火間虫入道     過去の記事[2003.11.16-2003.11.30]

注目記事

■武将データ検索窓を「火間虫入道」以外のサイトでも使用可能にしました
■『信長の野望 天下創世』情報ページを準備しました→

-2003/11/29-
[NEWS:歴史ゲーム関係]
■『信長の野望 Online』(Windows版) βテスター募集期間延長 ...[GAMECITY]
>βテスト開始日時:2003年12月3日(水) 15:30〜 → 2003年12月8日(月) 15:30〜
>クライアントソフトのダウンロードは、予定通り 12月1日(月) 15:00 より実施。
>本β版は、ファイルサイズが [約2ギガバイト] と大容量のダウンロードになります。
でかすぎ、、、私が今までダウンロードしたもので最大のものが700Mぐらい、、、
CDサイズに分割とかしてくれませんかね?
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   はらへりさん姫武将ありがとうございます。
出雲 阿国(いずも おくに)
歌舞伎の創始者。出雲の巫女として諸国遍歴と上洛を繰り返す。
宮廷のほか三河時代の家康、太閤の側近大村由己邸、近衛邸、伏見城にいたころの徳川秀忠の前で踊っている。
関ヶ原合戦のときは公家の宴会で舞う。家康が征夷大将軍の宣下を受けたとき越中越後をまわる。
その後足取りが途絶えた。

小野 麻通(おの おつう)
浄瑠璃の創始者。織田信長の侍女。
三河の鳳来寺の薬師の霊験譚や鹿にまつわる誕生説話が浄瑠璃姫物語、浄瑠璃十二段草子として全国に流布していく。
薬師が語り手となり全国に浄瑠璃が語られていった。

大祝 鶴(おおほうり つる)
三島水軍大祝安用の娘。
周囲のものたちが驚くほどの怪力であり三島大明神の申し子と言われる。
大三島合戦では大内の大軍と対峙し奇襲作戦を決行する。

遠山 直(とおやま なお)
信長の叔母。美濃遠山景任に嫁ぐ。 織田方として東濃を治めるが武田軍に攻められる。
岩村城に篭り篭城戦を展開するが救援の織田信広が敗れ、夫景任が病死し子供が幼かったため女城主となる。
その後も城下の町民を城内にいれ必死に篭城を続けるが、武田に寝返る家臣があらわれ城は落城する。
落城後敵将である秋山信友と再婚をする。 長篠で武田軍が敗北し織田の大軍に攻め込まれる。
その中孤立無援の岩村城に篭城するも助命を条件に開城し、降伏するも信長に許されず逆さ磔・処刑される。

成田 甲斐(なりた かい)
成田氏長の娘。
小田原合戦では父氏長が兵を率いて小田原城に篭城する中、少ない城兵を補うため城下の住民を城内にいれ忍城に篭城。
石田三成、大谷吉継、浅野長政ら二万六千の敵軍に包囲され、石田三成が水攻めで城を落とそうとしたがそれを破った。
その後も篭城を続け忍城より先に小田原城が落城し、氏長が先に降伏したため氏長の説得で開城する。
母が家臣に殺害されたときは自ら敵を追い仇を討ち生け捕り、急を知って駆けつけた父の軍勢に仇を引き渡した。

[投稿感謝]    すくもさん二世(三世)武将投稿ありがとうございます。
立花 直次(たちばな なおつぐ)
高橋紹運の次男。 秀吉の九州征伐後、豊臣家臣となる。朝鮮の役に出陣。
関ヶ原で西軍について領地を失うが、のちに家康から常陸筑波で五千石を与えられた。

立花 忠茂(たちばな ただしげ)
立花直次の四男。叔父宗茂 の養子となった。
養父の跡を継ぎ、筑後柳川二代藩主となる。島原の乱で養父とともに出陣し、戦功をあげた。

佐久間 信栄(さくま のぶひで)
佐久間信盛の子。正勝。
原田直政のあとをうけて、父と共に本願寺攻めの主将となるが天正八年、失策により追放された。
本能寺の変後は織田信雄に仕えた。

細川 昭元(ほそかわ あきもと)
細川晴元の嫡男。 三好長慶への人質となる。
元亀元年、信長が足利義昭を奉じて入京するとこれに属し、信長の妹を娶った。
信長の蹴鞠相手などをつとめた。

大谷 義治(おおたに よしはる)
大谷吉継の長男。
秀吉に近侍する。関ヶ原役では父とともに西軍につき、敗戦後は各地を放浪した。
豊臣秀頼の招きにより大坂城に入城し、天王寺口の戦いで戦死。

