久世又兵衛
(?〜1612)
通称・但馬守。実名は不明。
元は伊勢の豪族の出ともいわれている。
佐々成政の麾下として、小出城を守る。成政が馬備えのために京に行っている隙に上杉景勝の麾下の河田長親が攻め寄せたが、16日間の籠城の末、佐々の後詰めにより勝利。
対前田利家戦では、鳥越城を奪う。前田軍を二度にわたり撃退。特に二度目は前田利家自らが指揮していたにもかかわらず落とせなかった。
対秀吉の戦力集中のため鳥越を撤退するまで守りぬいた。
成政の死後は、豊臣秀次、結城秀康に仕え二万石を領す。
秀康の寵愛は激しく、初期越前藩政を運営する重鎮となるが、次代忠直の不興を蒙り、一族とともに殺害される。久世騒動(越前騒動)という。
上杉、前田相手に三度も城代として守りぬいた稀代の名将である。
今川範以 土屋忠直 徳川義直 徳川頼宣 徳川頼房 徳川忠長 保科正之 徳川家綱 徳川綱重 徳川綱吉 松平忠昌 松平直政 松平光長 永見長良 井伊直勝 井伊直滋 井伊直澄 大須賀忠政 榊原康勝 酒井忠勝 酒井忠直 本多忠刻 本多政朝 本多政勝 本多政重 本多正勝 石川忠聡 大久保忠教 大久保忠常 水野勝俊 水野成貞 青山忠俊 渡辺重綱 土井利房 板倉重宗 板倉重昌 牧野儀成 牧野秀成(生年不詳) 牧野忠成 服部正就 伊奈忠治 伊奈忠政 織田恒直(没年不詳) 織田秀雄 織田信良 織田高長 織田昌澄 織田信則 柴田勝重 三宅重利(生年不詳) 前田直之 前田光高 前田利次 前田利明 奥村易英 奥村栄明 村井長次 丹羽光重 池田長吉 池田利隆 池田忠継 池田忠雄 池田政綱 池田輝興 中村一忠 山内忠義(養子) 堀尾忠氏 金森重勝 金森重頼 前田茂勝 堀忠俊 堀親良 蜂須賀至鎮 加藤忠広 福島正利 福島忠勝 加藤明成 加藤明利 浅野長重 浅野長治 浅野光晟 上田重秀 上田重政 仙石忠政 斉藤福 日根野高吉 分部光信(養子) 藤堂高吉 九鬼守隆 溝口宣勝 溝口善勝
東海地方の二世武将です
非常に多いです。生年・没年がわからない武将がいましたが自分で勝手に設定しました
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斎藤長龍
斎藤道三の末子。織田家の美濃攻略で活躍した。本能寺の変で信忠に殉じた。
斎藤徳元
長龍の子。道三の孫である。秀信改易後は文化面で活躍した。
五藤 為浄(ごとう ためきよ 1553〜1583)
山内家臣で、通称・吉兵衛。父・基浄の代から山内家に仕え各地を転戦。天正11年、伊勢亀山城攻撃に際しては一番乗りを果たすが、討ち死にした。
2006年、NHK大河ドラマ「功名が辻」で武田鉄也が演じた五藤 吉兵衛は実在の人物であり子孫もいます。ここに武将データとして出すことにより、主人・一豊と同列という感じも与えてしまうことに一抹の不安も感じますが、思い切って出してみました。「功名が辻」では一豊よりも年上の1535年生まれと設定されていますが、史実では1546年生まれの一豊よりも年下の、1553年生まれです。
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明智 元親
2007/01/07/13:22:35
No.72
評価★★★
病死ではなく討ち死の武将なので、寿命は少し増やして設定してあります。
徳川譜代の水野一族をまとめて見ました。
出奔して放浪していた割に何故か家康28将に入っている水野勝成はかなり強くしてあります。
元々勝ち組の為評価が高めの徳川家中では微妙かもしれません
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皆弱くしました。
五男:勝長
六男:信秀
七男:信高
八男:信吉
九男:信貞
十男:信好
十一男:長次
本当は四男(羽柴)秀勝も作ろうと思ったのですが、
なんか二人いるらしいので(汗
詳しい人にお任せしたい・・・
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清康から家康まで仕えた、鳥居元忠の父忠吉、元忠の長男忠政、三男の成次をセットにしました。
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明智光秀の旧臣。通称「作兵衛」。本能寺の変では先鋒として活躍したが、山崎合戦で敗走。天野源右衛門と改名、蒲生氏郷、立花宗茂などに仕えたという。
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丹波八上城主、光秀の甥。本能寺の変に際し二条御所に信忠を攻めるが銃弾を浴び負傷、知恩院で療養中山崎の敗戦を聞き自刃という。五宿老の一。
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松平家臣。「合戦ごとに槍に血ぬらさずということなし」といわれ「血槍九郎」の異名を持つ。その武勇をもって、清康広忠・家康の松平3代に仕えた。
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