真田 大助(さなだ だいすけ、1601年8月22日(慶長6年7月24日)? − 1615年6月4日(慶長20年5月8日))は、江戸時代前期の武将である。真田信繁(幸村)の嫡男、母は大谷吉継の娘(竹林院)。真田幸昌。
1601年(又は1602年)、父・幸村が関ヶ原の戦いで流されることとなった紀伊国九度山(和歌山県九度山町)で生まれる。祖父・真田昌幸の名を逆にして幸昌と命名された。1615年(慶長5)、父・幸村とともに九度山を脱出して浪人を募集していた大坂城へ入り、大坂夏の陣に出陣して敵の武将を討ち取るという大功を挙げたが、父に大坂城の落城を見届けるように命じられる。このとき、大助は父とともに最後まで付き従うつもりだったが、父の命令には逆らえず、やむなく大坂城に引き返したとされる。そして大坂城落城後、幼年のために周囲から脱出を勧められたが拒絶し、主君の豊臣秀頼とともに死去、享年13、あるいは16。
墓所は和歌山県九度山町の善名称院ほか。また、父の信繁同様に各地に生存伝説が残る。
淳史 2006/01/26/16:22:42 No.55 評価★★★★★ この、真田大助はゲームに出てくるけど……
淳史 2006/01/26/16:24:21 No.56 評価★★★★★ この真田大助は、真田幸昌として出てくる。(革新)