火間虫入道     過去の記事[2003.11.02-2003.11.15]

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■武将データ検索窓を「火間虫入道」以外のサイトでも使用可能にしました
■『信長の野望 天下創世』情報ページを準備しました→

-2003/11/15-
[NEWS:信長の野望関係]
■『信長の野望・天下創世』ユーザーズページ更新 ...[GAMECITY]
ファンクラブコンテンツ体験版第4弾&セーブデータダウンロード第5弾を公開
追加シナリオ「正徳寺の会見」&「信玄上洛」ダウンロード販売
[更新]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝:投稿武将100人突破です]    すくもさん不遇大名救済武将-河野&西園寺編-ありがとうございます
大野 直之(おおの なおゆき)
大野直昌の弟。 伊予宇都宮家臣。主家没落後は河野家に属す。
のちに長宗我部家に寝返るも河野軍に攻められ降伏。
その後土佐へ逃れるが、許されて河野家に戻る。

正岡 経政(まさおか つねまさ)
河野家臣。右近大夫。伊予幸門城主。
秀吉の四国征伐では小早川隆景の軍を引き受けて幸門城で籠城するが、
援軍の望みなく落城し、経政も討ち死にした。

石川 通清(いしかわ みちきよ)
河野家臣。備中守。伊予高峠城主。
天正十一年、長宗我部元親の侵攻にあい、降伏した。翌年、失意のなか死去した。

忽那 通著(くつな みちあき)
河野家臣。式部少輔。伊予吉田城を守る。
忽那島を領有したことから、忽那姓を名乗った。天正七年、伊予花輪で戦死。

宇野 職弘(うの もとひろ)
河野家臣。伊予獅子ヶ鼻城主。秀吉の四国征伐の際、
いちはやく小早川隆景に降り、桑村郡の諸城を攻撃した。
しかし、桑村郡の残党の奇襲を受けて戦死した。
西園寺 宣久(さいおんじ のぶひさ)
西園寺公広の弟。 伊予板島丸串城主で板島殿と呼ばれた。
天正四年、伊勢参宮の際の和歌紀行文を残す。天正八年に死去した。

西園寺 公高(さいおんじ きみたか)
西園寺実充の子。
弘治二年、宇都宮家との間に境界線争いが起こり、宇都宮豊綱が飛鳥城に攻め寄ったとき、
公高は狩猟の場から兵を進めて奮戦するも戦死した。

渡辺 教忠(わたなべ のりただ)
西園寺家臣。土佐一条氏出身。渡辺政忠の養子。
一条家が攻めて来た際、戦意をみせず、公広に攻められ人質を出して許される。
長宗我部家に攻められ没落した。

芝 政景(しば まさかげ)
伊予多武森城主。渡辺教忠に仕えたが、長宗我部家に内通し、教忠を欺いて殺した。
その後、藤堂家に仕えるも関ヶ原役の時、不安視されて切腹させられた。


-2003/11/13-
[NEWS:戦国時代関係]
■新年に備えマツ剪定 今治城吹揚公園 ...[愛媛新聞]
■敏満寺遺跡の石仏谷、本格的な発掘調査へ 滋賀・多賀町教委 ...[京都新聞]
[更新]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   はらへりさん明智一門武将投稿ありがとうございます。
明智 光慶(あけち みつよし)
明智光秀の長男。十兵衛。
光秀に従い各地を転戦。本能寺の変の前に行われた愛宕百韻では結句を詠む。
亀山城を守備するが高山重友、中川清秀の攻撃をうけ死亡した。

明智 定頼(あけち さだより)
明智光秀の次男。十次郎。 筒井順慶の養子となる。
本能寺の変後、秀満とともに安土城に入り近江一帯の掌握に努める。
山崎の敗戦に接し坂本城で殉死した。

