過去の記事[2004.11.01-2004.11.15](in 火間虫入道)
最近の動向■甲賀市誕生を記念したミュージカル「甲賀のさすけ」 ...[MSN-Mainichi INTERACTIVE]
「大坂の陣」で、真田幸村に仕えた伝説の「真田十勇士」の活躍などを描いたフィクション
■「囲碁殿堂」がオープン・徳川家康らが殿堂入り ...[日経新聞]最後は織田四天王の一人で
「先駆けは一益、殿も一益」と謳われた
勇将・ 滝川一益
尾張時代から信長に仕え、北伊勢進攻では大将を務める。
北畠討伐の功により伊勢長島城主となり、伊勢長島攻め、長篠の陣、
本願寺攻略、伊賀攻めなど織田家の有力武将として各地を転戦。
武田家滅亡後は上野一国と信濃二郡を与えられ関東管領厩橋城主となる。
本能寺の変直後、家臣団の統制が取れず北条に攻められ本領へ逃亡。
清洲会議にも出席できず織田家中での地位は下落。
賎ヶ岳合戦では 柴田勝家と共に 織田信孝方につくものの、 桑名城を包囲され降伏、所領を没収された。
小牧長久手合戦では秀吉につくが、家康に攻められ敗北。
その後は越前に隠居し、程なく没した。
では近江国甲賀郡出身ということで「忍者」扱い。
服部半蔵のように配下に忍者を抱えていたと考えれば、納得は出来る。
織田信長の伊賀攻めの際には、甲賀衆を派遣させたという話もありますし、
もっとも、甲賀攻めの時には、案内役を買ってでたという話がありますが・・・
『信長の野望 蒼天録』では族子・滝川益重と、その子・前田慶次郎利益らで忍者一族を結成。
『信長の野望 天下創世』では大名扱いのシナリオもある。
[おまけ:「忍者」にしてもらえなかった男]
和田惟政
和田家は甲賀21家の一つで六角氏に所属、
その縁で足利義輝の御供衆となる。
三好三人衆・松永久秀によって義輝が殺害されると、
細川藤孝の手引きにより救出された義輝の弟・覚慶を庇護。
覚慶は還俗して足利義昭と名乗り、 このとき惟政は義昭の直臣となった。
織田信長が義昭を奉じて上洛すると、惟政はその功を賞され摂津高槻城主となり、
池田勝正・ 伊丹親興とともに摂津三守護に任じられる。
三好三人衆の京都侵攻に対して防戦に務めたが、三人衆に通じた 池田知正に討たれた。
畿内におけるキリスト教の有力な支援者で、フロイスらが帰京できるよう取り計らったり、
会見を躊躇う信長をも説き伏せるほどであった。
大名の地位を棄ててキリスト教をとった高山重友 は惟政配下の武将である。
『信長の野望 将星録』では忍者扱いであったが、忍者らしからぬ能力値のためか、
『信長の野望 烈風伝』では甲賀出身であるにもかかわらず、普通の武将である。
家宝やエディタを使って「忍者」にした時にだけ自らを「甲賀武士」という固有メッセージがでてくるあたり、
『信長の野望 烈風伝』製作者たちの頭の中には「忍者にあらざれば甲賀にあらず」という思想ががあるようだ。
嵐世記以降のシリーズでは忍者武将に返り咲き、『信長の野望 蒼天録』では、
全能力値において百地三太夫や風魔小太郎を凌駕するほどの忍者武将へと変貌している。
(単に百地三太夫や風魔小太郎といった諸勢力武将の能力値が大暴落しただけです)
「目からウロコが落ちる」は日本で出来た言葉じゃ無かったのか・・・。
たしかに魚を食べる習慣のあるところだし、アノ人は鰯が好物だったという話を聞いたこともある。
あと、時代劇関係にちょっと興味のある方には
『挑戦者たち』(みなもと太郎)がお薦め。
太秦映画村での仕出(端役より下のチョイ役、エキストラとは違い所属会社に名前が登録される)
のアルバトを経験した作者のエピソード等面白く読めます。
韮山城は戦国時代初期の武将
北条早雲
の居城として知られ、
1610年に廃城するまで、武田信玄や豊臣秀吉らの攻撃を受けた
発売日は2005年1月20日で価格は11340円。
「合戦エディタ」、「合戦トライアルモード」、「領地エディタ」の搭載や、
「新施設」、「新シナリオ3本」、「武将100人」、「歴史イベント50個」が追加されています。
コンシューマー版オリジナル要素ってのは無いのかな?
