武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ほり | | ひでたね |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1580 |
(1565-1616)豊臣家臣。堀秀重の次男。関ヶ原合戦では西軍に属して大津城攻めに参加。戦後改易され、甥・堀秀治を頼った。のちに前田利常に仕え、大坂の陣に従軍した。 |
堀 | 源助 | 秀種 |
武将 | 荷駄 |
[激励] |
46 | 46 | 39 |
55 | 60 |
5 |
ほり | | なおより |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1592 |
(1577-1639)堀家臣。直政の次男。庶兄・直次との対立により減封されるが、駿府城失火の際に功があり、加増される。大坂の陣での功により、越後村上10万石を領した。 |
堀 | 三十郎 | 直竒 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] [突撃] |
49 | 54 | 37 |
51 | 85 |
5 |
ほりお | | ただうじ |
PK追加 |
尾張 |
1593 |
(1578-1604)豊臣家臣。吉晴の次男。徳川秀忠の偏諱を受ける。関ヶ原合戦では秀忠軍に従い功を立てた。戦後、出雲・隠岐24万石に加増されるが、父に先立ち早世した。 |
堀尾 | 弥介 | 忠氏 |
武将 | 騎馬 |
[商業] [外交] |
58 | 52 | 64 |
32 | 55 |
97 |
ほりお | | ただはる |
PK追加 |
尾張 |
1604 |
(1599-1633)出雲松江藩主。忠氏の子。父の早世により6歳で家督。祖父・吉晴が藩政を指導した。福島正則改易の際には広島城を受け取る。死後、嗣子がなく断絶した。 |
堀尾 | 三之助 | 忠晴 |
武将 | 荷駄 |
[回復] [攻城] |
50 | 44 | 42 |
37 | 70 |
98 |
さかい | | やすとし |
PK追加 |
三河 |
1584 |
(1569-1621)徳川家臣。酒井忠次の次男。本多忠次の養子となる。関ヶ原合戦後、三河西尾2万石を領す。大坂の陣では一揆の鎮定に活躍し、のち近江膳所3万石を領した。 |
酒井 | 九十郎 | 康俊 |
武将 | 弓 |
[攻城] |
45 | 52 | 48 |
53 | 60 |
83 |
まいた | | ひろさだ |
PK追加 |
尾張 |
1586 |
(1571-1636)豊臣家臣。関ヶ原合戦の際は西軍に属して伊勢安濃津城攻撃に参加した。戦後、高野山に蟄居するが、浅野幸長らの尽力により備中浅尾1万石の大名となった。 |
蒔田 | | 広定 |
武将 | 弓 |
[訓練] |
42 | 48 | 46 |
58 | 50 |
70 |
まえだ | | けいじ |
PK追加 |
近江 |
1570 |
(1555-1612)織田家臣。滝川益氏の子という。前田利家の兄・利久の養子となる。のち浪人し穀蔵院忽之斎と称した。関ヶ原合戦では上杉家の浪人徴募に応じ、奮戦した。 |
前田 | 利益 | 慶次 |
武将 | 騎馬 |
[捕縛] [軍神] [突撃] |
21 | 89 | 45 |
2 | 100 |
7 |
まえだ | | しげかつ |
PK追加 |
山城 |
1597 |
(1582-1621)豊臣家臣。玄以の次男。熱心なキリシタンだった。父の死後、丹波八上城主となるが、突然錯乱して多くの家臣を自害させたため改易、隠岐に流刑となった。 |
前田 | 彦四郎 | 茂勝 |
旧仏教切支丹 | 弓 |
[収拾] |
48 | 29 | 44 |
41 | 40 |
4 |
まえだ | | としつね |
PK追加 |
尾張 |
1599 |
(1593-1658)加賀金沢藩主。利家の四男。兄・利長の跡を継ぐ。大坂の陣に参陣して功を立てた。藩の存続に努め、江戸幕府の警戒を欺くために愚鈍を装っていたともいう。 |
前田 | 猿千代 | 利常 |
武将 | 槍 |
[開墾] [外交] [三段] |
76 | 59 | 72 |
40 | 75 |
0 |
まつくら | | かついえ |
PK追加 |
大和 |
1612 |
(1597-1638)肥前島原藩主。重政の子。父と同じくキリシタンを弾圧し、圧政を敷いて島原の乱を引き起こす。鎮圧後に改易され、一揆を発生させた罪により斬罪となった。 |
松倉 | | 勝家 |
武将 | 騎馬 |
[激励] |
30 | 59 | 19 |
76 | 45 |
9 |
まつした | | しげつな |