明智 光頼(あけち みつより)
明智光秀の三男。乙寿丸。
山崎の合戦後美濃洞戸に戻る。荒深吉衛光頼と名乗り一族郎党を率いる。
関が原の合戦では東軍につくため出陣するが増水した川で水死する。

[投稿感謝]   すくもさん朝倉家強化武将投稿ありがとうございます。
種子島 久時(たねがしま ひさとき)
種子島時尭の次子。 兄の早世により、島津義久の加冠により元服し、家督を継ぐ。
龍造寺・大友攻めに従軍。朝鮮の役にも出陣し、鉄砲をよくして武名を轟かした。

赤松 則英(あかまつ のりひで)
赤松則房の子。上総介。 父の死後、阿波住吉一万石を相続した。
関ヶ原では西軍に属し、近江佐和山城に籠城。落城寸前に脱出するが京都戒光寺で自殺した。

土橋 重治(どばし しげはる)
紀伊の土豪。信長に従うが居城を攻められ、 雑賀孫市により兄守重を殺された。
のちに秀吉に招かれたが孫市も登用されため拒否。北条家、毛利家に仕えた。

望月 吉棟(もちづき よしむね)
六角家臣。甲賀群の有力土豪で六角氏を援けて活躍する。
病んだときには義治から親しく見舞いをうけた。
永禄十二年、信長と三好三人衆との戦況を報告した。

稲葉 正成(いなば まさなり)
林政秀の子。稲葉重通の婿となり、稲葉を称した。秀吉のちに小早川秀秋の老臣となる。
関ヶ原役の際、秀秋を東軍に味方させた。秀秋の死後は家康に仕えた。


-2003/11/12-
[NEWS:戦国時代関係]
■ウォーキングマップ「近江戦国の道」=県内観光案内所で配布= ...[滋賀報知新聞]
■金ぱく張り石瓦が初出土 福井の北庄城跡 ...[京都新聞]
[更新]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   すくもさん朝倉家強化武将投稿ありがとうございます。
朝倉 景恍(あさくら かげみつ)
朝倉景紀の嫡子。太郎左衛門。
永禄初期、父から敦賀郡司職を譲られた。
永禄七年、加賀出陣中、朝倉景隆と大将争いをして敗れ、陣中にて自害した。

朝倉 景恒(あさくら かげつね)
朝倉景紀の次男。
足利義昭が越前を去って織田信長の元へ行くとき、兵二千を率い近江まで護衛した。
信長が金ヶ崎城に迫ったとき、防戦するが孤立し開城した。

朝倉 宣正(あさくら のぶまさ)
朝倉景鏡の甥。
徳川忠長の家老となり、忠長が駿府五十五万石に転封されると、掛川二万六千石を与えられた。
しかし忠長に対して諫言しなかったため除封された。

朝倉 景嘉(あさくら かげよし)
朝倉一族。修理亮。信長により主家が滅ぼされ、その後、越前を一向一揆が支配すると、
上杉謙信を頼り御家再興のために奔走する。謙信の病死により頓挫した。

真柄 直澄(まがら なおずみ)
朝倉家臣。真柄直隆の弟。
兄弟ともに有名な勇士で、ことに直澄は生来の大力で五寸三寸の大刀を振って活躍した。
姉川の合戦で徳川軍の匂坂式部に討たれた。

溝江 長氏(みぞえ ながうじ)
溝江長逸の子。 主家滅亡後、信長に降伏、秀吉に仕える。
朝鮮派兵に際し肥前名護屋に駐留。慶長三年、小早川秀秋に付けられ、越前内で一万石を領有。

富田 長繁(とだ ながしげ)
朝倉家臣。信長に内通し、主家滅亡後、越前府中城主。
天正二年、越前守護代になった桂田長俊を妬み、攻め込んで滅ぼした。
翌年、味方に狙撃され死亡した。


