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来週からが楽しみです。
さて今回もせっかくだから姫武将第三弾です。
内藤ジュリヤ…丹波八木城主・内藤源左衛門の娘。切支丹の勇将・内藤如庵の妹。
京都の教会に隣接して女子修道院・べあたす会を創設。
べあたす会初代院長となる。清貧・貞淑・従順の三誓願をたて厳格な修道を行う。
宣教師が立ち入ることのできない大奥や公家や大名家の婦女子への布教に専念する。
禁教令・伴天連追放令が発せられ棄教・改宗を強要されるが拒否した。
そのため国外追放に処され高山右近や兄・如庵とともにマニラに追放された。
小西マリア・・・小西行長の娘。宗義智の妻。
秀吉が明攻略を画策し行長に朝鮮出兵を命じたとき
講和派であった行長は対馬の領主宗氏と結ぶために義智に嫁ぐ。
義智が秀吉と朝鮮との橋渡し、戦の回避に苦悩する義智を支える。
その中で京へ上る義智を東洋巡察師バリヤーノにあわせ切支丹に改宗させた。
その後関が原合戦で父が処刑され義智に離縁される。
夫が基督教を捨てるなか棄教はせず長崎で信仰を守り通した。
今川 桂…寿桂尼。今川氏親の妻。義元の母。京都公家の娘。
病床だった氏親に変わり側近とともに今川を治める。
氏親を補佐し今川仮名目録三十三条の制定に尽力する。
今川領内を治め各種政治文書を出し氏親、氏輝、氏真の四十年間に渡って国政を補佐する。
実子である義元に対しては教育を大原雪舟に託す。
花倉の乱では雪舟とともに家臣の大部分に事前に根回しを行い義元勝利に尽力する。
桶狭間合戦で義元が討たれると再び国政を補佐し駿府の尼御台と呼ばれる。
南部 禰々…八戸根城主・南部直栄の娘。清心尼。
父・叔父・子とみなが早死し二十一代城主となる。
箆持ち制度、一夫一婦制など領内で制定する。
日常生活に即し、足軽や女性といった庶民を尊重した政策を行った。
若干姫武将は名前が不確かなところがあるけど史実姫武将の命名規則をまねて
見松院→松 黄梅院→梅 芳春院→春 浄光院→光
これらの規則を真似て便宜上、
寿桂院→桂 養徳院→徳
にしてあります。 |
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