戦国雑話-神祖駿河にゐませし御時-

ぬっぺっぽう
ぬつへふほふ(ぬっへっほう)
『画図百鬼夜行』鳥山石燕より

神祖、駿河にゐませし御時、或日の朝、御庭に、
形は小児の如くにて、肉人ともいふべく、
手はありながら、指はなく、指なき手をもて、上を指して立たるものあり。

見る人驚き、変化の物ならんと立ちさわげども、
いかにとも得とりいろはで、御庭のさうざう敷なりしから、
後には御耳へ入れ、如何に取りはからひ申さんと伺うに、
人見ぬ所へ逐出しやれと命ぜらる。

やがて御城遠き小山の方へおひやれりとぞ。

或人、これを聞て、扨も扨もをしき事かな。
左右の人たちの不学から、かかる仙薬を君に奉らざりし。
此れは、白沢図に出たる、封といふものなり。

此れを食すれば、多力になり、武勇もすぐるるよし。

「一宵話・巻之二」

[現代語意訳]
徳川家康
神祖
今川義元
肉人?

慶長14年(1609年)4月4日朝、肉人とでも呼ぶような怪人が、
晩年の徳川家康が住んでいた駿府城の庭に現れた。
その怪人は小児のようで、手はありながら指は無く、
その手で上方を指して立っていた。

城内の者は驚き、怪異の類であろうと思い、捕らえようとするが、
なかなか捕まえることが出来なかった。
その話を聞いた家康は、「人の見えぬところへ追い出してしまえ」と命じ、
結局、山の方へ追い払ってしまった。

この話を聞いた、薬学に詳しい者がこの話を聞いて、
「なんとも勿体無い事をしたものだ。
 『白沢図』に載っている封というもので、食せば武勇絶倫となったのに、
 仕える者の無学なせいで、主君に仙薬を賜う事が出来なくなってしまった。」
と嘆いた。

『本草綱目』によれば、封は小児に似て、手に指は無く、血も無い。
『白沢図』にも載り、封は人の食用となる。
建築のために土を掘ると、肉の塊を一つ得ることがあり、
衛士はこれを「太歳」と呼んで遺棄するが、無害とも言う
『山海経』には、視肉という肉のごときものがあり、
形は牛の肝のようであり、両目があって、食料となる。