2015年04月01日 サイト変更のお知らせ
_ 『信長の野望』および戦国時代関連ニュース紹介サイト「火間虫入道」の管理人・いつまでです。
三十路をいくつも過ぎ、最近は運動不足解消のために自転車で三河周辺の史跡を巡ることにしてましたが、見事にサイクリングにハマってしまいました。
2015年4月1日をもって、今後はサイト名を「火間虫ペダル」と改め、史跡サイクリングブログとして新たなるスタートを切らせていただきます。
コンゴトモヨロシクおねがいします。
2015年03月30日 刈谷・東浦お花見 [長年日記]
_ 桜も見頃になりつつあるので刈谷の亀城公園へ。 池(堀?)のまわりの桜もいい感じ。 水野勝成をもとにしたキャラ「かつなりくん」の看板も
隣の郷土資料館は旧制小学校を改装したようでレトロな雰囲気。水野氏や於大の方関係の情報もちょこっと
お次は東浦町の於大公園。あちこちに色々な花が植えられていて綺麗。
緒川城主・水野三代の墓も
於大公園に隣接する水野家の菩提寺・宇宙山乾坤院。こちらはいつ来ても独特の静けさがあります
2015年03月27日 岡崎 戦国無双の刀剣展 [長年日記]
_ 仕事を早目にきりあげて岡崎城へ寄り道。桜は咲き始めだけど人多し。 ひとまず家康館で「戦国無双の刀剣展」を鑑賞
三河武士のやかた家康館と岡崎城内は一部の区画を除き撮影禁止なのだけど、今回の特別展ではコラボ作品の撮影とのことなので、いくつか紹介。
【真田幸村の十文字槍】刃紋もくっきり造りこまれてます
【本多忠勝の蜻蛉切】ゲームとは違い実在のものの写し
【大谷吉継の采配】ゲームでは軽々と振り回してますが、ずっしりとした鈍器感
【石田三成の鉄扇】説明文が「ゲームそのままに武器として使える」「重量は 5kg を超え、優雅に仰ぐには相当な筋力が必要」など真面目に書かれていて笑った
【加藤清正の方鎌槍】何となくファンシーなカラーリング
などなど、多くの品々がゲームの雰囲気を再現し、銃刀法にも注意しつつ武器であることも考慮され造りこまれていて見応えのある展示でした
2015年03月15日 小牧 田縣神社の豊年祭 [長年日記]
_ 久々に田縣神社の豊年祭へ。 小牧山城から5kmくらいと近く、織田信長さんもこの祭りに参加したのだろうか?
田県神社の社殿を見たら羽柴秀吉の文字が。小牧長久手の戦いで戦場になったのは豊年祭の後かな?ひとまず、砦のあった久保山へ向かおう。
熊野社にたどり着くと新しい御神体の神輿が。ここは小牧長久手の戦い際、久保山砦が築かれ丹羽長秀が守っていたそうです
小牧長久手の戦いで丹羽長秀が守った久保山砦に翻る旗には羽柴軍の桐紋! その隣には…
今年は大県神社の豊年祭も同時開催なので、行列を見物。 (田県神社から歩いて20分くらい) 珍しいピンクのクラウンだ、と思ったらオープンカー仕様の更にレアなものだった
大県神社から再び田県神社へ(ちょうど電車が来たので利用)。
熊野神社から御神体出発したけど、人が多くて中々進めない様子。
神輿も結構な重量で担ぎ手の汗がすごい
クライマックス近くの神社へ
屋台の人が言ってたように海外の人も多く、今日一日で「オーマイガー」を何度聞いたことか
2015年02月07日 知立城 [長年日記]
_ 国道1号線と155号線が交わった所に知立城跡があるそうなので出発。
来てみると現在は児童公園になっていて、当時の状況を偲びにくい状況
入り口には東海道の絵図と、道標が
知立城跡近くの宝蔵寺には加賀井弥八郎秀望の墓(岡崎城主・田中吉政の建立)
関ヶ原の戦い直前、石田三成の命で徳川家康を暗殺しようとするも果たせず、この付近で水野忠重を酒宴中に斬り、堀尾吉晴を襲うも家臣に阻まれ命を落とした人物。
知立神社近くの総持寺は結城秀康の母・お万の方生誕の地という石碑。 知立神社の神職をつとめる永見氏の出身とのこと。
国道1号線を進むと刈谷市との境界に一里塚跡。
豊明の阿野一里塚と知立の来迎寺一里塚の間に有ったものかな?
