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[706] 佐久間盛政この記事に返信する 記事削除
投稿者名: けん
投稿日時: 2005年11月5 (土) 00時41分14秒▽

http://hima.que.ne.jp/kakushin/kakushindata.cgi?up1=0&keys2=%8D%B2%8Bv%8A%D4%90%B7%90%AD&index=&IDn001=AND&sort=&print=20

 能力値をダラダラと見比べているのが趣味な私は、佐久間盛政の能力値に、もうちょっと愛が欲しくなってきた。
 「尾張武人物語」に、尾張が生んだ猛将のなかで、盛政はその随一に推される人物だ、と書かれているんだそうだ。
 尾張が生んだ猛将には、柴田勝家や福島正則がいるのに、なぜ盛政なのだろうと、私なりに首を傾げたものである。
 その結論として、勝家や正則は、大名という枠組みが語られるべき人たちであり、将という枠にはおさまらない。将という器で考えたとき、なるほど、猛将と呼ぶに相応しいのは盛政だ、と私なりに納得している。
 革新の武将たちの能力値を見ていると、統率と武勇が高いのが猛将系。統率と智謀が高いのが知将系。武勇だけが高いのが匹夫の勇者という風に分けられていることがなんとなく察せられる。
 盛政は賤ケ岳の戦いで猪突し、敗因を作ったと通説のように語られるが、賤ケ岳関係の本を読むといちように否定されている。敗因は前田利家の離反である。利家の行為は、関ヶ原の役の小早川秀秋に匹敵する裏切り行為である、というのだ。
 また、盛政が敗因のように語られるのは、前田百万石の陰謀だという。
 その意味で、盛政もまた、よるある勝者によって書かれた歴史の犠牲者なのである。
 賤ケ岳の役の敵味方のバランスを考えれば、盛政に手の連れられない猛将でなければ盛り上がらない。(前田利家は所詮裏切りものだし、佐々成政は参加していない)
 そこで柴田勝家でさえ統率できなかった暴れん坊ということで、武勇を勝家より上。
 若くして亡くなっただけに実績が少ない。それゆえに統率が、佐々成政や前田利家より下になっているのは理解できる。
 しかし、ここは歴史ロマンということで、思い切って島左近クラスの能力値にしてくれないものだろうか?
 島左近とて、実績などなにもないが、ロマンによって底上げされた武将なわけだし……。

 よって、私の希望能力値。
 統率90 武勇97 智謀24 政治18
 足軽B 騎馬A 弓B 鉄砲B 計略D 兵器B 水軍D 築城C 内政D

 ここまでしてこそ尾張の生んだ随一の猛将だ。
 柴田勝家とツートップがこられたときを想像すると、史実通り知略を駆使せざる終えないだろう。


[709] 柴田軍団この記事に返信する 記事削除
投稿者名: けん
投稿日時: 2005年11月5 (土) 14時13分46秒▽

 佐久間盛政

>  統率90 武勇97 智謀24 政治18
>  足軽B 騎馬A 弓B 鉄砲B 計略D 兵器B 水軍D 築城C 内政D
>

 革新では、一人で兵種B以上を多量に所有しているのは少ないということに気がついた。
 よって、
 足軽C 騎馬A 弓C 鉄砲C 計略D 兵器D 水軍D 築城C 内政D
 槍衾、先駆け、突進、罵声、威圧
 ぐらいが適当だろう。(計略系は所持していても効果がないだろうが雰囲気で)

 と、それはともかく、賤ケ岳の役のシナリオがないから、別に問題ないのだが、柴田軍団弱すぎ。これでは豊臣秀吉麾下の有能な武将たちに歯が立たない。
 せめて、前田利家麾下の名将・村井長頼、奥村永富。佐々成政麾下の名将・久世又兵衛に出てもらわないと。
 あと、賤ケ岳のシナリオを容易するなら、柴田勝家の麾下に大野治長を配してもらいたい。
 勝家で遊ぶなら、茶々姫を治長に与えて、秀吉にトドメを刺させることこそ通の遊び方だろう。(←マニアックなことを)

 今回、原長頼がひそかに使えるやつに成長していたことは嬉しかった。
 佐久間盛政軍の撤退時の殿軍を勤めた佐久間勝政は、弓と鉄砲で、追撃してくる羽柴軍を止めた。よって、騎馬Dに落としていいから、弓B、鉄砲Cにして欲しかった。
 毛受勝照。騎馬Cか……。もう一声。騎馬Bが欲しかった。

 我ながら細かい話である。


[727] 拝郷家嘉この記事に返信する 記事削除
投稿者名: けん
投稿日時: 2005年11月23 (水) 13時20分14秒▽

 太閤立志伝では常連さんである。
 しかし、信長の野望には顔を出さない。
 太閤立志伝の能力値などをみると、コーエーさん、じつはこの武将のことを把握していないのではないか、という疑惑に駆られる。

 柴田勝家の麾下の代表的な猛将である。
 水野家の縁戚だったといわれ、織田信長に仕え、柴田勝家の与力となり緒戦に参加。
 北陸の一向一揆の制圧の要の将として活躍。
 この辺り一帯で子供が泣いて黙らせるとき、拝郷が来ると言うと子供が泣きやんだという。
 天正八年、加賀国能美の千代城を与えられ、後、大聖寺城主に任ぜられる。
 賤ヶ岳の戦いでは、前田利家の戦線離脱で、戦線が崩壊するなか、柴田勝政の救援に向う。
 かの有名な「賤ヶ岳の七本槍」とは、秀吉旗本隊と拝郷家嘉隊の戦いのことである。
 敗軍の中、家嘉に一番槍をつけたのは加藤清正。これを撃退。
 逃げようとするとき、福島正則から罵声を浴びせられたゆえに、単身引き返し突き伏せたが、片桐且元、糟屋武則らから前後左右から突きからかけられ、弱ったところを正則に首を取られた。
 なんとも壮絶な最期である。
 七本槍がなぜ称えられるのか。それは拝郷家嘉がすごい猛将だと知れ渡っていたからであろう。

 総合的にみて、真柄直隆と同じくらいの能力値で登場してみらいたい。

theme.gifrep.gif[706]佐久間盛政 けん 〔2005.11.5 00:41〕
b2.gifspace.gifrep.gif[709]柴田軍団 けん 〔2005.11.5 14:13〕
space.gifb2.gifspace.gifrep.gif[727]拝郷家嘉 けん 〔2005.11.23 13:20〕

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