PK追加 |
三河 |
1594 |
(1579-1627)豊臣家臣。父・之綱は若い頃の豊臣秀吉を養っていたことで知られる。関ヶ原合戦では東軍に属した。大坂の陣での功などにより、陸奥二本松5万石を領した。 |
松下 | 左助 | 重綱 |
国人衆 | 弓 |
[登用] |
52 | 38 | 46 |
43 | 80 |
15 |
おくだいら | | ただあき |
PK追加 |
三河 |
1598 |
(1583-1644)徳川家臣。奥平信昌の四男。主君・家康の養子となり、松平姓を名乗る。大坂の陣で戦功を立て、戦後摂津大坂10万石を領し、幕閣の元老的存在となった。 |
奥平 | | 忠明 |
国人衆 | 弓 |
[訓練] [逃亡] [連射] |
53 | 54 | 44 |
47 | 90 |
68 |
おおこうち | | のぶつな |
PK追加 |
三河 |
1611 |
(1596-1662)徳川家臣。3代将軍・家光の小姓から老中にまで出世。才気煥発で「知恵伊豆」の異名をとり、幕藩体制の確立に貢献した。島原の乱では幕府の上使を務めた。 |
大河内 | 長四郎 | 信綱 |
武将 | 槍 |
[商業] [引抜] [三段] [攻城] |
63 | 54 | 77 |
74 | 45 |
81 |
まつい | | やすしげ |
PK追加 |
三河 |
1583 |
(1568-1640)徳川家臣。父・康親の死後、主君・家康の偏諱を受けて家督を継いだ。小田原征伐で功を立て、戦後、武蔵寄居2万石を領す。のち和泉岸和田5万石を領した。 |
松井 | 次郎 | 康重 |
武将 | 荷駄 |
[外交] |
40 | 49 | 41 |
51 | 65 |
87 |
とだ | | やすなが |
PK追加 |
三河 |
1577 |
(1562-1632)徳川家臣。主君・家康より松平姓を許された。遠江高天神城攻めで初陣し、以後各地で功を立てる。関ヶ原合戦では美濃大垣城を攻略するなど活躍した。 |
戸田 | 孫六郎 | 康長 |
国人衆 | 騎馬 |
[改修] [回復] |
50 | 54 | 44 |
59 | 75 |
88 |
まるも | | かねとし |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1573 |
(1558-1647)織田家臣。本能寺の変後は豊臣家に仕え九州征伐後、美濃福束2万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属すが、城を落とされ逃亡。のち前田利常の家臣となった。 |
丸毛 | 三郎兵衛 | 兼利 |
武将 | 弓 |
[槍衾] |
37 | 45 | 32 |
60 | 50 |
69 |
みずの | | かつなり |
PK追加 |
三河 |
1579 |
(1564-1651)徳川家臣。遠江高天神城攻めなど多くの合戦に従軍した。一時は豊臣秀吉などに仕えたが、のちに帰参し、備中福山10万石を領す。島原の乱にも参陣した。 |
水野 | 藤十郎 | 勝成 |
国人衆 | 弓 |
[改修] [訓練] [連射] |
48 | 66 | 45 |
59 | 30 |
8 |
みやぎ | | とよもり |
PK追加 |
近江 |
1569 |
(1554-1620)豊臣家臣。主君・秀吉死去の際、徳永寿昌らとともに渡海し、朝鮮在陣中の諸将に対して撤兵を指示した。関ヶ原合戦後は徳川家に仕え、大坂の陣に従軍した。 |
宮城 | 長次郎 | 豊盛 |
武将 | 槍 |
[雨撃] |
48 | 51 | 38 |
52 | 70 |
63 |
とだ | | よしあきら |
PK追加 |
尾張 |
1588 |
(1573-1623)豊臣家臣。戸田勝隆の子。村上義清の養子となる。越後本庄9万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属して所領を保つがのちに家中騒動を起こし、改易された。 |
戸田 | 政之助 | 義明 |
武将 | 騎馬 |
[突撃] |
42 | 48 | 39 |
61 | 35 |
78 |
もうり | | かつのぶ |
PK追加 |
尾張 |
1563 |
(1548-1611)豊臣家臣。別名を吉成。豊前小倉6万石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城攻撃に参加した。戦後改易され、土佐高知藩主・山内一豊に預けられた。 |
毛利 | | 勝信 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [突撃] |
40 | 59 | 47 |
54 | 95 |
12 |