稲葉 正勝(いなば まさかつ)
稲葉政成と春日局の長男。
母が家光の乳母に招かれるとともに近侍し、家光将軍就任すると老中に抜擢された。
だが激務により体を蝕われ、三十八歳で過労死した。

前田 利政(まえだ としまさ)
前田利家の次男。
能登二十一万石を領した。関ヶ原役では西軍についたため、所領を没収された。
その後、京都で隠棲し宗悦と称した。大坂の陣では中立を守った。

最上 義康(もがみ よしやす)
最上義光の長男。
父と不和になり高野山に籠もるが、慶長十六年、帰国したところを父に殺された。
徳川家に仕えたことがある次男家親を後継者にするためという。


-2003/11/27-
[NEWS:戦国時代関係]
■松江・白潟の町誕生は1世紀古い戦国時代 ...[山陰中央新報]
[NEWS:歴史ゲーム関係]
■PS2‖「戦国無双」、発表会の動画 ...[QUITER]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん二世(三世)武将投稿ありがとうございます。
蒲生 忠郷(がもう たださと)
蒲生秀行の嫡男。
父の死後、十三歳で家督を継ぎ、会津六十万石を領したが、家中は紛争が相次ぎ、農村は冷害で疲弊していた。
嫡子がなかったため改易された。

蒲生 忠知(がもう ただとも)
蒲生秀行の次男。 兄の死後、跡目相続を許され、松山二十四万石を領した。
しかし、家中の紛争は続き、さらに農民騒動が起こり、忠知も急逝し御家断絶となった。

金森 可重(かなもり よししげ)
金森長近の養子で、 信長・秀吉・家康に仕えた。養父の死後に家督を継ぎ、大坂の陣で戦功をあげた。
養父と同様に茶の湯を好み、千利休の子道安に師事した。

金森 重近(かなもり しげちか)
金森可重の長男。大坂の陣で豊臣方に味方することを主張し、勘当となり京都に隠棲し、剃髪して宗和法印と称した。
天皇や公卿から「姫宗和」と呼ばれ愛された。

金森 重頼(かなもり しげより)
金森可重の三男。幼少の頃、家康のもとで小姓として仕える。
兄重近の廃嫡により、家督を継ぎ、飛騨高山二代藩主となる。
風流人だけでなく領主としても優れた。

黒田 忠之(くろだ ただゆき)
黒田長政の嫡子。 父は忠之の実力に疑問を抱くも家督を譲った。
忠之は高禄な家臣の処分・縮小をし、それが栗山大膳らの反発を招き、黒田騒動を引き起こした。

前田 利常(まえだ としつね)
前田利家の四男。 兄利長の養子。 兄の隠居により継ぎ、大坂の陣で戦功をあげた。
農政改革・文化施策に手腕を発揮し、『政治は一加賀、二土佐』といわれた。


-2003/11/26-
[NEWS:戦国時代関係]
■正月時代劇「大友宗麟」〜心の王国を求めて〜放送日・時間決定 ...[NHK大分放送]
■「金華山落城の歌」楽譜をリメーク、30年ぶり再演へ/岐阜少年少女合唱団 ...[岐阜新聞]
[NEWS:信長の野望関係]
■コーエー、“日本”と“爽快感”にこだわった 25周年記念作品、PS2「戦国無双」2004年2月中旬発売 ...[Impress]
■『信長の野望 Online』(Windows版) βテスター募集開始 ...[GAMECITY]
ひとまずアカウント取得しました。どの大名家で始めようかな?
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   はらへりさん上野国人衆ありがとうございます。
蘆田 信守(あしだ のぶもり)
上野三岳城主。武田信玄の上野侵攻に従い戦功をたてる。
三方原合戦後、遠江二俣城主となる。
長篠での敗戦後徳川軍に城を包囲され防戦中に城内で死亡。

蘆田 康国(あしだ やすくに)
蘆田信蕃の子。 武田滅亡後徳川家に従う。
信州小諸城主となり徳川家の信濃平定戦で活躍する。
小田原合戦では上野石倉城攻めに参加するが死亡した。

安中 忠政(あんなか ただまさ)
上野国人。安中城、松井田城を築城。
上杉謙信傘下となり、 長野業正とともに武田信玄と戦う。
松井田城に頑強に篭もるが敗北し降伏、自害した。

安中 久繁(あんなか ひさしげ)
安中忠政の子。上野安中城主。父と共に武田信玄と争ったが降伏し所領を失う。
その後滝川一益に従い北条家と戦う。小田原合戦には北条方で参加し討死する。