-2003/11/11-
[NEWS:戦国時代関係]
■小西行長 欧州で作曲された400年前の音楽を再現 ...[くまにち.コム]
■新江戸伝説[103] 伊豆築城石(上) ...[東京新聞]
■戦国時代と敏満寺テーマに 多賀で16日 シンポ ...[京都新聞]
■金沢城、2566カ所で鉛確認 金沢の会社員、全域分布を初調査 ...[北國新聞]
■福井城跡から秀吉統治の証拠出土 県内初 金ぱく張り?鬼瓦 ...[日刊県民福井]
[更新]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   すくもさん各地の武将作成投稿ありがとうございます。
阿曾沼 広秀(あそぬま ひろひで)
毛利家臣。弘秀の子。元は毛利氏と並ぶほどの勢力であったが、元就に本拠地鳥籠城を落されてから配下になった。
厳島の合戦、周防・長門平定戦で活躍した。

中島 重房(なかじま しげふさ)
長宗我部家臣。戸次川の戦いでの敗走中土豪の襲撃にあうが撃退した。
主家改易後は藤堂家に仕えるが、大坂の陣で旧主のもとへ参じた。書家としても有名。

中川 重政(なかがわ しげまさ)
織田一族。織田駿河守。黒母衣衆の一人であったが、天正六年の上洛では部将として従い、
京都やその周辺の政治に関与した。弟津田盛月の罪により失脚した。

太田 資宗(おおた すけむね)
太田重正の次男。父の遺領を継ぐ。
島原の乱が起こると上使として九州に行き、諸大名に将軍の命を伝えた。
寛永十八年「寛永諸家系図」編纂の奉行となる。

河原 綱家(かわはら つないえ)
真田家臣。右京亮。父隆正の妹は真田昌幸の生母。
父の死後、家督を継いだ。昌幸、信之二代に側近として仕え活躍し、子孫代々も家老職を務めた。

[投稿感謝]   はらへりさん昨日に続き武将投稿ありがとうございます。
真田 昌輝(さなだ まさてる)
真田幸隆の次男。兵部丞。 兄とともに武田軍の旗本・先方衆の中に入り各地で戦果をおさめる。
長篠合戦では騎馬隊を率いて突撃するが鉄砲隊の前に討ち死にする。

諸角 虎定(もろずみ とらさだ)
武田家臣。信虎時代からの有力武将。信州柏鉢城の守将を勤める。
川中島の合戦では右翼を担ったが信繁の死を知りわずかな手勢で上杉軍に突撃し討死した。

三枝守友(さえぐさ もりとも)
武田家家臣。山県昌景の女婿。
花沢城攻めでは一番槍の功名をあげ、三方ヶ原では名刀吉光を与えられる活躍。
長篠では砦を守るが夜襲を受けて討ち死にした。

[雑記]
■信長の野望 天下創世 ハンドブック(下) ...[Amazon.co.jp]
「シブサワ コウ (翻訳)」ていったい何語で書かれているのでしょう?

-2003/11/10-
[NEWS:戦国時代関係]
■歴史上の人物の肖像画展 小田原の松永記念館 ...[神奈川新聞]
■小田原城で武者展 ...[神奈川新聞]
■築城時の炉跡2基出土-安土城跡15年度上半期発掘調査- 蓮池上段に ...[滋賀報知新聞]
[更新]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
[投稿感謝]   はらへりさん武田家一門武将投稿ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
武田 信実(たけだ のぶざね)
武田信虎の五男。 兵庫助。信州佐久郡や武州秩父口の守備をつとめた。
騎馬及び浪人組の大将であり長篠では鳶巣陣を守るが敗れ討たれる。

武田 信龍(たけだ のぶたつ)
武田信虎の八男で一条家の名跡を継ぐ。 侍大将として二百騎を率い信玄の後備を守る。
勝頼を新府城から送り出した後上野で徳川軍を迎え撃つ。伊達ものと評される。

