日本の八大天狗の第一位にして天狗界の第一人者と いわれる京都愛宕山の愛宕山天狗は毘沙門天の化身で あるともいわれる。また、京都の鞍馬山は日本で最も 天狗が棲む山であるといわれている。鞍馬山の天狗は 源義経に武術と兵法を教えたことで有名であり、鞍馬 山の鞍馬寺では毘沙門天(多聞天)を本尊とするが、 その本尊の夜の姿が魔王大僧正という天狗の首領とさ れこの二大天狗は同一のものであると言われている。
そして室町時代、愛宕山天狗の武運をあやかろうと する信仰が生まれた。細川政元が飯綱・愛宕の法に入 れこんだことから始まり、戦国武将の間に広まってい った。
上杉謙信 の使った朱印のひとつに「飯綱明神・摩利 支天・勝軍地蔵」という印文を彫ったものがある。ま た上杉神社の社宝の謙信所用の兜の前立ては、黄金の 飯綱明神であった。謙信は合戦の前に必ず毘沙門堂に 篭もることは有名である。
「本年一年間、越軍が信州上州二国に兵を動かさず、 わざわいをなさず、信玄の企てるところが存分に達 せられるよう、法華百部を読誦して飯綱大明神に献 ぜよ。さすればたちまち所願成就間違いない。」と支 持した自筆願文を奉納した 武田信玄も同様であろう。
ほかにも、 明智光秀が本能寺に信長を討つ前、愛宕 へ詣でて「時は今天が下知る五月かな」を発句に連歌 を納めているし、徳川家康も慶長八年(1603年) 夏、近江愛宕山に社殿を造営した。これは大坂城対策 のことであろうか。それとも伊賀越えが無事できた事 への礼であったのだろうか。
信じない人1 |
所願成就 |
二匹目の鰌 |
信じない人2 |
所願不成就 |
毘沙門天の加護 |