能登国守護。五代守護慶致の子。四代・六代守護義元の養嗣子となり、義元死後七代守護となる。将軍の御伴衆であった父慶致の帰国後、後を襲って義植の御伴衆となり、能登の内乱の終息に尽力したことにより、叔父義元の後継者となった。京生まれの生粋の京都人であり、京極為和を能登に招いて古今伝授を受けるなど、戦国期屈指の文人大名であった。