【東海】久世又兵衛

 No.47 久世又兵衛  記入者 けん  2005/11/18/19:14:27
所属 佐々家
武将列伝

 久世又兵衛
 (?〜1612)
 通称・但馬守。実名は不明。
 元は伊勢の豪族の出ともいわれている。
 佐々成政の麾下として、小出城を守る。成政が馬備えのために京に行っている隙に上杉景勝の麾下の河田長親が攻め寄せたが、16日間の籠城の末、佐々の後詰めにより勝利。
 対前田利家戦では、鳥越城を奪う。前田軍を二度にわたり撃退。特に二度目は前田利家自らが指揮していたにもかかわらず落とせなかった。
対秀吉の戦力集中のため鳥越を撤退するまで守りぬいた。
 成政の死後は、豊臣秀次、結城秀康に仕え二万石を領す。
 秀康の寵愛は激しく、初期越前藩政を運営する重鎮となるが、次代忠直の不興を蒙り、一族とともに殺害される。久世騒動(越前騒動)という。
 上杉、前田相手に三度も城代として守りぬいた稀代の名将である。