[投稿感謝]    すくもさん明智家臣投稿ありがとうございます。
明智 光忠(あけち みつただ)
明智一族。次右衛門。明智光秀の従兄弟。 本能寺の変で二条城を襲撃して負傷。
山崎の合戦で光秀が死んだのを聞いて、自刃した。

柴田 勝定(しばた かつさだ)
柴田家臣。越前北ノ庄城代。のちに明知光秀に仕え、光秀敗死後は 堀秀政に属す。
長久手の戦いで功をあげる。関ヶ原の役では上杉景勝が煽動した一揆と戦った。

松田 政近(まつだ まさちか)
丹波の豪族。太郎左衛門。明智光秀に仕え、山崎の戦いでは並河掃部と先陣をつとめ、 中川清秀隊と戦うが、敗死した。

並河 易家(なみかわ やすいえ)
丹波の豪族。掃部。明智光秀が丹波に入部した際、服属した。
山崎の合戦で松田政近とともに先鋒を務め、敗死した。

荒木 氏清(あらき うじきよ)
荒木氏綱の子。
八上城陥落後、父が明智光秀の被官になるよう誘われるが拒否し、代わりに氏清が仕官することになる。
山崎の合戦で戦死した。

伊勢 貞興(いせ さだおき)
貞良の次男。兄貞為が病身だったため、兄に代わって信長に仕えた。
本能寺の変では明智光秀につき、山崎の合戦で戦死した。
「伊勢貞興返答書」著した。

安田 国継(やすだ くにつぐ)
明智家臣。本能寺の変では先鋒として本能寺を急襲した。
山崎の合戦で敗走し、天野源右衛門に改名し、羽柴秀勝・ 秀長蒲生氏郷立花宗茂などに歴任した。

御牧 景則(みまき かげのり)
明智家臣。旧幕臣衆。山崎の合戦で兄とともに従軍。
のちに秀吉に仕え、朝鮮派兵では肥前名護屋城に駐留し、普請に加わる。
また山城などの検地を担当した。


-2003/11/25-
[NEWS:戦国時代関係]
■ファン120人が集う、本荘城本丸跡で見学会/本荘市 ...[さきがけonTheWeb]
■国指定史跡の追加指定、計1万6200平方メートルに−−大友氏館跡 ...[毎日新聞]
■紀州鉄砲まつり 火縄銃の勇壮な演技披露 豪快な銃声に大きな歓声 ...[毎日新聞]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』武将総覧を修正
「畠山義慶」が南光坊天海と表示されているのを修正しました。
さる吉さんご指摘ありがとうございます。
[投稿感謝] ■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
   すくもさん投稿ありがとうございます。まだまだ私の知らない武将がたくさんいますね。
鍋島 信房(なべしま のぶふさ)
鍋島清房の庶長子。龍造寺家に仕え、天正四年、隆信の藤津攻めでは第二陣として出陣。
戦後、隆信の命で常広城の増築にあたった。以後の戦にも戦功が多かった。

龍造寺 康房(りゅうぞうじ やすふさ)
鍋島清房の子。信種。龍造寺純家の養子。 兄は鍋島直茂。
今山の陣、後藤氏の戦いなどで戦功をあげた。
有馬家との島原の戦で戦死。子孫は多久氏と称した。

比江山 親興(ひえやま ちかおき)
長宗我部国親の弟国康の子。 戸波親武の兄。比江山城を居城とし、比江山姓を名乗る。
四国征伐では阿波岩倉城を守る。 家督騒動で讒言により切腹させられた。

吉田 正義(よしだ まさよし)
吉田俊政の子。市右衛門。
山内家により兄政重が仕官を誘われるが、政重は正義を推挙し自身は医者となった。
正義の家系は子孫代々、山内家に仕えた。

和田 惟長(わだ これなが)
和田惟政の子。 父の跡を継いで高槻城主となるが、 荒木村重により山城に敗走した。
のちに秀吉仕え、紀州雑賀攻めに従軍。その後は小野木公郷、家康に仕えた。

宮本 賢拓(みやもと かたすけ)
六角家臣。天文二十年、六角義賢浅井長政を攻めたとき、 太田城に在番した。
弘文三年、伊勢攻めの際は人足徴発にあたった。主家滅亡後は信長、秀吉に仕えた。

松波 義親(まつなみ よしちか)
畠山義綱の三男。常陸介。 能登の有力国人・松波氏を継いだ。
天正五年、上杉謙信が能登へ來攻したとき、その部将長沢光国に居城松波城を攻められ戦死した。
[雑記]
師走前なのに忙しい。ラマダンが終わることをすっかり忘れていて、いくつか仕事が止まってしまった。
明日から『信長の野望 Online』βテストのアカウント登録開始であるが、どうしたものか。

