武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おだ | | のぶしげ |
PK追加 |
尾張 |
1579 |
(1564-1615)豊臣家臣。信包の長男。伊勢林城主。関ヶ原合戦では西軍に属すが、所領を安堵された。のちに父遺領相続をめぐり弟・信則を訴えるが、かえって改易された。 |
織田 | 三十郎 | 信重 |
武将 | 弓 |
[雨撃] |
36 | 36 | 28 |
59 | 35 |
1 |
おだ | | のぶなり |
PK追加 |
尾張 |
1577 |
(1562-1645)豊臣家臣。小牧長久手合戦や小田原征伐などに参陣。関ヶ原合戦では東軍に属し戸田勝成と戦った。のちに京都市中における集団暴行の罪により改易された。 |
織田 | 二郎左衛門 | 信成 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
46 | 51 | 48 |
63 | 40 |
80 |
おばま | | みつたか |
PK追加 |
他 |
1595 |
(1580-1645)徳川家臣。景隆の子。御船手を務め、相模・上総両国で3千石を領した。大坂冬の陣に出陣し、大野治長の関船・早船をそれぞれ2艘ずつ乗っ取る功を立てた。 |
小浜 | | 光隆 |
水軍衆 | 槍 |
[回復] [貿易] |
32 | 56 | 41 |
56 | 75 |
42 |
かきみ | | いえずみ |
PK追加 |
近江 |
1582 |
(1567-1600)豊臣家臣。金切裂指物使番を務め、豊後富来2万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し美濃大垣城に籠城するが、東軍に寝返った相良頼房らによって殺された。 |
垣見 | 弥五郎 | 家純 |
武将 | 弓 |
[雨撃] |
38 | 45 | 32 |
48 | 55 |
61 |
かすや | | さねお |
PK追加 |
播磨 |
1577 |
(1562-1612)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城攻撃などに参加した。戦後、所領を失うが、のちに5百石で幕臣として登用された。 |
加須屋 | 正之助 | 真雄 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] [槍衾] |
31 | 60 | 26 |
41 | 60 |
14 |
かたぎり | | さだたか |
PK追加 |
近江 |
1575 |
(1560-1627)豊臣家臣。且元の弟。小田原征伐などに従軍。主君・秀吉の死後は秀頼に仕えるが、方広寺鐘銘事件で内通の疑いを持たれたため、兄とともに大坂城を去った。 |
片桐 | 加兵衛 | 貞隆 |
武将 | 弓 |
[改修] |
50 | 51 | 36 |
43 | 80 |
2 |
かとう | | あきなり |
PK追加 |
三河 |
1607 |
(1592-1661)徳川家臣。嘉明の嫡男。父の死後、陸奥会津40万石を継ぐが、のちに家老と対立。出奔した家老の成敗には成功したもののその代償として改易処分となった。 |
加藤 | 孫次郎 | 明成 |
武将 | 槍 |
[捕縛] |
32 | 46 | 15 |
80 | 50 |
8 |
かとう | | さだやす |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1595 |
(1580-1623)豊臣家臣。関ヶ原合戦では東軍に味方して島津勢と戦い、また近江水口城を攻略するなど活躍した。八条流馬術の秘伝を受け、また詩・和歌・連歌をよくした。 |
加藤 | 作十郎 | 貞泰 |
国人衆 | 槍 |
[登用] |
51 | 54 | 43 |
51 | 70 |
94 |
かなもり | | よししげ |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1573 |
(1558-1615)織田家臣。長屋景重の子で、長近の養子となる。養父の死後、家督を相続。大坂の陣に従軍し、功を立てた。養父と同じく茶の湯を好み、茶会記に名を残した。 |
金森 | 喜蔵 | 可重 |
国人衆 | 弓 |
[茶湯] [連射] |
52 | 43 | 49 |
26 | 55 |
92 |
がもう | | さといえ |
PK追加 |
近江 |
1565 |
(1550-1600)蒲生家臣。はじめ横山喜内と名乗るが、九州征伐で功を立て、蒲生の姓と「郷」の字を賜った。のちに蒲生家を去って石田三成に仕え、関ヶ原合戦で戦死した。 |
蒲生 | 喜内 | 郷舎 |
武将 | 槍 |
