大久保忠員の八男。通称彦左衛門。自らの理想の武士像を描いた「三河物語」を遺す。後世、その頑固一徹さから講談の主役となり「天下の御意見番」と呼ばれた。
(????〜1580)西美濃四人衆の1人。斎藤家滅亡後は織田家に仕える。信長の北陸平定後は越前に所領を与えられ、柴田勝家の与力として働いた。