-2003/11/23-
[NEWS:戦国時代関係]
■郷土の重文ぜひ知って 臨済寺、今日まで一般公開 ...[静岡新聞]
■忍術を奉納 / 服部一族の黒党祭 上野の敢国神社 ...[伊勢新聞]
■心癒やす剣豪・柳生の里の紅葉 ...[Osakanews]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   はらへりさん武田家2世武将投稿ありがとうございます。
高坂 昌元(こうさか まさもと)
高坂昌信の次男。
父の後を継ぎ海津城代となり、その後勝頼の命により駿河国沼津に城を築き守備につく。
信長の甲斐侵攻では沼津城を守らず甲斐に帰国する。武田滅亡後は上杉を頼る。
本能寺の変に際し海津城を取り戻した。

小幡 昌盛(おばた まさもり)
小幡虎盛の長男。
第四次川中島をはじめ各地で戦功をたてる。武田家滅亡の五日前に死亡した。

横田 康景(よこた やすかげ)
原虎胤の長男。 横田高松の女婿。実父、養父に劣らず猛将で多くの感状を賜る。
長篠合戦では撤退を進言するが受け入れられず戦死した。

横田 尹植(よこた ただとし)
横田康景の子。三方原合戦で戦功をたて遠江高天神城の番将となる。
徳川軍の包囲を受け落城寸前に城を脱出無事甲斐に戻る。
武田滅亡後徳川家に仕える。

駒井 政直(こまい まさなお)
駒井政武の子。譜代家老衆として功をあげ、駿河深沢城代となる。
武田家滅亡後は徳川家に仕え旧武田家臣をの代表となる。

米倉 重継(よねくら しげとし)
武田信玄旗本五人衆の一人。武川衆の頭領。 甘利虎泰の配下となり戦功をたてる。
鉄砲や矢を防ぐ竹の盾・竹束を考案した。長篠合戦で戦死。


-2003/11/22-
[NEWS:信長の野望関係]
■「信長の野望 Online」のWindows版最新Screenshotsを入手! ...[forGamer.net]
■追加要素が満載! PS2『信長の野望・蒼天録 with パワーアップキット』 ...[ゲーム情報サイトeg]
[NEWS:戦国時代関係]
■本荘城跡から大量の柱穴/青磁器も出土、支配階級の城館跡か ...[さきがけonTheWeb]
■京極氏遺跡など13件を答申 史跡、名勝指定で文化審 ...[京都新聞]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』武将総覧を修正
「河野通直」「河野通直」の列伝が 同じになっているのを修正。
「風魔小太郎」「来島通康」が表示されない不具合を修正
 (アカシさん、ご指摘ありがとうございました)

[今後修正したい不具合]
・「葦名」でも「蘆名」が検索できるようにする(「斎藤」と「斉藤」はやらなくていいかな?)
・「竹」で検索しても結果が表示されない
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん大量の上杉武将ありがとうございます。
長尾 景直(ながお かげなお)
上杉謙信の従兄弟。 椎名康胤の討伐後、椎名氏を継いだ。
御館の乱で景虎側についたため、所領を削られた。

上杉 定勝(うえすぎ さだかつ)
上杉景勝の子。 第二代米沢藩主。父の死後跡を継ぐ。
定勝は幕命に忠実に対処し、幕府が切支丹禁制を強めると、厳しく探索し、老若男女問わず重臣すら処刑した。

長尾 景広(ながお かげひろ)
長尾憲景の次男。 父が北条家に属した際、人質となる。
元服後は政景と名乗り北条家が滅亡後は上杉景勝に仕え、名を景広に改めた。

山本寺 定長(さんぽうじ さだなが)
越後上杉氏の一門。謙信に仕え、川中島の戦いでは、信玄の本陣を衝くなど戦功をあげた。
御館の乱では後見役を務めていた 上杉景虎を推し、 敗北後は逃亡した。

本庄 義勝(ほんじょう よしかつ)
本庄繁長の次男。 上杉景勝の後援で大宝寺義興の養子となる。
一時、秀吉により所領を安堵されるが、一揆煽動の嫌疑により所領を没収。 のちに上杉家に戻った。

柿崎 晴家(かきざき はるいえ)
柿崎景家の子。 越・相講和の際、人質として北条家に赴く。
父の死後、跡を継ぐが、天正六年、信長との内通を疑われ、誅された。(翌年死去した説もあり)

