慕った。
信長死後秀吉も大御乳様と敬った。信長のための桂昌院、夫子のための護国院を建立した。

山内 千代(やまのうち ちよ)
山内一豊の妻。
貧しい中駿馬を買い信長の京都での大馬揃えではその馬が天下一の折紙をつけられる。
関が原合戦では笠に大阪方の情報を書き込み家康に送る。

津軽 満天(つがる まて)
徳川康元の娘。福島正之に嫁ぐ。正之の死後、 津軽信牧と再婚する。
福島家が断絶後、子の直秀が福島家の再興を願い出したので直秀を毒殺した。

石田 辰子(いしだ たつこ)
石田三成の娘。 津軽信牧に嫁ぐ。
関が原合戦後三成の忘れ形見であるため信牧によって上野に移される。
しかし息子・信義は津軽藩三代目藩主となる。


-2003/12/02-
[NEWS:戦国時代関係]
■桃山、江戸時代の「小袖」再現 徳川美術館で着付けを実演 ...[中日新聞]
■謙信公のかちどき飯(上越市) 山海の幸ふんだん「戦国の酒席」再現 ...[読売新聞]
■長雨などで利用者減る 木之本町の賤ケ岳リフト今季営業終了 ...[中日新聞]
■大坂冬の陣で斬首された武士か 府警庁舎跡で頭蓋骨発掘 ...[朝日新聞]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん宇喜多家臣投稿ありがとうございます。
宇喜多 春家(うきた はるいえ)
宇喜多直家の異母弟。 六郎兵衛。備中砥石山城主。
永禄十一年、松田家攻略後はその居城金川城を守った。
天正七年、伊賀久隆の遺子与三郎の夜襲を退けた。

宇喜多 秀隆(うきた ひでたか)
宇喜多秀家の長男。孫七郎。 七歳のとき豊臣姓を賜り、従四位下に昇叙。
関ヶ原役後、父とともに八丈島へ流罪となる。慶安元年、父より先に配所で死去。

宇喜多 基家(うきた もといえ)
宇喜多忠家の子。
叔父直家の養子となり、直家が織田家に服属するとき、信忠のもとへ人質として送られた。
毛利勢との八浜の合戦で流れ弾に当り討ち死にした。

浮田 宗勝(うきた むねかつ)
宇喜多秀家の又従兄弟。 重臣として秀家に仕え、四千石を領し高尾山城を居城とした。
関ヶ原役では留守居役を務め、敗戦後、岡山城を明け渡して退去した。

明石 景行(あかし かげゆき)
宇喜多家臣。明石全登の子。 景季の養子。久兵衛。二千石を領して岩戸城を居城とした。
関ヶ原役後、主家が改易されると隠退した。

明石 宣行(あかし のぶゆき)
宇喜多家臣。景行の子。全登の孫。文禄二年、家督相続。
四千五百石を領し、 岡家利の与力組頭であった。
大坂の陣では祖父に従って夏の陣で討ち死にした。

小瀬 甫庵(おせ ほあん)
宇喜多家臣。秀正。千石を領した。藤原惺窩の門に入り、儒学を修めた。
宇喜多家改易後、信長・秀吉の事跡を調査し、「信長記」「太閤記」を著した。

遠藤 俊通(えんどう としみち)
宇喜多家臣。兄又次郎とともに主君の命により、 三村家親を暗殺した。
以後各地の合戦に従軍。三千石を領して正崎城を居城とした。 関ヶ原役後は隠退した。

馬場 職家(ばば もといえ)
宇喜多家臣。三星城の戦い、三村氏の残党との戦い、名禅寺の合戦に参戦。
八浜の合戦では七本槍の一人として高名をあげた。九州攻めで重傷を負い隠棲した。

馬場 実職(ばば さねもと)
宇喜多家臣。職家の子。主君に従い、朝鮮に出陣し、漢南の戦いでは 戸川達安の弟玄蕃を助けた。
関ヶ原役後、岡山に戻り隠棲。のちに池田光政に仕えた。

沼本 房家(ぬまもと ふさいえ)
浦上家、のちに宇喜多家に属した。
智深く勇優れたる士といわれ、備中斉田攻め三浦貞勝の遺臣による高田城奪回戦に助力。
毛利勢との戦いで備中で討ち死した。

沼本 豊国(ぬまもと とよくに)
浦上家、のちに宇喜多家に属した。房家の弟。
蓮華寺に拠って浦上勢の攻撃を退け、直家に従って天神山攻めで功をたてた。
兄が討ち死にすると家督を継いだ。

戸川 正安(とがわ まさやす)
戸川達安の子。 父の跡を継ぎ、備中庭瀬二代藩主となった。
領国基盤の拡充に勤め、幕府との関係では大名課役や勅使、院使接待役を数度にわたり務めた。

国富 貞次(くにとみ さだつぐ)
宇喜多家臣。源右衛門。
家中で並びなき勇士といわれ、数々の戦功をたて、八浜の合戦では八浜七本槍の一人として名をあげた。
重臣間の紛争で主家を退去。

角南 如慶(すなみ じょけい)
宇喜多家臣。主君直家の信頼が厚く、毛利との和議、織田との和議の際も使者を務めた。
重臣間で紛争が起こると主家を退去。関ヶ原役後は家康に仕えた。

中村 次郎兵衛(なかむら じろうべえ)
宇喜多家臣。豪姫が前田家から輿入れした際、付人として岡山に来て八百石を与えられた。
城下の整備などで才覚を示すが、戸川達安らと対立し加賀へ戻った。



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