2014年11月30日 名古屋市 大高緑地
_ 大高緑地のあいち合戦ワールドに到着。ちょうど鷹狩りの実演をやってて珍しいものを見れた
会場内は観客と各地の武将隊、ウォーキングラリー参加者が混じり合って凄いことになってます。
小牧市のブースで、すずき孔先生の「まんが織田信長公伝 麒麟の城」を購入。以前から買おうと思ってたのでちょうど良かった
(小牧山城の小牧市歴史館でも購入可能です)
長篠の合戦を再現した火縄銃演武を背に藤田達生先生の桶狭間の戦いをテーマにした講演を聴講。銃撃の轟音と重なってやり辛そう
あいち合戦ワールドが終了。最期のステージまで観客が減ることなく元気よく続けられ、良いイベントでした
2014年03月23日 刈谷 境川周辺 [長年日記]
_ 天気が良いので再び旧東海道を自転車でぶらぶら。ココの富士松という地名は桶狭間の合戦後、今川兵に織田信長方の間者に間違われて殺された「お富士」という旅人を偲んで植えられた松に由来(当時の松は伊勢湾台風で枯れてしまったそうです)
2014年03月09日 岡崎市 藤川宿 [長年日記]
_ 陽が暖かくなったので旧東海道をサイクリング。久々に岡崎へ入ったら矢作橋の蜂須賀小六・秀吉出会いの像が復活。
藤川宿に向かって国道1号線を走っていたら「美味しいチャーハンの店 三国志」って看板が見えて、どんなメニューが出てくるのか非常に気になった。曹操の梅肉風味とか?
次は本多忠勝公の甲冑が眼を引く人形工房の看板。(行ってみたら立派な店構えに圧倒されて写真を撮るのを忘れました)
旧東海道の藤川宿を通過。途中に松並木や本陣跡、観光用に最近建てた高札なども。
東海道五十三次の浮世絵で描かれることの多い東棒鼻(宿場への出入口)
江戸期に藤川宿の本陣を治めた代官屋敷。看板によると、設置したのは柴田勝家(厳密には養子の勝政)の子孫
東海道を更に進み本宿の法蔵寺へ到着。徳川家康が幼少の頃に手習いをした由縁から、寺内には葵の紋がチラホラ
法蔵寺には新撰組隊長・近藤勇の首塚もあってビックリ。てっきり処刑された東京の方にあるものと思ってました
法蔵寺を出て東海道を北上。途中で山中八幡宮という大きめの神社があったので立ち寄ったら。三河一向一揆の際、徳川家康が逃げこんだ鳩ヶ窟でした。思った以上に狭くて家康も若い頃はスリムだったのですね。
道の駅・藤川宿には鳩ヶ窟つながりで、ハトを手に持った家康像。「むらさき麦うどん」を食べて一服したあと帰宅。
2014年03月02日 豊田市 渡辺守綱関連 [長年日記]
_ 自転車を使って豊田市街をブラブラ。
この地も矢作川を境に織田氏と松平氏の攻防が繰り広げられていたようで、 「織田兵に焼かれた…」という伝承の残るお寺も。
コレは豊田城?
随應院という立派な構えのお寺があったので入ってみると、槍の半蔵こと渡辺守綱夫人(平岩親吉の妹?)をはじめとした渡辺家夫人の墓所
随應院の近くには渡辺家の菩提寺・渡邊山守綱寺。(当然ながら宗派は真宗)槍の半蔵こと渡辺守綱をはじめとした歴代の墓々。墓石の形がちょっとユニーク
守綱寺を出て矢作川へ向かうと守綱神社。豊田市寺部地区では渡辺守綱推しが凄いな…
守綱神社の裏手には寺部城跡。矢作川に隣接していて、ここも織田家と松平家の衝突地帯。(佐久間信盛さんも陥としたという話)徳川家康が初陣で攻め落とした城でもあります。
2013年02月24日 知多 大草城 [長年日記]
_ 梅の花が綻んできたので知多の大草城跡へ。
築城は有楽斎こと織田長益ですが、本能寺の変や小牧長久手の戦いで入城しなかった幻の城とも。
この模擬天守の微妙さは中々。隣の電柱がいいアクセントになってますね
意外と敷地が広くて結構歩いたな
知多から大府方面へ自転車で走ってたら河原にヒツジとかヤギがいて、ちょっと驚いた。ヤギの方は写真を撮った3秒後にこちらに突進してきたので結構焦ったな
Before...
_ taikou [戦国武将のサイクリングレコード一覧を検索しに来ました]
_ いつまで [コメントありがとうございます 4月1日も終わりに近づいたので元に戻します]
_ mousou_roku [気づいたら最終回みたいな寂寥感…。でも楽しませてもらいました。]