柿崎 憲家(かきざき のりいえ)
柿崎晴家の子。 御館の乱で家中分裂した際、柿崎家臣上野九兵衛尉らは晴家の子憲家を擁立して景勝方につき、 御家再興を果たした。

平林 正恒(ひらばやし まさつね)
武田家臣。父が信玄に従い、戦死すると後を継ぐ。 勝頼の命により馬場信春の補佐を務めた。
武田家滅亡後は上杉家を頼り、その援助で居城高尾城を奪還した。

神余 親綱(かなまり ちかつな)
上杉家臣。越後三条城主。京都にあって公家・幕府要人との折衝にあたる。
謙信上洛に際しても活躍した。御館の乱では景虎方に属し、家臣に殺された。

上泉 泰綱(こういずみ やすつな)
上泉信綱の一族。
関ヶ原役の前に上杉景勝に召抱えられ、 直江兼続 の指揮下に入るが、最上勢との戦いで戦死。

志駄 義秀(しだ よしひで)
上杉家臣。越後夏目城主。景勝が会津に移った際も従った。
関ヶ原の戦いでは最上家の背後を牽制した。戦後は上杉家の執事となり、藩政を主掌する。

中條 資種(ちゅうじょう すけたね)
上杉家臣。中條流の剣の使い手で、関ヶ原役では最上家臣菅井藤兵衛を一騎打ちで破った。
関ヶ原役後は伊達家に仕えたまた医術に優れ婦人科創始の人という。

下 吉忠(しも よしただ)
上杉家臣。尾浦城主。関ヶ原役で最上勢との戦いで敗れて降伏。
以後は最上家に仕えた。一栗兵部の謀反に際して、志村光清とともに暗殺された。

山吉 豊守(やまよし とよもり)
上杉謙信の旗本。側近として奏者の地位にあり、北条家との折衝を担当した。
謙信の越中出陣の際は春日山城留守居役。天正五年に病没。跡は弟景長がついだ。

来次 氏秀(きすぎ うじひで)
大宝寺家臣。庄内を狙う上杉家に内通して、謀反を起こす。
大宝寺家に攻められるが、やがて上杉配下の本庄繁長に仕えて、小田原攻めなどに従った。

[投稿感謝]   はらへりさん武田家武将投稿ありがとうございます。
駒井 政武(こまい まさたけ)
高白斎。武田家三代に仕える。晴信の知恵袋として武田家の内政・外交に手腕を発揮する。
南濃攻めでは多くの城を落とした。高白斎日記を著す。

曽根 昌世(そね まさただ)
武田家の族臣。信玄の眼と称えられた士。軍監として活躍する。
三増峠では殿として指揮をとり部隊をまとめ引き上げさせた。
その後駿河・興国寺城を守る。

原 昌胤(はら まさたね)
武田家臣。地利・地形を見ることに長け陣場奉行として卓越した才能を発揮する。
長篠合戦では百二十騎を率いて突撃をするが鉄砲の前に戦死した。

栗原 詮冬(くりはら のりふゆ)
武田氏の族臣。信虎時代に武田家に臣従する。
信玄、勝頼に仕え侍大将として騎馬百騎を率いる。
武田家の重鎮として勝頼時代には強い力を持ち重きをなす。


-2003/11/21-
[雑記]
名古屋モーターショーに行ってきました。
会社から出ていったので、カメラ関係は持ち込めず。
近年の流行であるコンパクトカーが多く、各社さまざまなコンセプトで出展されていました。
トヨタの「PM」、ダイハツの「D-BONE」、三菱の「SE・RO」あたりがなかなか良さげ、
でも市場投入は結構先でしょうね(というか、法規要件を満たしているのか心配)
当分はホンダの新オデッセイが売れそうな感じ、ASIMOが出てこなかったのは残念。
日産の踊り子さんが大変そう、、、

会社に戻ると、不具合があったらしく調整に忙殺される。
帰宅後、夕食のことを考えつつ横になったらそのまま熟睡。
スーツを着たまま、ネクタイも付けっぱなしでこのサイトの更新も忘れる。

-2003/11/20-
[NEWS:信長の野望関係]
『信長の野望・天下創世』ユーザーズページ更新:
HP素材集第5弾&顔変更エディタ&顔CGダウンロードを追加
...[GAMECITY]
[NEWS:戦国時代関係]
■大坂冬の陣、頭がい骨続々 旧府警本部跡の城外堀 ...[京都新聞]
■金沢城・惣構堀の修復急げ 400年経て調査のメス 市ワーキング会議が発足 ...[北國新聞]
[投稿感謝]    すくもさんありがとうございます、上杉武将期待しております。
藤堂 高吉(とうどう たかよし)
丹羽長秀の三男。 秀吉ついで秀長の養子となった。
のちに藤堂高虎 の養子となり朝鮮の役、関ヶ原役で功があった。
のちに高次が生まれたため、その家臣となる。

