『信長の野望DS2』登場武将総覧

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武将姓武将名 政治戦闘教養魅力 義理天性相性生年 列伝
  足軽騎馬鉄砲 寿命野望口調父親
あきやまのぶとも6975 607112 猛将 58 1527年(一般)武田家臣。伊那衆を統率する。徳川家康に「武田軍の猛牛」と評されたほどの猛将。岩村城に籠城して織田信長軍と戦うが、敗れて捕虜となり、磔刑にされた。
秋山 信友 BB C970 猛将 -
あけちひでみつ4171 707212 勇将 58 1537年(一般)明智家臣。岳父・光秀のもとで本能寺の変に加担した。山崎合戦では安土城を守るが、本軍の敗報を受けて坂本城に退却し、財宝を包囲軍に譲渡して自害した。
明智 秀満 CC B866 普通 -
あなやまこすけ2682 428915 勇将 58 1567年(一般)真田十勇士。武田家臣だった父に従い、武田家滅亡後に真田幸村に仕える。風貌が幸村に似ていたことから、幸村の影武者を務め、大坂夏の陣で戦死を遂げる。
穴山 小助 AC C834 忍者 -
あなやまのぶきみ7432 74762 猛将 58 1541年(一般)武田家臣。一門衆の筆頭格。合戦ではおもに本陣を守った。武田家滅亡後は、徳川家康に降る。本能寺の変を知り、堺から本国へ帰る途中で何者かに討たれた。
穴山 信君 CB C865 普通 -
さなだのぶゆき8674 726912 知将 58 1566年(一般)昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。
真田 信幸 BC B1450 普通 真田昌幸
すずきしげかね8449 647411 知将 58 1540年(一般)紀伊の豪族。佐大夫重意の子。平井に住み「平井の孫市」と呼ばれた。思慮深い人物で、雑賀党の背後にあって部族間の調整や政治工作といった役割を担った。
鈴木 重兼 CC B560 普通 鈴木佐大夫
たけうちひさもり971 34517 猛将 58 1503年(一般)美作の豪族。一ノ瀬城主。宇喜多直家の美作侵攻軍に敗れ、その臣下となる。戦場における組み討ちを基本とした日本最古の柔術流派・竹内流柔術を創始した。
竹内 久盛 AC C1421 忍者 -
なべしまかつしげ7870 707010 知将 58 1580年(一般)肥前佐賀藩主。直茂の嫡男。関ヶ原合戦で西軍に属すが、巧みな事後処理で所領を安堵される。島原の乱の際は、多大な犠牲を払いながらも乱鎮圧に貢献した。
鍋島 勝茂 BC B1167 普通 鍋島直茂
なべしまきよふさ5263 626010 勇将 58 1512年(一般)龍造寺家臣。清久の子。田手畷合戦において父とともに龍造寺軍を救い、龍造寺家純の娘を娶る。のち主君・隆信の母・慶誾尼と再婚し、主家との絆を深めた。
鍋島 清房 CC C1060 普通 -
なべしまなおしげ9388 77787 知将 58 1538年(一般)龍造寺家臣。清房の子。主家の発展に貢献した知勇兼備の将。主君・政家を後見して国政を執った。関ヶ原合戦で東軍に属し、戦後、肥前の支配権を獲得した。
鍋島 直茂 AA A1171 普通 鍋島清房
ゆりかまのすけ3886 749515 勇将 58 1583年(一般)真田十勇士。鎖鎌の名手。鈴鹿山中で三好伊三とともに山賊をしていたが、三好清海の誘いで真田幸村の家臣となった。三河野田城の将だったという説もある。
由利 鎌之助 AC C465 忍者 -
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