「太閤立志伝」および「太閤立志伝3」を追加しました。
また、新たに確認できた検索窓設置サイトを追加しました。
■「萩の新シンボル」に期待 毛利輝元公の銅像除幕 ...[asahi.com:山口]
■伊丹市は「清酒発祥の地」 最初に醸造に成功したのは戦国武将、山中鹿之介の長男 ...[産経新聞]
ちなみに子孫は三和銀行の創始者
■最近、戦国武将らの名を冠した新しい書店が増えた ...[asahi.com:富山]商品の主力はアダルト系のビデオ、雑誌などだった・・・
■大坂城の住所は、大阪城1番 ...[デイリーポータルZ]ほう、どっかの自動車会社みたいだ
殺される方は
「お前が伊賀の服部半蔵か!?
敵にすべきではなかった…」
と、続きます。
ところでこれの元ネタってどこでしょうかね?
やはり山田風太郎作品でしょうか?
というわけで固有メッセージ持ちの忍者武将、
二人目は 服部半蔵正成です。
服部家は伊賀国服部郷の土豪で、百地・藤林とならんで忍びを統率する伊賀上忍三家のひとつ。
正成の父・服部半三保長 の代に、三河へ移り住み松平家に仕えることになる。
実際には、服部半蔵正成は伊賀で生活したことも無く、「この伊賀の…」と名乗るのは無理があるような気がする。
『信長の野望 烈風伝』では他に伊賀出身の忍者として、 石川五右衛門や、 霧隠才蔵、
上忍である 百地三太夫ですら 「この伊賀の…」なんて言わなかったりする。
伊賀で暮らしたことの無いコンプレックスのようなものがあったのかもしれない。
本能寺の変時、半蔵は徳川家康と共に堺におり、服部の名をもって伊賀の有力者を説得し、家康を保護。
伊賀越えルートを通って無事に三河へ帰還させた。
この縁で伊賀の地侍たちは徳川家へ召し抱えられ、半蔵が統率することになった。
1596年、秀吉より2年先に死去。墓所は家康の長男・ 信康の為に建立した西念寺。
後を継いだのは長男の服部半蔵正就。しかしながら正就は伊賀同心を下人のごとく使役。
自身の家の増築の際に壁塗りを課すなど私物化する。
その結果、慶長九年(1604年)に同心一同が長善寺に籠城、服部正就の罷免を求るという事態にまで発展する。
首謀者は処罰されたものの、この失態により服部家は没落、失地回復をはかって大坂の陣に参加するも戦死した。
『サスケ』をはじめとした白土三平の忍者漫画に敵役として登場する服部半蔵は大抵この2代目半蔵正就。
作中では率いる部下も少なく首領自ら参戦してくる。
『風魔』では、風魔衆を滅ぼして自己権力を強化しようとする所を初代の次男で3代目半蔵正重に邪魔される始末。
『戦国無双』で大坂の陣ミッションの際には「御家再興を夢見る2代目半蔵」が中に入ってることを考えて挑戦すると、
また違ったプレイ感覚になるかもしれない。
3代目半蔵正重は幕府の金山奉行・大久保長安の娘を娶り、 再興への足掛かりにするも、
長安死後に不正蓄財が発覚、一族が死罪に処せられるという「大久保長安事件」に連座して失脚した。
「闇に生き闇に死す」といった忍びの世界からかけ離れた落ち様である。
四代目半蔵は初代の三男である正広。
ヤングマガジンアッパーズに掲載され、 山田風太郎原作でせがわまさきにより漫画化された
2004年度講談社漫画賞作品 『バジリスク-甲賀忍法帖』に登場しているのが記憶に新しい。
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同寺には今川家の人質となった家康が8歳から20歳まで、読み書きを学びに通った。
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1469年、播磨の守護・
赤松政則が築城したとされ、
1581年、羽柴秀吉の播磨平定の際に明け渡された。
>江戸初期に出水市麓の武家屋敷群を整備した地頭・山田昌巌をしのぶ。
山田昌巌は「信長の野望シリーズ」では山田有栄の名で登場。
島津家臣で名前が「や行」なので武将ファイルの最後のに掲載されることが多い。
父・有信が羽柴秀長に降伏した際に人質になる。
朝鮮出兵に参加、伊集院忠真の謀叛鎮圧等、数々の軍功を重ねた。
関ヶ原合戦にも参加し、大将島津義弘を逃がすため戦い、自身も生き残る。
また、一行が路銀に窮した際には純金の愛刀を売ったといわれている。
その後出水地頭に任じられ、出水兵児の育成、産業開発など民政に力を注いだ。
島原の乱にも参加し、90歳まで生きた。
「信長の野望シリーズ」ではこれだけの功績があったにもかかわらず、能力値は控えめ。
『インターネット版』
ではかろうじて智勇兼備の良将といったステータスになっている。
>
多宝塔は1649年、初代紀州藩主・
徳川頼宣
の生母養珠院が、
家康の33回忌供養のために全国から集まった経石を石室に収め、
上にお堂を建てたことに始まり、養珠院死後に建立された。
呪いの言葉とか隠されたりしてないかな?