藤堂 高次(とうどう たかつぐ)
藤堂高虎の嫡男。 父の死後、伊勢津藩三十二万石を継ぐ。
藩財政の安定を目指して、年貢増収のため新田開発を進めたが、幕府の普請費負担に苦しんだ。

浅井 井頼(あざい いより)
浅井長政の三男といわれる。
豊臣秀長・秀保に仕え、 その死後は増田長盛、 のちに生駒一正に仕えた。
大坂の陣が起こると大阪城に入り、討ち死にした(諸説あり)

吉川 広正(きっかわ ひろまさ)
吉川広家の子。 元和九年、父の隠居により後を継ぐ。
宗家第一とする父の意を守り、冷遇に耐えた。
家光の治政下、領内充実に専念し、四十一年間藩主を務めた。

佐々 勝之 (さっさ かつゆき)
佐久間盛次の四男。 佐々成政に養われ、佐々姓を称した。
蒲生氏、秀吉、家康に仕え、関ヶ原役、大坂の陣で戦功をあげる。
茶の湯に通じ、文武に優れた人物であった。

大久保 忠教 (おおくぼ ただたか)
大久保忠員の八男。彦左衛門。頑固一徹な人物。兄 忠世に従い多くの合戦に参加。
忠隣の所領から二千石を領す。 忠隣改易に伴い旗本となった。『三河物語』を著した。


-2003/11/19-
[NEWS:信長の野望関係]
■『信長の野望 Online』βテスト実施決定! ...[GAMECITY]]
■Win「信長の野望 Online」βテスター,26日から募集開始! ...[ZDNet]
■「信長の野望 Online」βテストの日程発表! ...[forGamer.net]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   はらへりさん武田家2世武将投稿ありがとうございます。
板垣 信憲(いたがき のぶのり)
板垣信方の子。 父の死後、信濃諏訪城代となる。
甘利昌忠とともに勧進状を発行するなど内政面でも武田家を支えるが信玄から所行不届と処され殺される。

甘利 昌忠(あまり まさただ)
甘利虎泰子。左衛門尉。 十五歳で家督を継ぎ武田家中で最年少の侍大将となる。
碓氷峠の合戦で初陣をかざりその後武蔵、上野と転戦する。
三方が原の合戦では徳川軍の側面をつく活躍をした。

内藤 昌月(ないとう まさあき)
保科正俊の三男。 内藤昌豊の養子。修理亮。 長篠合戦後昌豊のあとを継ぎ上野箕輪城代となる。
武田氏の上野の要として活躍する。武田氏滅亡後、 滝川一益に従い北条氏と戦う。

秋山 昌詮(あきやま まさあき)
金丸虎義の三男。秋山信友 の養子。左衛門佐。
実父、養父に劣らず猛将で駿河・上野・美濃等各地で戦功を挙げるが若くして夭折する。

穴山 信治(あなやま のぶはる)
穴山信君の嫡男。勝千代。 八歳で父より家督を相続し駿河江尻城を領する。
武田氏滅亡の時父とともに武田家を裏切る。 本能寺の変の動乱で父が殺害され穴山家の実権をにぎるが若くして病死した。

[投稿感謝]    すくもさん北条家(後編)ありがとうございます。
松田 廉定(まつだ やすさだ)
北条家臣。松田憲秀の兄。 康郷・康長の父。小田原衆の一人。
「北条氏所領役帳」の作成の奉行として太田豊後守、関兵部丞とともに携わった。

松田 康長(まつだ やすなが)
北条家臣。康定の子。御馬廻衆の一人。
秀吉の小田原攻めの備えとして、伊豆山中城主となるが、山中落城のとき討ち死にした。

松田 康郷(まつだ やすさと)
北条家臣。康定の子。康長の弟。武勇に優れた。永禄九年、下総臼井合戦で戦功をあげる。
北条家滅亡後は結城秀康に仕えた。 慶長十四年に没した。

松田 直長(まつだ なおなが)
康長の子。父が山中城で討ち死にすると跡を継いだ。
北条家滅亡後、徳川家に仕え所領を安堵された。
元和八年、逆修寺を建立している。

大道寺 直昌(だいどうじ なおまさ)
大道寺政繁の次男。 秀吉の小田原攻めでは父と共に松井田城を守る。
真田・蘆田勢が碓氷峠に進出すると、直昌は打って出て戦った。のちに前田利家に降った。