武田 信勝(たけだ のぶかつ)
父・武田勝頼を後見とした武田家の正当な後継 者。
信長の甲斐侵攻により新府から郡内に落ち延びる途中行く手を阻まれ勝頼とともに自刃して果てた。
[投稿感謝]   すくもさん蠣崎家武将の作成投稿ありがとうございます。
蠣崎 舜広(かきざき としひろ)
蠣崎季広の嫡男。慶広の兄。
永禄4年、南条広継に嫁いでいた姉(妹か)に毒殺された。

蠣崎 忠広(かきざき ただひろ)
松前慶広の次子。 慶長三年、父とともに家康に謁見し、蝦夷島地図と家譜を差し出した。
同14年、父の命により徳川秀忠に仕え、幕臣となった。

松前 由広(まつまえ よしひろ)
松前慶広の四男。 一時、兄盛広の養子となるが、 結局盛広の実子が嗣子となった。
大坂の冬の陣で、豊臣方内通の嫌疑により殺された。

松前 公広(まつまえ きんひろ)
蠣崎盛広の子。 父が祖父慶広に先立ち没したため、慶広が死去した際、家督を継ぐ。
従来の商人課した運上だけでなく、砂金の採取をはじめ藩の財政を潤した。

下国 師季(しもぐに もろすえ)
安東氏の支族。蝦夷では蠣崎家とならぶ名家であったが、アイヌ人に本拠地を奪われ蠣崎家に臣従した。
のちに松前を追放された。

小林 良道(こばやし よしひろ)
蝦夷の国人。志苔館主の家柄だが、蠣崎家に服属した。
天分十二年、蠣崎家の縁戚にあたる若狭武田家に使者として派遣された。
樺山 善久(かばやま よしひさ)
島津家臣。樺山氏第九代。久高の祖父。 貴久の姉を室に迎えた。
蒲生攻めなど戦功も多く、貴久らの賞詞をえた。近衛前久から古今集、和歌の作法を学んだ。

十河 存英(そごう ながひで)
十河存保の子。孫二郎。 父が戸次川で戦死したため、幼くして浪々の身になる。
のちに大阪城に入城し、夏の陣において尼崎で戦死。

阿閉 貞大(あつじ さだひろ)
阿閉貞征の子。 父とともに浅井家に仕えるが滅亡前に織田家に属し所領を安堵された。
本能寺の変に際して光秀につくが、光秀死後、秀吉に降伏するも結局殺された。

五十公野 信宗(いみじの のぶむね)
新発田重家の妹婿。 謙信に召し出され側近となり、三条道如斎と名乗る。
のちに五十公家を継ぐ。重家が上杉景勝に対抗すると重家について、敗戦後自害した。


-2003/11/09-
[NEWS:戦国時代関係]
■武者行列など勇壮に 黒井城まつり ...[神戸新聞]
[更新情報]
◇『信長の野望烈風伝』武将総覧を更新
プレイステーション版パワーアップキットのオリジナルシナリオ「諸王の戦い」に登場する武将や古武将を追加しました。
今後は、「陣形」や「特技」等の詳細な情報を検索できるようにする予定です。

[おまけリンク] オタクとメタルと私  > 烈風伝セーブデータ集
Windows版パワーアップキット用「諸王の戦い」を作成されています
[雑記]
■超長寿時代劇漫画「弐十手物語」が完結 ...[Excite Books]
「週刊ポスト」26年にわたって連載された『弐十手物語』(作:小池一夫+画:神江里見)が完結しました。
途中からストーリーを完全に把握出来なくなって、ここ10年近く順を追って読んでなかったのですが、
あのやさしい主人公・菊地鶴次郎が見れなくなるのは寂しいことです。

次号から連載される作品は27年ぶりに再開される、『子連れ狼』。
原作はおなじく小池一夫、作画は『墨攻』や『ムカデ戦記』等近年歴史物の劇画作品を 精力的に描く森秀樹です。
ビッグコミックで小池一夫・森秀樹のコンビ作『花繩』はその前準備だったのかな?
(「花繩」を「花縄」と間違えて検索したらとんでもないサイトがでてきてしまった、、、)