[訓練] [収拾] [三段] |
36 | 76 | 50 |
67 | 95 |
18 |
きのした | | いえさだ |
PK追加 |
尾張 |
1558 |
(1543-1608)豊臣家臣。北政所(主君・秀吉の正室)の兄。播磨姫路城主を務めた。関ヶ原合戦では妹・北政所の警護を担当する。戦後、備中足守2万5千石を領した。 |
木下 | 孫右衛門 | 家定 |
武将 | 弓 |
[商業] [外交] [説得] |
49 | 46 | 45 |
42 | 85 |
10 |
きのした | | かつとし |
PK追加 |
尾張 |
1584 |
(1569-1649)豊臣家臣。家定の長男。若狭小浜城主。関ヶ原合戦では東軍に属して伏見城を預かるが、任務放棄の罪で改易され、京都に隠棲した。近世和歌の祖といわれる。 |
木下 | 仙蔵 | 勝俊 |
武将 | 荷駄 |
[逃亡] |
57 | 24 | 45 |
11 | 40 |
11 |
きのした | | としふさ |
PK追加 |
尾張 |
1588 |
(1573-1637)豊臣家臣。家定の次男。若狭高浜3万石を領した。関ヶ原合戦で西軍に属したため改易されるが、大坂の陣での功により備中足守2万5千石の領主となった。 |
木下 | | 利房 |
武将 | 弓 |
[外交] |
50 | 34 | 36 |
33 | 65 |
12 |
きのした | | のぶとし |
PK追加 |
尾張 |
1592 |
(1577-1642)豊臣家臣。家定の子。播磨国で2万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属し、小野木重次の居城・丹波福知山城を攻撃。戦後、豊後日出3万石を与えられた。 |
木下 | 長助 | 延俊 |
武将 | 荷駄 |
[攻城] |
48 | 39 | 48 |
46 | 50 |
16 |
すぎはら | | ながふさ |
PK追加 |
尾張 |
1589 |
(1574-1629)豊臣家臣。但馬豊岡3万石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後田辺城攻撃に参加した。妻の父が浅野長政であった関係もあり、戦後所領は安堵された。 |
杉原 | 弥兵衛 | 長房 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] [逃亡] |
48 | 44 | 44 |
45 | 75 |
10 |
きょうごく | | ただたか |
PK追加 |
山城 |
1608 |
(1593-1637)出雲松江藩主。高次の子。大坂の陣に従軍した。甥・高和を末期養子とするが認められず、所領没収。しかし、のちに高和に播磨龍野6万石が与えられた。 |
京極 | | 忠高 |
武将 | 弓 |
[茶湯] |
56 | 33 | 41 |
49 | 45 |
43 |
くまがい | | なおもり |
PK追加 |
越前若狭 |
1588 |
(1573-1600)豊臣家臣。勇猛をもって知られた。朝鮮派兵で功を立て、豊後安岐1万5千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属して大垣城を守ったが、相良頼房らに殺された。 |
熊谷 | 半次郎 | 直盛 |
武将 | 槍 |
[攻城] |
34 | 59 | 20 |
63 | 80 |
28 |
こいで | | ひでまさ |
PK追加 |
尾張 |
1555 |
(1540-1604)豊臣家臣。和泉岸和田3万石を領す。主君・秀吉から秀頼の補佐を頼まれた。関ヶ原合戦では西軍に属すが、次男・秀家が東軍に与したため本領を安堵された。 |
小出 | 甚左衛門 | 秀政 |
武将 | 荷駄 |
[訓練] |
48 | 40 | 40 |
45 | 65 |
25 |
こいで | | よしまさ |
PK追加 |
尾張 |
1580 |
(1565-1613)豊臣家臣。秀政の嫡男。但馬出石6万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、丹後田辺城攻撃に参加した。弟・秀家が東軍に属したため、本領を安堵された。 |
小出 | 小才次 | 吉政 |
武将 | 弓 |
[槍衾] |
42 | 45 | 36 |
48 | 60 |
27 |
こういずみ | | やすつな |
PK追加 |
上野 |
1567 |
(1552-1600)新陰流の創始者・上泉信綱の孫。関ヶ原合戦の直前、上杉景勝の浪人徴募に応じ直江兼続の指揮下に属した。出羽長谷堂城における最上軍との戦いで戦死した。 |
上泉 | | 泰綱 |
武将 | 槍 |
[剣豪] [守戦] [槍衾] |
24 | 69 | 23 |
20 | 90 |
41 |