製造法から、 福島正則が 城主だった時期の可能性があるという。
■戦国汁食べて歴史も学ぶ 大東の給食 ...[静岡新聞]■甲賀忍者の里で見つけた食べ過ぎ・二日酔いなどに抜群の胃腸特効薬 ...[gendai.net]
学研の付録(科学の方)で戦国時代に足軽が携帯食にしていたという、
『兵糧丸』てのがあったのだけど、実際に食した方いらっしゃいますか?
未開封のまま実家の押入れに眠っているアレをどうしようかと・・・
■岐阜市歴史博物館リニューアル 映像や音声で戦国時代再現 ...[MSN-Mainichi INTERACTIVE]
■豊臣秀吉の菩提を弔うために正室ねねが建立した高台寺でライトアップ ...[MSN-Mainichi INTERACTIVE]
■武者行列190人 松阪で「氏郷まつり」 ...[MSN-Mainichi INTERACTIVE]
■勇壮、華麗な戦国絵巻 100人が武者行列 ...[MSN-Mainichi INTERACTIVE]
築城町本庄を拠点に栄えた宇都宮氏にちなみ
■豊臣秀吉の「一夜城」再現−−嘉穂町 ...[MSN-Mainichi INTERACTIVE]豊臣秀吉が九州に遠征した際に築いた「一夜城」。その後、戦わずに秋月氏を降伏させたと伝えられている。
■松本まつり戦国絵巻 200人、鎧姿で勇壮に武者行列 ...[中日新聞]>今年は、初代彦根藩主の
井伊直政公役を、
俳優の京本政樹さんが務めた。
先々月に続き再び京本政樹さんが大名役に。時代劇とかで実績でもあったのかな。
[再掲]
時を超え千葉一族の軍議絵巻 大将に京本政樹さん
...[岩手日報]
「太閤の湯」は阪神・淡路大震災で被災した極楽寺の復旧工事の際に遺構が見つかった。
■石田三成ゆかりの花火打ち上げ ...[京都新聞]関ケ原の合戦で 石田三成 が居城の佐和山城と戦況の連絡を取るために打ち上げたのが起源と伝わる。
■旧小田原藩主の大久保氏の大名行列を 再現「箱根大名行列」行われる ...[TBS News i]■小豆餅で小豆餅を食らう ...[Excite Bit コネタ]
三方原敗戦で逃亡する家康の振る舞いが地名の由来
■郡山城跡に発砲スチロールの天守閣 ...[Yomiuri on-line 関西]■安土城跡で入り口遺構を確認 防衛機能解明の資料に ...[中日新聞]
[おまけリンク]
日本の旅:安土城、信長の夢宿す幻の城
...[旅ゅーん!]
■安土城シンポ「安土城・信長の夢」に全国から330人 ...[Yomiuri on-line 関西]
『烈風伝』では職業が「忍者」の武将は
- 調略コマンド成功率が高い
- 調略失敗時に捕縛されにくい
- 調略をかけてきた武将を捕えやすい
- 攻城戦時の「壁越」が成功しやすい
その忍者武将の一部では、調略時に特別コメントが用意されている武将がいて、
今回はその一人目、 風魔小太郎です。
相州乱波風魔党の頭領で、代々「小太郎」の名を受け継いだといわれる。
『信長の野望 武将風雲録』と 『信長の野望 覇王伝』では 先代・次代のふたりの小太郎が登場。
先代は次代より政治・智謀が高く、次代は先代よりも戦闘に秀でていたため、
当時は「技の1号、力の2号」と称されていた。(大ウソ)
顔一面が髭に覆われ、四本の牙が突き出し、全身が筋肉コブだらけの大男と伝えられている。
ちなみに、「暗殺」コマンド実行時に殺害される武将が、
「な、なんて大男なのじゃ この化け物め!!」
という専用メッセージがちゃんと用意されている。
記録に残っている仕事として、河越野戦の北条軍誘導、飯沼城の守備、小田原包囲軍に対する撹乱工作がある。
とりわけ北条氏直と 武田勝頼の 黄瀬川合戦では闇夜にまぎれて敵陣に忍び込み、武田陣営を散々に悩ませたといわれる。
北条滅亡後は江戸に入って盗賊となり、開発途上の江戸の町を荒らしまわり、領主家康をも悩ませた。
忍者漫画で有名な白土三平の『風魔』は幕府・公儀隠密との攻防があるのでこのあたりの時代背景かと思われます。
もっとも作中の「風魔一族」は盗賊でなく、「忍びの権利を守護する集団(というか組合)」という設定になっていますが。
(シリーズ物なので、興味を持たれた方は 『忍者旋風』 → 『真田剣流』 → 『風魔』の順に読むことをお薦めします)
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