-2003/11/08-
[NEWS:信長の野望関係]
■『信長の野望・天下創世』Ver.1.1アップデートプログラムを公開
■HP素材集第4弾&武将データダウンロード第5弾を公開
...[GAMECITY]
■「信長の野望・天下創世」パッチ登場:合戦アルゴリズム強化など ...[forGamer.net]
■Win「信長の野望・天下創世」がアップデート ...[ZDNet]
■秋の夜長はシミュレーションで決まり!? コーエーからウレシイビッグニュース! ...[ゲーム情報サイトeg]
[NEWS:戦国時代関係]
■徳川家の菩提所400年記念 知恩院 家康・秀忠ら木像公開へ ...[京都新聞]
■火縄銃の実射に「怖い!」 日野町・産業フェア始まる ...[京都新聞]
■オペラ「細川ガラシャ物語」を上演 長岡京ガラシャ祭の前日祭 ...[京都新聞]
■元就ゆかりの美術品など、毛利博物館で「国宝展」−−30日まで ...[毎日新聞]
[投稿感謝]   すくもさん投稿ありがとうございます。
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
中山田 泰吉(なかやまだ やすよし)
香宗我部親通の子。 長宗我部親泰が養子となったので中山田と名乗り家臣となる。
親泰死後、香宗我部家の実権を握り、関ヶ原役では東軍に内通し参戦しなかった。

吉見 広長(よしみ ひろなが)
吉見広頼の次子。 兄が戦死したため跡を継いだ。
毛利家の待遇に不服を抱き、何度か出奔し関ヶ原役では東軍に内応するが、祖父正頼の戦功により許された。

村上 義明(むらかみ よしあきら)
戸田氏繁の子。村上義清の養子。
はじめ丹羽長秀、のちに秀吉に仕えて堀秀治の与力となり、六万五千石を領した。
元和四年、家中騒動を理由に改易された。

北条 氏盛(ほうじょう うじもり)
北条氏規の子。助五郎。初代河内狭山藩主。
北条氏直の死後、遺領から四千石を宛がわれた。
父の死後、その遺領7千石を安堵され、合せて一万一千石を領した。


-2003/11/06-
[NEWS:戦国時代関係]
■本郷の国指定史跡・向羽黒山城跡で掘立柱の穴跡発見/大規模造営、裏付けか ...[福島民報]
■沖庭小児童が「古田歌舞伎」を熱演・小国 ...[山形新聞]
[投稿感謝]   すくもさん投稿ありがとうございます。 土佐吉田一族も大所帯になってきました。
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
吉田 俊政(よしだ としまさ)
長宗我部家臣。重康の子。政重の父。孫助。
天正十年、中富川の戦いで討ち死にした。

吉田 政重(よしだ まさしげ)
吉田俊政の子。六尺二寸の偉丈夫。中富川の戦いでの初陣以来主な戦い参加し、生涯で首百五十。
朝鮮では虎退治した猛将。大坂の陣後は土佐に帰り医者となった。
伊勢 貞昌(いせ さだまさ)
島津家臣。貞真の子。故実家伊勢家の名跡を継ぎ、伊勢貞知から故実の伝授をうけた。
初期の藩政を主導した宰相で、徳川家との関係維持・改善にも功があった。

毛利 秀就(もうり ひでなり)
毛利輝元の長子。 豊臣秀頼から一字与えられて秀就と名乗る。
関ヶ原役後、家督を相続。父の死後に実権を握る。一門の統制に苦労しつつも、藩の基盤を固めた。

木俣 守勝(きまた もりかつ)
徳川家臣。一時期明智光秀に仕えるも、 家康によって強引に呼び戻された。
のちに井伊直政の臣となり、各地の合戦で勇 名を馳せ、彦根藩筆頭家老となった。


