戦国雑話-蓑火-

蓑火 田舎道などによなよな

火のみゆるハ多くハ狐火なり

この雨にきるたみのの嶋とよみし蓑より

火の出しハ陰中の陽気か

又耕作に苦しめる

百姓の臑の火なるべし

−今昔百鬼拾遺中之巻・霧−

  (鳥山石燕)

 田蓑の島とは大阪府の川尻(川口)付近の地名で、難波七瀬 の一つ。一説に、天王寺あたりともいう。謡曲『蘆刈』では、 「雨に着る田蓑の島もあるなれば露も真菅の笠などかなるらん」 と詠まれ、石燕はここから文を引用した。

 今からおよそ450年前、浄土真宗の拠点である石山本願寺の あった難波はその門徒達と大坂商人によって貿易港の町として 栄えていた。同じ頃紀伊(和歌山)の雑賀地方の浄土真宗の 門徒である土豪・農民が組織して一向一揆(雑賀一揆)を起こ した。雑賀衆は日本で最初に火縄銃の国産化に成功した紀伊 根来寺の根来衆より製造法を学び、銃の大量生産に及び強力な 火器による武力を得て戦争に勝ちつづけた。

 いっぽう大坂の難波は、日本で数少ない火薬の原料である 硝石の取引港であり、石山本願寺は多量の火薬を手に入れて いた。織田信長はこれに目をつけ、石山本願寺に1570年から 10年間に渡って断続的な戦争を行った。これに対して雑賀衆 を含めた浄土真宗の門徒たちは、信仰をかけて応戦。信長軍 も門徒軍も、大量の火縄銃を手にして銃撃戦を展開したので ある。だが門徒は結局1580年に信長に敗れることとなった。 戦後すぐ壊された石山本願寺の真上に、門徒の怨霊を権力で 封じる象徴として大坂城が建造された。

 「臑の火」とは、「火をつける道具もないほど貧乏になる」 という意である。臑(脛)はひざから足首の部分であるが、 踏みこたえる力、つまり労働力を象徴している。ここで石燕が 「百姓の臑の火」だといったのは貧困に苦労する百姓の恨みの 火ということで、それを田蓑の島と掛けて、貧困から一向一揆 を起こし、火薬をめぐる戦争に敗れて死んでいった難波の門徒 の農民たちを哀れんだのである。「百鬼解読(多田克巳)」より