大道寺 直次(だいどうじ なおつぐ)
大道寺政繁の四男。 北条家滅亡後、遠山長右衛門と改名して福島正則に仕えた。
福島家改易後は旧姓に戻って、徳川家光に旗本として仕えた。

伊東 政世(いとう まさよ)
北条家臣。御馬廻衆の一人。 北条氏政 から一字を与えられ政世と名乗った。
主家滅亡後は徳川家康に仕え、大坂の陣では槍奉行として仕えた。

小笠原 康弘(おがさわら やすひろ)
北条家臣。関東の豪族で、後家門方の一人。氏康・氏政のもとで武者奉行を務めた。
主家滅亡後は氏直に従って高野山に上った。氏直死後は家康に仕えた。
佐竹 親直(さたけ ちかなお)
長宗我部元親の娘婿。蔵人佐。 上ノ加江城主。
佐竹氏は鎌倉末期、常陸から土佐に移住したといわれる。
大坂の陣で大阪城に入城。八尾の戦いで討ち死にした。

江村 親俊(えむら ちかとし)
江村親家の子。孫左衛門。 秀吉の四国征伐では一宮城を守った。
敗戦後、津野親忠とともに人質となり伏見に赴いた。
朝鮮出兵で晋州城攻撃に参加して功をあげた。

菅 達長(かん たつなが)
淡路水軍の将。長宗我部家に仕え、のちに秀吉に仕えて、小田原攻め、朝鮮の役に水軍として活躍した。
関ヶ原役では西軍につき、戦後は 藤堂高虎に仕えた。

森 成利(もり なりとし)
森可成の三男。長定。蘭丸。
幼少から信長に近侍し、諸事の奉行、奏者として重用され、本能寺の変で防戦に努めたが、弟力丸、坊丸らとともに信長に殉じた。

中村 成安(なかむら なりやす)
森成利の庶子。本能寺の変で父が死ぬと尾張中村に住み、姓を中村に改めた。
子の安重は成安の母の姓である服部姓を名乗り、その子安休は会津保科家に仕えた。

諏訪 頼水(すわ よりみず)
諏訪頼忠の子。 父とともに徳川家に仕え、小田原攻めや関ヶ原役に従軍した。
その功により旧領への復帰を果たす。諏訪湖の干拓、荒廃地の開拓などおこなった。

[投稿感謝]    茶道楽さん細川忠興の一族ありがとうございます。
細川 興元(ほそかわ おきもと)
細川藤孝の次男。玄蕃頭。 兄忠興に従い武功を立てる。
関ヶ原後、豊前小倉城主となるが忠興と不和になり出奔。
その後徳川家に仕え一六千石の大名となる。

細川 忠隆(ほそかわ ただたか)
細川忠興の長男。 母は明智光秀娘。興一郎。
関ヶ原合戦で父と共に功を立てるが妻の事で父と不和になり勘当される。以後京都で余生を過ごした。

細川 興秋(ほそかわ おきあき)
細川忠興の次男、 母が本能寺の変で幽閉中に生まれる。
父の豊前転封に伴い中津城主となるが出奔。
大坂の陣で豊臣方として戦う。戦後父の命で自害。


-2003/11/18-
[お詫び] 業務多忙のため、少なくとも11月中は更新ペースが縮小されます。
◇新武将データのNo.001-No.099までダウンロード出来ない問題を修正しました。
ササニシキさん、ご指摘ありがとうございます。

-2003/11/17-
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]    すくもさん北条家(前編)ありがとうございます。(後編)も楽しみにしております。
北条 氏堯(ほうじょう うじたか)
北条氏康の弟。 上杉軍が侵攻に対し、河越城で迎い撃ち死守した。
また伊達氏との外交交渉にも当たり、宗家を支える存在であった。
秀吉の小田原攻めの前に病死。

北条 氏忠(ほうじょう うじただ)
北条氏康の五男。 佐野宗綱の養子となる。 下野佐野城主。
また相模と駿河の境の足柄城の守将となる。
秀吉の小田原攻めでは足柄城、落城後は小田原城に入った。

北条 氏舜(ほうじょう うじとし)
北条氏繁の子で 北条氏勝の兄。左衛門大夫。
父の死後、跡を継いで玉縄城主となり、岩付城代としても活躍したが、数年後に家督を弟氏勝に譲った。

北条 繁広(ほうじょう しげひろ)
北条氏勝の弟。
兄に子がなかったため養子となるが、重臣らの思惑により、保科正直の子氏重が養子となる。
繁広は幕府に上訴するため江戸に赴くが、変死した。