-2003/11/05-
[NEWS:戦国時代関係]
■氏郷まつりにぎわう / 雨の中5万人楽しむ サンバも繰り出す ...[伊勢新聞]
■「彦根の城まつりパレード」 雨のため中止 ...[京都新聞]
[投稿感謝]   すくもさん投稿ありがとうございます。
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
吉田 貞重(よしだ さだしげ)
吉田孝頼の長男。 安芸氏との戦いで左目を失うも奮戦した。
囲碁・天文・能書など博学に優れた。関ヶ原戦後、浦戸一揆が起こると開城を進言。保科家へ仕えた。

吉田 重康(よしだ しげやす)
吉田重俊の長子。 江村親家の兄。伊賀介。 武勇の士で元親の初陣を助けた。
安芸氏との戦いで馬之上城を落し、岡豊城を襲撃されたときも駆け付けて撃退した。
長船 定行(おさふね さだゆき)
長船貞親の次子。吉兵衛。
兄の死後家督を継ぎ、二万四千八十四石を領し、宇喜多家中で屈指の大身であったが、関ヶ原の役後は行方不明。

斎藤 長竜(さいとう ながたつ)
斎藤道三の子。新五郎。織田家に仕えた。
のちに佐藤忠能の養子になり加治田城主となった。
天正八年、越中に出陣し河田長親を破った。本能寺の変で戦死。


-2003/11/04-
[NEWS:戦国時代関係]
■新井・時代まつりで甲冑行列 ...[新潟日報]
■10万人が時代絵巻楽しむ ...[神奈川新聞]
■福者候補に阿波生まれ、江戸初頭・殉教の神父ディオゴ結城 ...[徳島新聞]
[投稿感謝]   すくもさん投稿ありがとうございます。今回分で武将投稿数、トップになりました。
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
三好 康俊(みよし やすとし)
三好康長の子。徳太郎。
阿波岩倉城で長宗我部元親と戦うが降伏し、三好方の家老を誘き寄せ謀殺した。
のちに父が信長と結び阿波に戻ると離反するが再び敗れた。

滝川 一時(たきがわ かずとき)
滝川一益の子。 賤ヶ岳の合戦で父とともに勝家側に属して所領を没収。
のちに秀吉に仕えるが、織田信雄に応じたため、家康に召し抱えられた。関ヶ原役に従軍した。

布施 公雄(ふせ きみお)
六角家臣。淡路守。義賢・義治に仕えた重臣。
永禄九年、浅井長政と結んで謀反をおこすが許された。
のちに信長が近江に侵攻してくると、いち早く隷属した。

大島 光義(おおしま みつよし)
通称雲八。弓術に長じた。斎藤竜興の没落後は信長に仕えた。
本能寺の変後、丹羽長秀、秀吉に仕え、一万一千二百石を領した。
関ヶ原役では東軍に属す。


-2003/11/03-
[投稿感謝]   すくもさん投稿ありがとうございました、ここが長宗我部応援サイトになりつつあります。
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
香川 親和(かがわ ちかかず)
長宗我部元親の三男。香川信景の養子となる。
信親が戸次川の戦いで死んだため、 秀吉から家督相続の朱印状が届くが元親からは何の音沙汰もなく没した。

津野 親忠(つの ちかただ)
長宗我部元親の三男。
信親、親和死後後継者と目されたが、元親が弟盛親を溺愛し後継は盛親となる。
関ヶ原後、久武親直の讒言により切腹させられた。

香宗我部 親氏(こうそかべ ちかうじ)
香宗我部親泰の嫡子。
朝鮮の役で父の代わりに香宗我部勢を率いるが戦死(病没とも)した。

香宗我部 貞親(こうそかべ ちかさだ)
香宗我部親泰の次男。
兄と父が立て続けに没したため、幼少ながらあとを継ぐ。
主家滅亡後は堺に蟄居。成人後は寺沢家、のちに春日局の斡旋により堀田家に仕えた。

こうして並べて見ると長宗我部国親 の孫の世代は戦死・病死など短命な人が多いですね。
香宗我部貞親に対する春日局の斡旋の働きは斎藤利三つながりだったりするのかな?

-2003/11/02-
[NEWS:戦国時代関係]
■信長鉄砲隊: 火縄銃が暴発し、隊員1人けが 岐阜・安八町 ...[毎日新聞]
■安土桃山−明治の変遷  宮津で歴代藩主展 ...[京都新聞]
[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将管理説明ページを追加
掲示板にて質問が少なからずあったので追加しました。
今作はゲームフォルダではなくて「マイドキュメント」以下に出力されるので 混乱される方もいるようです。
(改めて読み返すとスタートアップガイド並みの説明だったりしてちょっとメランコリィ...)
[投稿感謝]   すくもさん多数の投稿ありがとうございました、お待ちかねの長宗我部家臣です。
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加
保科 正直(ほしな まさなお)
保科正俊の子。はじめ武田信玄・勝頼に仕える。
織田信長が高遠城を攻めると降伏し本能寺の変後は徳川家康に仕えた。
小田原征伐、九戸政実征伐等に従軍した。

保科 正光(ほしな まさみつ)
保科正直の子。父と共に徳川家康に仕え、関東入国時には下総多胡城一万石を領した。
関ヶ原戦後、高遠二万五千石に復し、のちに家光の弟正之を養子とした。

保科 正貞(ほしな まささだ)
保科正直の子。母は家康の異父妹。
兄正光の養子となるが、家光の弟正之が養子となると家を出て旗本となる。
正之が徳川一門に列すると保科家の家督を譲られた。

「槍弾正」と称された 保科正俊の一族です。
正直、正光親子は天翔記にも登場実績あり。
また、保科家へ養子に入った徳川秀忠の子・保科正之は天翔記と嵐世記のいずれもパワーアップキットで登場。
今作ではGAMECITYのファンクラブコンテンツにてダウンロードが出来ます。
が、活躍できるまで戦国時代が続いているかが問題ですね。

大熊 常光(おおくま つねみつ)
大熊朝秀の嫡男。 五郎左衛門。
父が武田信玄に仕えると、常光は信玄幕下の真田氏に配された。
信之の代には重臣の筆頭格となり、子孫も代々家老職等を勤めた。

福留 親政(ふくとめ ちかまさ)
長宗我部家臣。飛騨守。福留儀重の父。
槍の名手で安芸氏が岡豊城に侵攻した際、「福留の荒きり』といわれるほどの働きにより撃退した。
生涯二十一度も感状を与えられた。

滝本寺 非有(たきもとじ ひゆう)
谷忠澄の弟。 五郎左衛門。文筆が巧みで元親により登用された。
国政・軍事に参加し安国寺恵瓊とともに「一対坊主」といわれた。
関ヶ原後、浦戸に入り徹底抗戦を訴えた。

中島 可之助(なかじま べくのすけ)
長宗我部家臣。智勇に優れた人物で、織田家への使者となった。
信長が「元親は鳥無き島の蝙蝠」というと可之助は「蓬莱宮のカンテンに候」と返した。

勝賀野 実信 (しょうがの さねのぶ)
吉良親実吉良親実の臣。
土佐中村の賤民であったが、経済と武技の才に優れてたため、重臣に取立てられた。
親実が継嗣問題で自刃すると討伐され奮闘するが殺された。

「太閤立志伝」シリーズに比べ、「信長の野望」シリーズで不遇な扱いな長宗我部家臣団。
嵐世記では本能寺イベントに登場するだけの中島可之助。
功績があるのに天翔記・蒼天録しか登場してない福留親政。
(しかもレギュラー入りしている子・儀重より能力は高め)
名前といい、職業といいもちろん功績も人並み以上の滝本寺非有。
彼らの活躍の場がくるのはいつになるだろうか、、、(太閤立志伝5?)


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