北条 氏重(ほうじょう うじしげ)
保科正直の四男。家康の外甥。 北条氏勝の養子となり、 下野富田一万石を継ぐ。
その後、度重なる加増で遠江掛川三万石を領した。各地の城番を務めた。
遠山 政景(とおやま まさかげ)
遠山綱景の子。江戸城代。 国府台合戦で戦死した父の跡を継ぎ、江戸城代となる。
里見家へ抑えとして活躍した。 天正八年に没し、子の直景が跡を継いだ。

遠山 景政(とおやま かげまさ)
遠山綱景の子。政景の弟。右衛門尉。 甥直景死後、江戸城代となった。
小田原攻めでは景政は小田原城に籠もり、江戸城は弟川村秀重が守った。


-2003/11/16-
[紹介:信長の野望関係]
■戦国島津╋夢の牙城(管理人:残党さん)
『蒼天録パワーアップキット』の武将データを『天下創世』の武将ファイルに変換するツールを公開されております。
『天下創世』の武将データを島津家臣だけで220人も作成されているとは凄まじい、、、
HTMLで記述された「家系図」や「年表」もきれいにまとまっていて参考にさせてもらいたいぐらいです。
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   はらへりさん池田一門武将投稿ありがとうございます。
池田 元助(いけだ もとすけ)
池田恒興の嫡男。 花隈城攻略を始め各地を転戦。岐阜城を領したときに楽市楽座を認める。
小牧長久手合戦では岡崎城を奇襲しようとするが見破られ戦死する。

池田 長吉(いけだ ながよし)
池田恒興の三男。 小牧長久手合戦で戦功をあげ、戦後近江三万石を領有する。
関が原合戦では東軍に属し上杉攻めに参加。次いで岐阜城、水口城を攻略した。

[投稿感謝]    すくもさんありがとうございます、島津・上杉武将期待しております。
戸波 親武(へわ ちかたけ)
長宗我部国親の弟国康の子。 比江山親興の弟。土佐戸波城を与えられ、戸波姓を名乗る。
のちに讃岐十河城主、四国征伐では讃岐植田城を守った。

戸波 親清(へわ ちかきよ)
長宗我部元親の従兄弟戸波親武の子。 十兵衛。
関ヶ原戦後に浪人し、大坂の陣のとき盛親の元へ駆けつける。
戦後は藤堂家に仕えた。荒木又右衛門の師匠とも。

名和 顕孝(なわ あきたか)
肥後の国人。大友氏に従っていたが、城氏とともに島津氏に寝返る。
のちに龍造寺氏に従うが、島津氏が八代に侵攻すると呼応した。
秀吉の九州征伐で降伏。

増田 盛次(ました もりつぐ)
増田長盛の子。 父と共に秀吉に仕える。
関ヶ原役で父が配流ののち、家康の子義直の臣となる。
大坂冬の陣で功をあげるが、その後大坂城に入り、夏の陣で戦死した。

加藤 光泰 (かとう みつやす)
斎藤家臣。 竜興没落後は秀吉に仕えた。
片鎌槍の達人で播磨三木攻めなどで功があり、小田原攻め後は甲府24万石を領した。
朝鮮の役も出陣、帰国後病死した

[雑記]
名古屋駅前にビッグカメラが出来たのでいってみました。
パソコンやデジカメ、電化製品の他にもメガネショップや書籍もあり、見てまわるだけでいろいろと楽しめました。
『信長の野望 天下創世 ハンドブック』が上下巻ともPC書籍の所にあったので ちょっと立ち読み。
ひとまずこれから更新する予定の事柄とは被っていないようなので一安心。
空気清浄機を購入したポイントで「歴史&ifイベント」が掲載されているハンドブックの下巻だけ購入して帰る。

関係ない話であるが、名古屋駅周辺を歩くと毎回毎回同じ内容のアンケートをしてくる人たちが居る。
神戸に住んでいたときも、三宮駅周辺で同じ内容のアンケートに捕まったから他所でもいろいろいるかも。
一度友人と日曜日の夜中に名古屋駅前のマクドナルドからニュートーキョーまで歩く間に何人居るか数えたら30人だった。
本日の対応は「歩きながら回答する」という条件で相手を引っ張りまわして遊ぶ。
登山をしていたせいか、自分の歩行速度は速いらしいので、相手は駆け足。
健気についてくるのでちゃんと全部回答したけど、集計結果を何に使うのやら?

「関係ない話」の方が長くなってしまったので今日はここまで


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